都内から演奏会の情報です。
めまぐるしく変わる拍子とテンポ、散りばめられた複雑な和音(時に不協和音)、非常に細かく指示されたディナミーク、いかにも現代音楽ふう、と思いきや、M1「あどけない話」からM4「レモン哀歌」まで一貫してイ短調(終末部はハ長調)、「なるほど」と思いました。
また、平吉氏がこだわったであろう「狂気と正気の間を生き抜いた智恵子」を表すような、不安定な音型が随所に現れ、逆にありのままの智恵子の一切をを包み込む光太郎を表現したであろう部分では、ポリフォニーを避け、ホモホニックな展開。難易度はなかなか高めです。
さて、今回の演奏会。「混声合唱組曲 「レモン哀歌」 より」となっていますので、抜粋での演奏なのでしょう。
会場の渋谷区文化総合センター大和田さくらホールさん、キャパは367席だそうですが、コロナ感染対策として50㌫までの入場制限とのこと。感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運びください。
【折々のことば・光太郎】
四時半頃賢治の会会場にゆく。「生必」二階。余も十五分ばかり話。会衆多し。後鹿踊を前庭にて見る。
昭和8年(1933)のこの日に亡くなった宮沢賢治を偲ぶ賢治祭。岩手在住時の光太郎、ほぼ毎年欠かさず参加していました。
「生必」は「生活必需品組合」。戦時中に全国的に組織された、配給等を管轄するためのもののようです。戦後も配給制度が続いたため、まだ存続していたのですね。
平松混声合唱団 第36回定期演奏会 明日へ向かって発つ~心ひとつに~
期 日 : 2021年5月21日(金)
会 場 : 渋谷区文化総合センター大和田 さくらホール 東京都渋谷区桜丘町23-21
時 間 : 開場 6:15pm 開演 7:00pm
料 金 : ¥3,000(全席自由)
指 揮 : 平松剛一 合唱 : 平松混声合唱団 ピアノ:金井信
第36回定期演奏会は感染症に対策しつつ開催いたします。
故・平吉毅州氏による混声合唱組曲「レモン哀歌」は、同団の委嘱作品として作曲され、「あどけない話」、「山麓の二人」、「千鳥と遊ぶ智恵子」、そして「レモン哀歌」の全4曲です。
全4曲の初演は平成5年(1993)。その後、音楽之友社さんから楽譜集、フォンテックさんからCDも発売されました。
楽譜集に掲載された、作曲者、故・平吉毅州氏の言葉「哀切なる,その愛」。
平松混声合唱団の主宰者であり指揮者である平松剛一氏から、新作依嘱のお話をうかがった時、詩は作曲者が選んでよい、とのことだった。
その条件は、作曲する側にとってとても嬉しいことであると同時に、仲々厄介なことでもある。
世の中に、素晴らしい詩は沢山あるのだけれど、いざ、合唱組曲のための……となると、その選択は容易でない。極端な云い方をすれば、詩が決まった時点で作曲の仕事の半分は出来たみたいなもの、なのである。
この曲の場合も、詩が最終的に決するまでに多くの時間を必要とした。
詩を、小説や評論などと共に乱読したのは、私の場合、10代から20代にかけての頃だったように思う。その後も、今に至るまで、年に一度くらいは、新宿の紀伊国屋あたりで何時間も立ち読みをしては、1冊2冊と買い込んできてしまう。
しかし、やはり若い頃に読んだもの程心の中に残っているようで、特に「智恵子抄」は、いつか、作曲してみたい、と思い続けてきた詩である。
「そんなにも、あなたはレモンを待っていた……」の一節は、ずっと私の胸の中にすみついていたような気がする。
光太郎の詩は、決してきれいごとではない、日常生活における生身の人間の、痛切な愛をうたったものである。作曲するにあたって、あらためて「智恵子抄」を読み通し、最終的に選んだ4篇を、彼等夫婦の、人生の景色の順序に従って組曲とした。光太郎の世界にどこめで踏み込めたのかどうか、私にはわからない。しかし、私なりに充実した仕事をさせていただいたという実感は確かにある。
智恵子の作った数々の紙絵の、その見事なかたちと色彩は、今も私の網膜に鮮やかに写っている。時に口汚く声高に夫を罵しるかと思えば、療養地で作りためたそれらの紙絵を、はにかみながらそっと夫に差し出す智恵子の姿が、夫婦の間の、愛憎の葛藤に身を灼かれているようで、何とも痛々しい。
狂気と正気の間を生き抜いた智恵子、それを一緒に生きた光太郎。哀切としかいいようがない。
おわりに、この曲を書かせて下さった平松剛一氏と、感動的な初演をして下さった平松混声合唱団の皆さん、そして出版に御尽力いただいた音楽之友社の市川徹氏に、心からの感謝の意を表する次第である。
ひさしぶりにCDを聴いてみました。
指 揮 : 平松剛一 合唱 : 平松混声合唱団 ピアノ:金井信
第36回定期演奏会は感染症に対策しつつ開催いたします。
曲目
群青(福島県南相馬市立小高中学校平成24年度卒業生/詩) 小田美樹/曲
景色がわたしを見た 寺島尚彦/曲
混声合唱組曲 「レモン哀歌」 より 平吉毅州/曲
カイト 米津玄師/曲
旅立ちの日に 坂本浩美/曲
You Raise Me Up R. Lovlant/曲
瑠璃色の地球 平井夏美/曲
他
平松混声合唱団さんは、昭和57年(1982)に結成されたアマチュア合唱団ですが、これまでに全国合唱コンクール金賞受賞、海外での公演も行うなど、ハイレベルな団です。故・平吉毅州氏による混声合唱組曲「レモン哀歌」は、同団の委嘱作品として作曲され、「あどけない話」、「山麓の二人」、「千鳥と遊ぶ智恵子」、そして「レモン哀歌」の全4曲です。
全4曲の初演は平成5年(1993)。その後、音楽之友社さんから楽譜集、フォンテックさんからCDも発売されました。
楽譜集に掲載された、作曲者、故・平吉毅州氏の言葉「哀切なる,その愛」。
平松混声合唱団の主宰者であり指揮者である平松剛一氏から、新作依嘱のお話をうかがった時、詩は作曲者が選んでよい、とのことだった。
その条件は、作曲する側にとってとても嬉しいことであると同時に、仲々厄介なことでもある。
世の中に、素晴らしい詩は沢山あるのだけれど、いざ、合唱組曲のための……となると、その選択は容易でない。極端な云い方をすれば、詩が決まった時点で作曲の仕事の半分は出来たみたいなもの、なのである。
この曲の場合も、詩が最終的に決するまでに多くの時間を必要とした。
詩を、小説や評論などと共に乱読したのは、私の場合、10代から20代にかけての頃だったように思う。その後も、今に至るまで、年に一度くらいは、新宿の紀伊国屋あたりで何時間も立ち読みをしては、1冊2冊と買い込んできてしまう。
しかし、やはり若い頃に読んだもの程心の中に残っているようで、特に「智恵子抄」は、いつか、作曲してみたい、と思い続けてきた詩である。
「そんなにも、あなたはレモンを待っていた……」の一節は、ずっと私の胸の中にすみついていたような気がする。
光太郎の詩は、決してきれいごとではない、日常生活における生身の人間の、痛切な愛をうたったものである。作曲するにあたって、あらためて「智恵子抄」を読み通し、最終的に選んだ4篇を、彼等夫婦の、人生の景色の順序に従って組曲とした。光太郎の世界にどこめで踏み込めたのかどうか、私にはわからない。しかし、私なりに充実した仕事をさせていただいたという実感は確かにある。
智恵子の作った数々の紙絵の、その見事なかたちと色彩は、今も私の網膜に鮮やかに写っている。時に口汚く声高に夫を罵しるかと思えば、療養地で作りためたそれらの紙絵を、はにかみながらそっと夫に差し出す智恵子の姿が、夫婦の間の、愛憎の葛藤に身を灼かれているようで、何とも痛々しい。
狂気と正気の間を生き抜いた智恵子、それを一緒に生きた光太郎。哀切としかいいようがない。
おわりに、この曲を書かせて下さった平松剛一氏と、感動的な初演をして下さった平松混声合唱団の皆さん、そして出版に御尽力いただいた音楽之友社の市川徹氏に、心からの感謝の意を表する次第である。
ひさしぶりにCDを聴いてみました。
めまぐるしく変わる拍子とテンポ、散りばめられた複雑な和音(時に不協和音)、非常に細かく指示されたディナミーク、いかにも現代音楽ふう、と思いきや、M1「あどけない話」からM4「レモン哀歌」まで一貫してイ短調(終末部はハ長調)、「なるほど」と思いました。
また、平吉氏がこだわったであろう「狂気と正気の間を生き抜いた智恵子」を表すような、不安定な音型が随所に現れ、逆にありのままの智恵子の一切をを包み込む光太郎を表現したであろう部分では、ポリフォニーを避け、ホモホニックな展開。難易度はなかなか高めです。
さて、今回の演奏会。「混声合唱組曲 「レモン哀歌」 より」となっていますので、抜粋での演奏なのでしょう。
会場の渋谷区文化総合センター大和田さくらホールさん、キャパは367席だそうですが、コロナ感染対策として50㌫までの入場制限とのこと。感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運びください。
【折々のことば・光太郎】
四時半頃賢治の会会場にゆく。「生必」二階。余も十五分ばかり話。会衆多し。後鹿踊を前庭にて見る。
昭和22年(1947)9月21日の日記より 光太郎65歳
昭和8年(1933)のこの日に亡くなった宮沢賢治を偲ぶ賢治祭。岩手在住時の光太郎、ほぼ毎年欠かさず参加していました。
「生必」は「生活必需品組合」。戦時中に全国的に組織された、配給等を管轄するためのもののようです。戦後も配給制度が続いたため、まだ存続していたのですね。