一昨日、千葉東葛地区の柏市で「熱血の旅行作家 山本鉱太郎展」を拝見して参りましたが、先週は隣接する野田市に行っておりました。行き先は、茂木本家美術館さん。
続けて同じ地域に行ったのは、まったくのたまたまです。この日は、御朱印集めを趣味としている当方の妻が、「野田の櫻木神社さんに行きたい!」と言いだし(というか、前々から言っていたのですが)、じゃあ行くか、ということになって、では近くに茂木本家美術館さんというのがあるはずだから、そちらも、となった次第です。
同館、醤油メーカーのキッコーマンさんの創業家の一つ、茂木家の十二代目・茂木七左衞門氏のコレクションを根幹に、平成18年(2006)に創設された美術館です。光太郎の父・光雲の木彫も常設展示されているらしいという情報を得、以前から行ってみようと思っておりました。
右下に変なものが写っていますが、気にしないで下さい(笑)。
さらに、光雲の孫弟子・宮本理三郎。これも一つの材から彫り出した木彫です。
続けて同じ地域に行ったのは、まったくのたまたまです。この日は、御朱印集めを趣味としている当方の妻が、「野田の櫻木神社さんに行きたい!」と言いだし(というか、前々から言っていたのですが)、じゃあ行くか、ということになって、では近くに茂木本家美術館さんというのがあるはずだから、そちらも、となった次第です。
同館、醤油メーカーのキッコーマンさんの創業家の一つ、茂木家の十二代目・茂木七左衞門氏のコレクションを根幹に、平成18年(2006)に創設された美術館です。光太郎の父・光雲の木彫も常設展示されているらしいという情報を得、以前から行ってみようと思っておりました。
右下に変なものが写っていますが、気にしないで下さい(笑)。
他には、梅原龍三郎、小倉遊亀らの絵画等。
続いて、「ギャラリー1」という部屋。こちらは富士山を描いた日本画、洋画。
おそらく、隣接する茂木家の住宅の一角と思われる稲荷神社があり、受付のお姉さんが「江戸時代の彫刻があるのでご覧下さい」とおっしゃっていましたので、行ってみました。
まずは社殿。漆喰の鏝絵ですね。
脇の手水舎には木彫。
稲荷神社だけに、狐の嫁入り。洒落が利いています。いずれも作者は不明のようですが、名のある職人の手によるものと想像できました。もしかすると、木彫の方は光雲の系譜(高橋鳳雲、高村東雲など)に関連があるかもしれません。
美術館はこんな感じ。眼福でした。
ついでですので、妻が行きたがっていた櫻木神社さん。
当方、その存在を存じませんでしたが、御朱印マニアの間では有名だそうで。
ご神木はその名の通り、桜の老木でした。それも珍しいのかな、と思います。
ご神木の花や、境内各所のソメイヨシノ系は既に散ってしまっていましたが、種類によってはまだ満開の桜も。
それぞれ、コロナ禍には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運びください。
【折々のことば・光太郎】
夕方血がのどから出る。わたのやうな形のものまじる。蒲団をしいて横臥。
明らかに結核の自覚症状があったはずなのですが、診療はかたくなに拒否。ある意味、自殺行為に近いようにも思えます。
続いて、「ギャラリー1」という部屋。こちらは富士山を描いた日本画、洋画。
やはり梅原や、中島千波氏らにまじって、親しくさせていただいている女優の一色采子さんのお父さま、故・大山忠作画伯の絵も。
北斎の「富岳百景」の、まあ、悪く言えばパクリ、よく言えばインスパイアされた広重の浮世絵です。基本、嘉永5年(1852)に出されたものだそうで、この年は光雲の生まれた年です。
途中途中で、光太郎と交流の深かった、舟越保武のブロンズ。
北斎の「富岳百景」の、まあ、悪く言えばパクリ、よく言えばインスパイアされた広重の浮世絵です。基本、嘉永5年(1852)に出されたものだそうで、この年は光雲の生まれた年です。
途中途中で、光太郎と交流の深かった、舟越保武のブロンズ。
まずは社殿。漆喰の鏝絵ですね。
脇の手水舎には木彫。
稲荷神社だけに、狐の嫁入り。洒落が利いています。いずれも作者は不明のようですが、名のある職人の手によるものと想像できました。もしかすると、木彫の方は光雲の系譜(高橋鳳雲、高村東雲など)に関連があるかもしれません。
美術館はこんな感じ。眼福でした。
ついでですので、妻が行きたがっていた櫻木神社さん。
当方、その存在を存じませんでしたが、御朱印マニアの間では有名だそうで。
ご神木はその名の通り、桜の老木でした。それも珍しいのかな、と思います。
ご神木の花や、境内各所のソメイヨシノ系は既に散ってしまっていましたが、種類によってはまだ満開の桜も。
それぞれ、コロナ禍には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運びください。
【折々のことば・光太郎】
夕方血がのどから出る。わたのやうな形のものまじる。蒲団をしいて横臥。
昭和22年(1947)6月17日の日記より 光太郎65歳
明らかに結核の自覚症状があったはずなのですが、診療はかたくなに拒否。ある意味、自殺行為に近いようにも思えます。