今年は東日本大震災から10年。改めて今月書いた記事を読み返してみますと、ほぼ毎日、3.11がらみでした。それだけいろいろな機会で「震災から10年」が取り上げられているということなのですが。

まだ関連情報がいくつかあるのですが、一旦、まとめを付けたく存じます。

3月12日(金)、地方紙『福島民報』さんの一面コラムから。

あぶくま抄 道

 十度目の特別な三月十一日、県内は鎮魂の祈りに包まれた。ある人は式典の会場で、ある人は自宅の遺影の前で、ある人は海岸沿いでこうべを垂れた。震災と原発事故から十一年目の歩みがきょう十二日、始まる。
 〈僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る〉。高村光太郎の詩「道程」の一節が、県民一人一人の姿に重なる。先など見えなかった「あの日」から、自らの足で復興へ向かって歩み始めた。真っすぐな道、曲がりくねった道、細い道-。振り向けば、さまざまな道のりがあり、それぞれに違う足跡がある。
 心ならずも、道を共にできなかった人たちがいる。関連死を含めると県内だけで四千人を超える命が失われた。津波で家族を亡くした南相馬市の男性は言った。「後戻りはしていない。ゆっくりと、自分たちの歩幅で歩いてきた」。大切な人の思いを抱え、ここまで来た。
 「道程」は九行詩が有名だが、初出時は百行を超える作品だった。その中でつづられた言葉が心にしみる。〈むざんな此[こ]の光景を見て 誰がこれを 生命[いのち]の道と信ずるだらう それだのに やつぱり此が生命に導く道だつた〉。悲しみも道を形作った。決して忘れずに、前へ、歩む。
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詩「道程」(大正3年=1914)の、雑誌『美の廃墟』に載った初出形はこちら。時折、ネット上で「「道程」の全文」という紹介の仕方をされていて、閉口しています。102行の形は「初出形」または「初出発表形」。詩集『道程』に収められた9行の形が「最終形」乃至は「最終詩形」。「全文」という語は使わないでいただきたいものです。

閑話休題。「あぶくま抄」、福島の地方紙ですので、福島県民限定のような書き方になっていますが、広く震災被災地全てにあてはまる提言として読みたいものです。「悲しみも道を形作った。決して忘れずに、前へ、歩む。」、まさに、そのとおりですね。

【折々のことば・光太郎】

勝治さん雪の上に熊の足あとらしきものありといふにつき一緒に出てみる。小屋の傍也。余の見るところにてはスルガさんの子供のツマゴの足あとなり。

昭和22年(1947)3月1日の日記より 光太郎65歳

「勝治さん」は、光太郎に花巻郊外旧太田村移住を勧めた分教場の教師、「スルガさん」は光太郎に山小屋の土地を提供した村の顔役です。「ツマゴ」は藁靴、たしかに熊の足跡に見えるかも知れませんね。実際、現代でも山小屋周辺は熊がうろうろしています。