1ヶ月程経ってしまいましたが『週刊新潮』さん、4月8日号。漫談の綾小路きみまろさんによる「実況中継 コロナ禍の中高年にエール 公演中止「綾小路きみまろ」が誌上漫談」という記事が載りました。
インタビューを元に、ライターの方がまとめた記事なのでしょうが、コロナ禍の最中でも明るく生きようという提言が基本です。「自粛疲れに負けるな!」というわけで。
例えば「いまは飛沫感染とかで、中高年が声を出して思い切り笑うことすら憚られる状況でしょう。本当はステイホーム中でも笑えばいいんですよ。それこそ、自分の顔を鏡に映して「いやねぇ、こんなにシワが増えちゃって。ウフフ」ってね。それくらい気持ちを軽くしてもらいたいなぁ」。なるほど。
それから「公演が中止や延期に追い込まれた去年の3月以降は、ちょうど畑を耕す時期と重なった。山梨県の富士河口湖町に自宅があるので、そこにこもってカボチャやナス、ニンジン、大根、ニガウリにハーブまで育てるようになりました。(略)種を蒔いて、収穫する頃まで公演が止まっていたので、200坪近い畑を回って愛情込めて育てましたよ。濃厚接触じゃなく“農耕接触”ですね。ある意味で、コロナがそういう時間をもたらしてくれたとも感じます。あなたは十分に駆け足で生きてきたじゃない、ここらでひと休みしなさいよ、と。そう自分のなかで切り替えることができたのがよかった。「ローマの休日」ならぬ“老婆の休日”といったところです」。笑いました。しかし、きみまろさんの農耕生活、ある意味、戦後の光太郎の花巻郊外旧太田村での生活も彷彿とさせられますね。
その中で、光太郎もネタに使って下さいました。
例えば「いまは飛沫感染とかで、中高年が声を出して思い切り笑うことすら憚られる状況でしょう。本当はステイホーム中でも笑えばいいんですよ。それこそ、自分の顔を鏡に映して「いやねぇ、こんなにシワが増えちゃって。ウフフ」ってね。それくらい気持ちを軽くしてもらいたいなぁ」。なるほど。
それから「公演が中止や延期に追い込まれた去年の3月以降は、ちょうど畑を耕す時期と重なった。山梨県の富士河口湖町に自宅があるので、そこにこもってカボチャやナス、ニンジン、大根、ニガウリにハーブまで育てるようになりました。(略)種を蒔いて、収穫する頃まで公演が止まっていたので、200坪近い畑を回って愛情込めて育てましたよ。濃厚接触じゃなく“農耕接触”ですね。ある意味で、コロナがそういう時間をもたらしてくれたとも感じます。あなたは十分に駆け足で生きてきたじゃない、ここらでひと休みしなさいよ、と。そう自分のなかで切り替えることができたのがよかった。「ローマの休日」ならぬ“老婆の休日”といったところです」。笑いました。しかし、きみまろさんの農耕生活、ある意味、戦後の光太郎の花巻郊外旧太田村での生活も彷彿とさせられますね。
その中で、光太郎もネタに使って下さいました。
「たとえ中高年でも、年齢を言い訳にしないで頑張れば……」。当方、きみまろさんと違ってブレイクはしていませんが(笑)、平成24年(2012)の3月、不惑を過ぎてから思い切って前職を辞し、この光太郎顕彰をメインにすることとしました。幸い家族の理解は得られたものの、周囲からは「何を考えているんだ?」という声も少なくありませんでした。しかし、自分の中ではそうすべきだという潮時でして……。
そして約1ヶ月後の5月3日、このブログを始めました。昨日で満9年、1日も休まずに書き続け、今日、10年目に突入。それまで日記などというものは、小中生の頃の宿題で仕方なく書いたことがあった程度でしたが、日記にこだわらず、好きな方面のことを書くのなら出来てしまうのだな、と思っております。誰もほめてくれませんので、自分で自分をほめたいと思います(笑)。まぁ、きみまろさん風に言えば「内容が無いよう」なので、出来てしまったのかも知れませんが(笑)。
さて、この後、何年続きますことやら(笑)。とりあえず引き続きよろしくお願い申し上げます。
【折々のことば・光太郎】
バケツ井戸に落ちる。引揚げられずに終る、
昭和22年(1947)8月25日の日記より 光太郎65歳
光太郎の「あ゙あ゙ー!」という声が聞こえてきそうです(笑)。
写真は蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋脇の井戸。昭和26年(1951)、カメラマンの阿部徹雄による撮影です。