3件ほど。
まず、当会会友・渡辺えりさんご出演の番組。
劇作家・演出家・女優として活躍する渡辺えりさん。山形の両親が認知症で、月に1回は地元に帰り、会うようにしてきた。自分を励まし続けてくれた両親への思いをうかがう。
さらにご自身の工場が空襲の危機にさらされた時は、光太郎詩「必死の時」(昭和16年=1941)を口ずさんで恐怖を紛らわせたとのこと。
戦後、山形に帰られた正治氏、光太郎が山形で講演をするというので、入院なさっていたえりさんのお母さま・京子さんを無理くり連れ出して、講演会場に。光太郎と再会を果たしました。昭和25年(1950)のことです。
その後、えりさんがご誕生。幼い頃から光太郎詩や、同じく東北出身の宮沢賢治の童話などを聞かされて育ったそうで、そのあたりはこれまでもたびたび語られています。
お父さまが戦時中に光太郎から直接貰った署名本(『詩集道程再訂版』昭和20年=1945)、戦後に光太郎から送られた葉書は、えりさんを通じて花巻高村光太郎記念館さんに寄贈されています。
現在はご両親共々施設に入所されているそうですが、コロナ禍のため面会もできないそうで、えりさん、先月放映されたNHK短歌で、そうしたお話をなさっていました。また、先週の『朝日新聞』さんでも、「他県からの来県者は14日間現地に滞在し、検査を受けて陰性と判定されなければ面会出来ない」状況だと語られていました。これはつらいですね。
今回もそういったお話が出るのでしょう。ぜひ光太郎とお父さまのエピソードもご紹介いただきたいところですが。
ちなみにえりさん、2本同時収録だったようで、前日(1月26日(火))の同じ「ハートネットTV」にもご出演されますが、予告に依れば、この日の放映は松島トモ子さんのお話がメインのようです。
続いては、光太郎と交流のあった宮沢賢治がらみで。NHKBSプレミアム 2021年1月23日(土)
前編 23時52分~25時22分
後編 25時22分~26時53分(=1/24午前1時22分~2時53分)
「宮沢賢治には、恋焦がれるように慕った同い年の男性がいた」。「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」などの代表作誕生の背景に、一人の男性との深い交流が明らかになる。残された賢治の手紙、ノート、資料を改めて読み解き、新たな宮沢賢治像を浮き彫りにする意欲的なドキュメンタリー作品。案内役に俳優・向井理を迎え、賢治の思索の行程を追体験する。岩手の美しい景色やドラマを織り交ぜ、賢治の心の風景に迫った。
「恋焦がれるように慕った同い年の男性」は、山梨出身の保阪嘉内。賢治と盛岡高等農林学校時代の同級生で、文芸同人誌『アザリア』の仲間でもあり、賢治と保阪は、賢治童話の代表作の一つ「銀河鉄道の夜」のジョバンニとカムパネルラに比定されたりもしています。
賢治から保阪宛の書簡は、山梨県立文学館さんに所蔵されており、平成28年(2016)には「特設展 宮沢 賢治 保阪嘉内への手紙」が同館で開催されました。その際の関連行事の一つが、えりさんの講演でした。お父さまに光太郎の様子を見てきてくれと頼んだ同僚の方が、保阪と同じ山梨ご出身だったそうで。
えりさんのお父さま同様、光太郎を敬愛していた賢治ですが、そのあたりの話が出るかどうか……といったところです。
最後に、1月14日(木)に初回放映のあった「にほんごであそぼ」の再放送。
日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら『日本語感覚』を身につける番組。言葉を覚え始めるお子さんから大人まで、あらゆる世代の方を対象に制作しています。
今週は、日本全国いいとこコンサート 新潟・村上!曲「ドゥーララ」作詞:千晴 作曲:千晴・木下航志・三浦大知、「汽車」作曲:大和田愛羅、「ベベンの冬が来た」詩:高村光太郎 作曲:うなりやべベン、「たまげた駒下駄東下駄」作詞・作曲:国本武春
うなりやベベンこと、故・国本武春さんによる「ベベンの冬が来た」。音楽は昔のものの使い回しでしたが、映像は新たなテイクのようでした。
それから、光太郎の姉貴分・与謝野晶子が登場。やけに可愛らしい晶子でした(笑)。それも3人(笑)。
新潟で詠まれた晶子の短歌などが紹介されました。
それぞれ、ぜひご覧下さい。
まず、当会会友・渡辺えりさんご出演の番組。
ハートネットTV リハビリ・介護を生きる「心を届けたい 渡辺えり」
NHK Eテレ 2021年1月27日(水) 20時00分~20時30分劇作家・演出家・女優として活躍する渡辺えりさん。山形の両親が認知症で、月に1回は地元に帰り、会うようにしてきた。自分を励まし続けてくれた両親への思いをうかがう。
番組内容
渡辺えりさんを招く。山形に暮らす母に異変が起きたのは15年ほど前。その後、父も認知症と診断された。今では二人とも施設にいるが、どんなに忙しくても月に1回は山形に帰り、会うようにしてきた。幼いころ、母が話す昔話や、父が読んでくれる宮沢賢治の童話が好きで、それが演劇人生の原点になったという。自分の舞台を楽しみにして、励まし続けてくれた両親への思いと、新型コロナにより思うように会えない苦労について語る。
出演者 ゲスト 渡辺えり 松島トモ子
司会 中野淳
お父さまの渡辺正治氏は、戦時中、中島飛行機(現・スバル)の武蔵野工場に勤務していらっしゃいました。昭和20年(1945)3月13日の東京大空襲の後、光太郎に心酔していた先輩の頼みで、駒込林町の光太郎アトリエ兼住居が無事かどうか確認にいかれたとのこと。幸い、3月の空襲では光太郎アトリエは無事で(4月の空襲で全焼)、光太郎にも会えたそうです。さらにご自身の工場が空襲の危機にさらされた時は、光太郎詩「必死の時」(昭和16年=1941)を口ずさんで恐怖を紛らわせたとのこと。
戦後、山形に帰られた正治氏、光太郎が山形で講演をするというので、入院なさっていたえりさんのお母さま・京子さんを無理くり連れ出して、講演会場に。光太郎と再会を果たしました。昭和25年(1950)のことです。
その後、えりさんがご誕生。幼い頃から光太郎詩や、同じく東北出身の宮沢賢治の童話などを聞かされて育ったそうで、そのあたりはこれまでもたびたび語られています。
お父さまが戦時中に光太郎から直接貰った署名本(『詩集道程再訂版』昭和20年=1945)、戦後に光太郎から送られた葉書は、えりさんを通じて花巻高村光太郎記念館さんに寄贈されています。
現在はご両親共々施設に入所されているそうですが、コロナ禍のため面会もできないそうで、えりさん、先月放映されたNHK短歌で、そうしたお話をなさっていました。また、先週の『朝日新聞』さんでも、「他県からの来県者は14日間現地に滞在し、検査を受けて陰性と判定されなければ面会出来ない」状況だと語られていました。これはつらいですね。
今回もそういったお話が出るのでしょう。ぜひ光太郎とお父さまのエピソードもご紹介いただきたいところですが。
ちなみにえりさん、2本同時収録だったようで、前日(1月26日(火))の同じ「ハートネットTV」にもご出演されますが、予告に依れば、この日の放映は松島トモ子さんのお話がメインのようです。
続いては、光太郎と交流のあった宮沢賢治がらみで。
映像詩 宮沢賢治 銀河への旅~慟哭の愛と祈り~
前編 23時52分~25時22分
後編 25時22分~26時53分(=1/24午前1時22分~2時53分)
「宮沢賢治には、恋焦がれるように慕った同い年の男性がいた」。「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」などの代表作誕生の背景に、一人の男性との深い交流が明らかになる。残された賢治の手紙、ノート、資料を改めて読み解き、新たな宮沢賢治像を浮き彫りにする意欲的なドキュメンタリー作品。案内役に俳優・向井理を迎え、賢治の思索の行程を追体験する。岩手の美しい景色やドラマを織り交ぜ、賢治の心の風景に迫った。
【ナビゲーター】向井 理
【出演】中川光男 鹿野宗健 太田いず帆 岩崎鬼剣舞保存会
【語り】斉藤茂一
【朗読】松下由樹
【音楽】加古 隆
平成30年(2018)12月、NHK BS4K開局記念に制作された番組が、通常のBS放送で放映されます。「恋焦がれるように慕った同い年の男性」は、山梨出身の保阪嘉内。賢治と盛岡高等農林学校時代の同級生で、文芸同人誌『アザリア』の仲間でもあり、賢治と保阪は、賢治童話の代表作の一つ「銀河鉄道の夜」のジョバンニとカムパネルラに比定されたりもしています。
賢治から保阪宛の書簡は、山梨県立文学館さんに所蔵されており、平成28年(2016)には「特設展 宮沢 賢治 保阪嘉内への手紙」が同館で開催されました。その際の関連行事の一つが、えりさんの講演でした。お父さまに光太郎の様子を見てきてくれと頼んだ同僚の方が、保阪と同じ山梨ご出身だったそうで。
えりさんのお父さま同様、光太郎を敬愛していた賢治ですが、そのあたりの話が出るかどうか……といったところです。
最後に、1月14日(木)に初回放映のあった「にほんごであそぼ」の再放送。
にほんごであそぼ「日本全国いいとこコンサート 新潟・村上(4)」
NHK Eテレ 2021年1月28日(木) 6時35分~6時45分 再放送 17時00分~17時10分日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら『日本語感覚』を身につける番組。言葉を覚え始めるお子さんから大人まで、あらゆる世代の方を対象に制作しています。
今週は、日本全国いいとこコンサート 新潟・村上!曲「ドゥーララ」作詞:千晴 作曲:千晴・木下航志・三浦大知、「汽車」作曲:大和田愛羅、「ベベンの冬が来た」詩:高村光太郎 作曲:うなりやべベン、「たまげた駒下駄東下駄」作詞・作曲:国本武春
出演 神田山陽(三代目),おおたか静流,ラッキィ池田,中尾隆聖 ほか
うなりやベベンこと、故・国本武春さんによる「ベベンの冬が来た」。音楽は昔のものの使い回しでしたが、映像は新たなテイクのようでした。
それから、光太郎の姉貴分・与謝野晶子が登場。やけに可愛らしい晶子でした(笑)。それも3人(笑)。
新潟で詠まれた晶子の短歌などが紹介されました。
それぞれ、ぜひご覧下さい。
【折々のことば・光太郎】
ひる過ぎ雪かき。附近の雪からあらはれた田の畔などを見てあるきたるに蕗の薹を発見五、六個とり来る。一個試みに刻みて一寸塩もみして醤油かけてたべてみる。香気芳烈、味にがみ強けれどよろし。
昭和21年(1946)3月25日の日記より 光太郎64歳
初めて自分でフキノトウを収穫。この後、フキノトウは光太郎の好物の一つとなっていきます。岩手の山中では3月末なのですね。当方自宅兼事務所のあるあたりでは、そろそろ出てくるかな、という感じですが。