花巻から届きました。
「光太郎の食卓カレンダー」。昨年も発行されましたが、新バージョンで、今月から来年4月までの1年間分です。
各月見開き2ページ、『花巻まち散歩マガジンMachicoco(マチココ)』さんに連載中の「光太郎レシピ」に使われた写真を元に構成されています。
昨年との大きな違いは、まず、大きさ。昨年はA5判で、開いたらA4判でしたが、今年は倍のA4判、開くとA3判となりました。
メニュー的には以下の通り。
料理は、基本、花巻疎開後の光太郎の日記や書簡、随筆、周辺人物の回想文に出てくるものを、現代風にアレンジしたものです。レシピは載っていませんが、元にした文章が各月とも掲載されています。
販売は、昨年オープンした「道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)」さんで店頭販売、それから発行元の「やつかの森LLC」さん(花卷高村光太郎記念会の元職員の方々で作った会社)のサイトから申し込めます。頒価税込800円、送料370円だそうです。
ぜひお買い求めを。
【折々のことば・光太郎】
午後少し横になる。田口弘氏来訪に起こされる。木村知常氏の教子。フイリツピン ジヤヷの話等。
故・田口弘氏は、のちに埼玉県東松山市の教育長を務められました。国内最大級の国際的ウオーキング大会「日本スリーデーマーチ」の東松山市への誘致・運営、東武東上線高坂駅前に延びる「彫刻プロムナード」(やはり光太郎と交流の深かった高田博厚の作品群)整備など、大きな足跡を残されました。
昭和19年(1944)、氏が南方に出征する際、駒込林町のアトリエで光太郎に著書や色紙を贈られました。しかし、氏の乗った輸送船がバシー海峡で撃沈され、氏は命からがらの目に遭います。貰った著書や色紙は海の藻屑となりました。
収容所生活を経ての復員後のこの日、光太郎が蟄居していた花巻郊外旧太田村を訪れ、改めて揮毫をして貰いました。その後も交流は続き、氏が貰った品々、現在は東松山市立図書館さんで、「田口弘文庫 高村光太郎資料コーナー」として無料公開されています。
「光太郎の食卓カレンダー」。昨年も発行されましたが、新バージョンで、今月から来年4月までの1年間分です。
各月見開き2ページ、『花巻まち散歩マガジンMachicoco(マチココ)』さんに連載中の「光太郎レシピ」に使われた写真を元に構成されています。
昨年との大きな違いは、まず、大きさ。昨年はA5判で、開いたらA4判でしたが、今年は倍のA4判、開くとA3判となりました。
メニュー的には以下の通り。
5月 ウコギのホロホロかけご飯
6月 カフェドシトロンとサヤエンドウのサラダ
7月 アカシアの天ぷら
8月 アンチョビサンド
9月 支那料理風甘酢あんかけ
10月 カレイの青葉ソースとキガラチャ飯
11月 林檎とサツマイモのケーキ
12月 ラムチョップ
1月 豚肉とキャベツのケチャップ鍋
2月 イングリッシュブレックファスト
3月 そば粉ガレット
4月 チーズとフキノトウ入り茶碗蒸し
料理は、基本、花巻疎開後の光太郎の日記や書簡、随筆、周辺人物の回想文に出てくるものを、現代風にアレンジしたものです。レシピは載っていませんが、元にした文章が各月とも掲載されています。
販売は、昨年オープンした「道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)」さんで店頭販売、それから発行元の「やつかの森LLC」さん(花卷高村光太郎記念会の元職員の方々で作った会社)のサイトから申し込めます。頒価税込800円、送料370円だそうです。
ぜひお買い求めを。
【折々のことば・光太郎】
午後少し横になる。田口弘氏来訪に起こされる。木村知常氏の教子。フイリツピン ジヤヷの話等。
昭和22年(1947)8月23日の日記より 光太郎65歳
故・田口弘氏は、のちに埼玉県東松山市の教育長を務められました。国内最大級の国際的ウオーキング大会「日本スリーデーマーチ」の東松山市への誘致・運営、東武東上線高坂駅前に延びる「彫刻プロムナード」(やはり光太郎と交流の深かった高田博厚の作品群)整備など、大きな足跡を残されました。
昭和19年(1944)、氏が南方に出征する際、駒込林町のアトリエで光太郎に著書や色紙を贈られました。しかし、氏の乗った輸送船がバシー海峡で撃沈され、氏は命からがらの目に遭います。貰った著書や色紙は海の藻屑となりました。
収容所生活を経ての復員後のこの日、光太郎が蟄居していた花巻郊外旧太田村を訪れ、改めて揮毫をして貰いました。その後も交流は続き、氏が貰った品々、現在は東松山市立図書館さんで、「田口弘文庫 高村光太郎資料コーナー」として無料公開されています。