いろいろあった2020年も、今日で終わりです。明日から2021年、丑年です。そこで『北海道新聞』さん、12月24日(木)の記事から。

良い年願い「丑」揮毫 札南高生、28日からオンライン配信

 札幌南高の生徒は28日から来年1月4日まで、書道パフォーマンスをオンラインで配信する。毎年、札幌駅前通地下歩行空間(チカホ)で公開してきたが、今年は新型コロナウイルス感染拡大を受け中止し、パフォーマンスの様子を事前に同高で収録した。生徒たちが幅4~5メートルの特大和紙に、来年のえとの丑(うし)や人気漫画「鬼滅の刃」に出てくるせりふを力強く揮毫(きごう)する様子を見ることができる。
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 今年で10回目。書道と美術、吹奏楽の3部と放送局の生徒計35人が同高で数日に分けて収録し、15分の動画に編集した。はかま姿の生徒たちは「はい」とかけ声をかけながら、高村光太郎の詩の一節「牛は大地をふみしめて歩く」や、「鬼滅の刃」の作中のせりふ「一緒に頑張ろうよ 戦おう」などの言葉を書き上げた。動画には吹奏楽部が演奏した「鬼滅」のテーマ曲も合わせて流す。
 書道部長の2年三木優奈さん(17)は「コロナで大変な日々ですが、牛のようにゆっくりとでも前に歩こうとの思いを込めた」と話した。

 28日から、同高のホームページで無料視聴できる。チカホ北3条交差点広場では同日、同じ動画を上映するほか、29日~4日に高村の詩の一節を書いた作品を展示する。
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「コロナに負けず」ということで、若い人たちが光太郎詩を揮毫して下さっている姿を観て、不覚にも涙が出そうになりました(笑)。
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001詩「牛」全文はこちら。大正2年(1913)の作で、全115行の大作です。旧態依然の日本彫刻界と訣別し、この年、婚約を果たした智恵子と共に、新しい芸術を日本に根付かせようという決意を固めた頃のものです。しかし、それは決して容易なことではないとわかっており、それでも「牛」のように一歩ずつ、というところでしょうか。

光太郎、自らを牛にたとえた例は他にもあり、戦後の昭和24年(1949)には、「おれはのろまな牛(べこ)こだが じりじりまつすぐにやるばかりだ。」という一節を含む「鈍牛の言葉」を書いていますし、同じ年には「岩手の人」という詩で「岩手の人沈深牛の如し。」としています。自らもそうありたいという願いが裏側にあるようにも読めます。光太郎自身は未(ひつじ)年の生まれですが(笑)。

コロナ対策にしても、そしてこの世の全ての事柄も、「牛」のように一歩ずつ、ということになりましょう。2021年、皆様にとって、一歩ずつでも進んでいく、良い年でありますように。

【折々のことば・光太郎】

今日もシラミ退治ツヅキ。下着全部とりかへる、数百匹を捕獲す。シヤツ類はコンロへバケツをかけてにる。


昭和20年(1945)12月24日の日記より 光太郎63歳

真冬、雪で覆われた山小屋でもシラミ禍に悩まされていました。こうして花巻郊外旧太田村での昭和20年が暮れてゆきました。

下の画像は、花巻高村光太郎記念会さんのサイトから。2週間ほど前の高村山荘です。
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