岐阜県から展覧会情報です

第82回企画展「どうぶつ集合!」

期 日 : 2021年1月7日(木)~3月14日(日)
会 場 : 大垣市守屋多々志美術館 岐阜県大垣市郭町2丁目12番地
時 間 : 9:00~17:00
休 館 : 毎週火曜日(2月23日(祝)は開館)、1月13日(水)、2月12日(金)、2月24日(水)
料 金 : 一般 300円(団体20人以上 半額150円) 18歳未満 無料

 市の栄誉市民であり、文化勲章受章者として郷土が誇る日本画家守屋多々志は、歴史画の第一人者として活躍しました。大垣市守屋多々志美術館は、守屋画伯の作品や資料を紹介する美術館として、平成13年7月28日に開館しました。
 この美術館は、守屋家と株式会社大垣共立銀行の協力によって、同銀行郭町ビルの改修後、市が無償で借り受け暫定的に整備したものです。
 作品保存の難しい日本画作品のため、常設展示は行っておりませんが、3,300点の作品と資料を整理しつつ、2ヶ月ごとに入れ替えて展示し、多くの作品をご覧いただけるように企画展や特別展でご紹介しています。
 美術館は、大垣駅南口から徒歩10分の市の中心地にあります。多くの皆様に守屋多々志の作品を鑑賞していただき、美術に親しんでいただければ幸いです。

「馬を描くことは誰にも負けぬ」と守屋が自負したとおり勇壮でいきいきとした駆ける馬、異国に嫁ぐ王女を背に誇らしげな《繭の傳説》のラクダ、《萩の宿》の夜の静寂を表す猫、《桃太郎》のお供に加わり得意顔の猿や忠心の犬など、名脇役となった動物が描かれた作品を集め展示します。
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日本画家の守屋多々志(大正元年=1912~平成15年=2003)。当方、寡聞にして存じませんでした。調べてみましたところ、東京美術学校卒ですので、科は違えど光太郎の後輩に当たります。日本美術院に属し、法隆寺の金堂壁画、高松塚古墳の壁画模写などにも加わっています。平成13年(2001)には文化勲章も授与されていました。

で、今回の展覧会の出品作に「智恵子と光太郎」と題した絵が含まれています。
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昭和9年(1934)、千葉県九十九里浜での光太郎と智恵子ですね。なぜ「どうぶつ集合!」に光太郎智恵子? と思ったところ、主な展示品解説のページに答えがありました。

《智恵子と光太郎》(1993年、大垣市蔵)
 こちらは1993年、守屋が81歳の時に描いた《智恵子と光太郎》という作品です。日本近代詩の礎を築いた高村光太郎と、その妻で画家の高村智恵子を描いています。
 智恵子は大学を卒業後、女性洋画家として活躍する中で光太郎と出会い、創作活動にますます打ち込むようになります。しかし、昭和6~7年ごろに酒造業を営む実家が破産し、家族が散り散りになってしまいました。その頃、智恵子自身も画家としてスランプに陥るなど、精神的に弱り切ってしまったことから健康を害してしまい、その後の闘病も虚しく昭和13年に亡くなりました。智恵子の死後、光太郎はふさぎこんだ生活を送りますが、昭和16年に妻に関する詩集『智恵子抄』を刊行します。
 この作品の場面は、智恵子が昭和9年5月から12月にかけ療養した九十九里浜の真亀海岸だといいます。この地で「千鳥と遊ぶ智恵子」、「風に乗る智恵子」などが詠まれました。初夏の日差しが、やわらかい色調で二人を包んで降り注いでいます。精神を病んだ智恵子はまるで幼女のように無邪気な様子で描かれています。光太郎も足元の小さな蟹を見つめ、智恵子と過ごす時間を穏やかに見守っているようです。

「足元の小さな蟹」だそうで。また、よく見ると左上の方には千鳥の足跡らしき点々も。

守屋は歴史画を得意としたということで、智恵子の九十九里浜療養も、ある意味、歴史の一コマといえるかも知れませんね。ちなみにこの作、平成5年(1993)に開催された第48回春の院展出品作だそうです。

近くでの開催でしたら飛んでいく所ですが……。お近くの方、コロナ禍には十分お気を付けつつ、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

勝治さんの話では昨朝は零下20度なりし由。今朝は零下十度との事。

昭和21年(1946)1月31日の日記より 光太郎64歳

「勝治さん」は、光太郎を花巻郊外太田村に招いた、分教場の教師です。

何気に書いてありますが、「零下20度」……トホホです(笑)。