昨日もちらっとご紹介しましたが、都内北区の田端文士村記念館さんでの展示です。

心豊かな田端の芸術家たち

期 日 : 2021年6月1日(火)~9月19日(日)
会 場 : 田端文士村記念館 東京都北区田端6-1-2
時 間 : 10:00~17:00
休 館 : 月曜日(月曜日が祝日の場合は火曜日と水曜日が休館)
      祝日の翌日(祝日の翌日が土・日曜日の場合は翌週火曜日が休館)
料 金 : 無料

田端は、明治中期より若い芸術家たちが集うようになり、やがて“芸術家村” を形成しました。「創作」と「生活」という二つの環境を共有した芸術家たちの間には、絵画・彫刻など、表現方法の枠を超え、豊かな交流が育まれていきます。
本展では、田端ゆかりの芸術家たちが生み出した作品の数々と、田端での暮らしぶりについてご紹介します。
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田端は、光太郎の住居兼アトリエのあった駒込林町にほど近く、光太郎や父・光雲らゆかりの人物が多数居住していました。そのうち、主に美術方面の人々の交友関係等に着目した展示のようです。

フライヤーの人物相関図にある人々と、光太郎等との関わりを簡略に記すと、以下の通り。

石井柏亭(明15=1882~昭33=1958)
画家。光太郎とは「パンの会」などで親しく交流。明治期、「地方色」のあり方を巡って光太郎と論争、光太郎が「日本初の印象派宣言」と言われる評論「緑色の太陽」(明43=1910)を書くきっかけを作りました。

石井鶴三(明20=1887~昭48=1973)
彫刻家。柏亭の弟。戦後、光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋を訪れています。信州安曇野の碌山美術館開館に向け、光太郎の協力を仰ぎました。

小穴隆一(明27=1894~昭41=1966)
画家。どういったつながりがあったのか不明なのですが、光太郎から小穴あての書簡(昭和21年=1946)一通が、『高村光太郎全集』に収録されています。その時期、小穴も岩手に疎開していたようです。小穴は芥川龍之介著作の装幀で有名ですが、宮沢賢治著書の挿画も手がけており、あるいはそういった関係かもしれません。

小杉放菴(明14=1881~昭39=1964)
画家。彫刻も行い、大町桂月・武田千代三郎・小笠原耕一の「十和田の三恩人」顕彰のために作られた光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称乙女の像)」(昭27=1952)制作に先立ち、十和田湖に近い蔦沼の薬師堂の本尊薬師如来像(光太郎も拝観)、大町桂月像を制作しました。大正11年(1922)には、大町桂月に伴われて十和田湖周辺を歩いています。

村山槐多(明29=1896~大8=1919)
画家。光太郎はその特異な才能に注目し、「火だるま槐多」と称しました。

山本鼎(明15=1882~昭21=1946)
版画家。村山槐多の従兄。東京美術学校卒。新詩社、パンの会、琅玕洞などで光太郎と縁。母は光太郎の朋友・北原白秋の妹。

南薫造(明16=1883~昭25=1950)
画家。東京美術学校西洋画科卒。明治末、ロンドンで共に留学生仲間だった光太郎と親しく交わりました。

板谷波山(明5=1872~昭38=1963)
陶芸家。東京美術学校彫刻科卒。在学中、光雲に師事しました。

香取秀真(明7=1874~昭29=1954)
鋳金家。光太郎の実弟・豊周の師です。

香取正彦(明32=1899~昭63=1988)
鋳金家。秀真の子息。豊周の盟友。豊周と共に日本鋳金家協会を立ち上げました。

建畠大夢(明13=1880~昭17=1942)
彫刻家。京都市立美術工芸学校を経て東京美術学校彫刻科に編入し、光太郎と面識がありました。

建畠覚造(大8=1919~平18=2006)
彫刻家。大夢の長男。東京美術学校彫刻科卒。昭和47年(1972)、最後の高村光太郎賞を受賞しました。

とりあえず、人物相関図にある人々と光太郎一族の関わりで、思いつくのはこんなところです。精査すればまだあるかもしれませんが。

また、今回は造型美術方面の人々にスポットを当てているので、相関図にはありませんが、室生犀星、萩原朔太郎、平塚らいてうなども田端文士村の一員で、光太郎と関わった面々です。彼等は常設展示等で詳しく紹介されているのでしょう。

東京都の緊急事態宣言、どうも延長の方向だそうで、この展示もどうなるか未定ですが、一応、紹介しておきました。

【折々のことば・光太郎】

夕方弘さんタバコ葉持参、もらふ。


昭和22年(1947)11月2日の日記より 光太郎65歳

「弘さん」は、蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くの開拓地に入植した青年。「タバコ」は配給でしょうか。あるいは「葉」とあるので、製品化されていない葉っぱでしょうか。そうだとすると違法行為ですが、戦後の混乱期、そういったことがあったかもしれません。

光太郎、喫煙を始めた年齢は早くありませんし(40代?)、最終的にはやめていますので大好きとかヘビースモーカーではありませんでした。それでもキセルやパイプに火を付けているところの写真が残っていたりします。