新刊です。
歌人番外列伝|異色歌人逍遥
2020年11月16日 塩川治子著 短歌研究社 定価2,500円+税「この一集は塩川さんのウィットに富む眼差しにより、信濃はもとより日本の歴史、文化をより豊かに語り伝える才筆の一集である」(春日真木子・序)
他分野で名を成すとともに、独自の歌境を切り拓いた二十世紀の「番外歌人」たち。
歴史上の人物が残した歌を辿る「異色歌人逍遥」。
多くの文化人が集った軽井沢に居を構えて四十余年、数々の交流の思い出も交えつつ、歌集を繙いてゆく────
目次
序 春日真木子
光太郎を始め、いわゆる専門の「歌人」ではない人々の短歌を紹介し、論評を加えています。元々雑誌『雅歌』に連載されていたもののようですが、存じませんでした。
光太郎の項は「白斧の人──高村光太郎」という小題。「白斧」は、昭和23年(1943)に刊行された光太郎歌集の題名です。上記目次脇にスペースが出来てしまったので画像を載せておきました。上は通常版、下は特製限定本(850部)です。特製限定本には光太郎の揮毫を写真製版したページが4ページ。一番下の画像がそのうちの1ページで、明治39年(1906)、留学のため渡米する船中で詠んだ「地を去りて七日十二支六宮のあひだにものの威を思ひ居り」が書かれています。
『白斧』という題名は、明治37年(1904)の『明星』にに載った短歌35首の総題から採られました。総題を付けたのはおそらく鉄幹与謝野寛ですが、元としたのは「刻むべき利器か死ぬべき凶器(まがもの)か斧の白刃(しらは)に涙ながれぬ」。
さて、「白斧の人──高村光太郎」。この「刻むべき……」に始まり、明治末から晩年までの20首ほどを取り上げつつ、光太郎の歩みを簡略に紹介しています。短歌はその名の通り短いので、それらを引きつつ生涯を俯瞰するというのは、紙幅もそれほど取らずにすむので、なるほどと思いました。これが詩ですとそうはいかないでしょう。
特に目新しいことは書かれていなかったのですが、ただ、引用されている短歌に、『高村光太郎全集』等にみあたらないものが1首。
いたづらに世にながらへて何かせむこの詩ひとつに如かずわが歌
というものですが、当方、存じませんでした。出典や初出掲載紙といった情報が書かれておらず、何かご存じの方はご教示いただければ幸いです。
【折々のことば・光太郎】
午前六時24分花巻駅発盛岡行。細雨。
終戦からまだ10日ですが、早くも講演を頼まれ、初めて盛岡に行きました。この際に見た岩手山の印象が、詩「岩手山の肩」(昭和22年=1947)に反映されているのではないかと思われます。
目次
序 春日真木子
【歌人番外列伝】
一 回生の人──鶴見和子
二 越しびと──片山廣子
三 孤涯の人──小林昇
四 琉球の女──久志富佐子
五 不知火の人──石牟礼道子
六 博士の面影──河上肇
七 歌あらば──二人の死刑囚
八 剣に代ふる──尾崎咢堂
九 歌の孤立者──大熊信行
十 白斧の人──高村光太郎
十一 涙の歌人──堀口大学
十二 夢のうたびと──福永武彦
十四 科学者の憂い──湯川秀樹
十五 土佐の女──大原富枝
十六 理論と詩──石原純
十七 ラケットをもった貴婦人──朝吹磯子
十八 知の巨人の愛──加藤周一
十九 ざんげ歌の哀しみ──小原保
二十 実りのひとつ──宮沢賢治
二十一 農民とともに──若月俊一
二十二 太陽でありたかった女──平塚らいてう
二十三 この世の外──大伴道子
二十四 火の国の女──高群逸枝
二十五 忍ぶ女ひと ──津田治子
二十六 ロマンの人──中河与一
二十七 叫ばむとして──宇佐見英治
二十八 残夢──徳富蘇峰
三十 草雲雀の人──立原道造
【異色歌人逍遥】
一 紫式部
二 源実朝
三 樋口一葉
四 只野真葛
五 本居宣長
六 高井鴻山
七 賀茂真淵
八 上田秋成
九 道元
十 良寛
あとがき
光太郎を始め、いわゆる専門の「歌人」ではない人々の短歌を紹介し、論評を加えています。元々雑誌『雅歌』に連載されていたもののようですが、存じませんでした。
光太郎の項は「白斧の人──高村光太郎」という小題。「白斧」は、昭和23年(1943)に刊行された光太郎歌集の題名です。上記目次脇にスペースが出来てしまったので画像を載せておきました。上は通常版、下は特製限定本(850部)です。特製限定本には光太郎の揮毫を写真製版したページが4ページ。一番下の画像がそのうちの1ページで、明治39年(1906)、留学のため渡米する船中で詠んだ「地を去りて七日十二支六宮のあひだにものの威を思ひ居り」が書かれています。
『白斧』という題名は、明治37年(1904)の『明星』にに載った短歌35首の総題から採られました。総題を付けたのはおそらく鉄幹与謝野寛ですが、元としたのは「刻むべき利器か死ぬべき凶器(まがもの)か斧の白刃(しらは)に涙ながれぬ」。
さて、「白斧の人──高村光太郎」。この「刻むべき……」に始まり、明治末から晩年までの20首ほどを取り上げつつ、光太郎の歩みを簡略に紹介しています。短歌はその名の通り短いので、それらを引きつつ生涯を俯瞰するというのは、紙幅もそれほど取らずにすむので、なるほどと思いました。これが詩ですとそうはいかないでしょう。
特に目新しいことは書かれていなかったのですが、ただ、引用されている短歌に、『高村光太郎全集』等にみあたらないものが1首。
いたづらに世にながらへて何かせむこの詩ひとつに如かずわが歌
というものですが、当方、存じませんでした。出典や初出掲載紙といった情報が書かれておらず、何かご存じの方はご教示いただければ幸いです。
【折々のことば・光太郎】
午前六時24分花巻駅発盛岡行。細雨。
昭和20年(1945)8月25日の日記より 光太郎63歳
終戦からまだ10日ですが、早くも講演を頼まれ、初めて盛岡に行きました。この際に見た岩手山の印象が、詩「岩手山の肩」(昭和22年=1947)に反映されているのではないかと思われます。