ほぼ毎年、同様のご紹介をしていますが、光太郎智恵子ゆかりの地での初日の出情報をまとめてみました。
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最初に
大正元年(1912)、光太郎智恵子が愛を確かめ合った、千葉銚子の犬吠埼

2021年銚子市初日の出インフォメーション

初日の出時刻 午前6時46分頃
関東最東端の犬吠埼は、山頂・離島を除き日本で一番早く初日の出を見ることができます。
元旦は、犬吠埼周辺の海岸で雄大な大海原と荒磯に砕ける波や白亜の灯台がおりなす美しい風景とともに、新年の誓いを立ててみてはいかがでしょうか。
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新型コロナウイルス感染拡大防止のため、マスク着用、手指の消毒、3密の回避など感染防止対策のご協力をお願いいたします。また、発熱のある方や体調の優れない方の来銚はお控えください。
元日の未明は、初日の出にお越しになる自動車で相当の混雑が予想されるため、犬吠埼周辺道路において交通規制を行います。詳しくは「2021年銚子市初日の出情報」内の「初日の出マップ」をご覧ください。また、危険防止のため犬吠埼灯台前園地の一部と遊歩道を立入禁止といたします。

今年は、例年実施していた「初日の出ハッピーバルーンリリース」に代わり、元日から3日間、「新型コロナ収束祈念ハッピーバルーンフォトCHOSHI」として、市内6カ所にバルーンオブジェの展示を行います。市内各所を巡り、「CHOSHI」を完成させてください。
展示箇所については「2021年銚子市初日の出情報」内の「2021年年始イベント情報」をご覧ください。また、その他各店舗の情報についても、広告欄に掲載しています。
元日オープン情報
銚子ポートタワー 開館:午前6時から
(注意)午前6時から午前7時の間は、入場先着100名限定となります。
地球の丸く見える丘展望館 開館:午前5時30分から
(注意)午前5時30分から午前7時の間は、入場先着200名限定となります。
犬吠テラステラス 開店:午前7時から

当方はこのところ毎年、銚子より少し南に下った九十九里町真亀で初日の出を拝んでいます。昭和9年(1934)、心を病んだ智恵子が約半年間療養し、毎週のように光太郎が見舞いに訪れた地です。例年ですと九十九里町元旦祭が開催されていたのですが、例によってコロナ禍で中止となりましたが……。
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続いて、智恵子の故郷・福島二本松。『広報にほんまつ』の2021年1月1日号(既にネット上にアップされています)から。

二本松城本丸跡で迎える初日の出

1月1日・元旦、初日の出を迎えようと、二本松城本丸跡には毎年市内外からたくさんの人が訪れます。暗闇から一変、東方の阿武隈山地から太陽が姿を現すと、眼下には市街地が広がり、その見晴らしは絶景です。ぜひ一度足を運んでみてください。
※駐車場には限りがあります
※日の出は午前6時45分頃の予定です。
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最後に、この時期、富士山頂から日が昇る「ダイヤモンド富士」で有名な、山梨県南巨摩郡富士川町上高下(かみたかおり)地区。昭和17年(1942)、日本文学報国会の事業「日本の母顕彰」のため光太郎が訪れ、光太郎文学碑も建てられています。
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今月21日のNHKさんのニュースから

冬至 見事なダイヤモンド富士

21日は冬至です。
例年冬至の日の頃から元旦ごろにかけて、富士山の頂上付近に太陽の光が輝いてみえる「ダイヤモンド富士」が見られる富士川町のスポットでは、21日朝、見事なダイヤモンド富士が見られました。
富士川町の高下地区は、例年冬至の日の頃から元旦ごろまで、日の出の太陽の光が富士山頂付近でダイヤモンドのように輝いて見える「ダイヤモンド富士」のスポットとして知られています。
21日朝も、絶景を撮影しようと、夜明け前から県内外の写真愛好家などが訪れました。
午前6時半ごろから東の空が明るくなり、午前7時20分すぎに雲1つない富士山の山頂から朝日が昇ると、まばゆい光が輝いてダイアモンド富士となりました。
カメラを構えていた人たちは一斉にシャッターを切り、一瞬の美しさを切り取っていました。
富士吉田市から来た男性は「初めて来ましたが、自分なりに満足のいくものが撮れました」と話していました。
また、毎年訪れているという新潟県三条市の男性は、写真の出来栄えについて「まだまだです」などと話していました。
富士川町高下地区のダイヤモンド富士は、来年の元旦ごろまで見られるということです。
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こうした場所で見るのも一興、そうでなくても各地で初日の出はあまねく起こります。コロナ禍収束を願う意味でも、ぜひ祈りを込めてご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

夕方戸来恭三さんランプを持つてきてくれる。院長さんのたのみの由、石油一瓶針金も持参、贈与の由、 夜ランプをつける。

昭和20年(1945)11月23日の日記より 光太郎63歳

「戸来恭三さん」は山小屋のある旧太田村山口地区の住民。「院長さん」は佐藤隆房です。この日から、昭和24年(1949)までの3年以上、電気のないランプ生活を送りました。
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