最近いただいた書籍、2点ご紹介します。

まず、文芸同人誌『青い花』第95号。詩人で朗読等の活動もなさっている宮尾壽里子様から。
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これまでも光太郎智恵子に関するエッセイや論考等を同誌にたびたび寄稿なさっていて、今号もエッセイ「巴里 パリ PARIS(三)」が掲載されています。
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昨年の6月、フランスに行かれたそうで、そのレポートです。明治41年(1908)から翌年にかけ、光太郎が暮らしたカンパーニュ・プルミエルのアトリエや、詩「雨にうたるるカテドラル」(大正10年=1921)に謳ったノートルダム大聖堂などが取り上げられています。

奥付がこちら。
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もう1冊、作曲家の仙道作三氏から『音響詩人 宮沢賢治』。氏は平成元年(1989)、オペラ「智恵子抄」なども作曲なさっています。
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音楽家の眼から見た賢治、というコンセプトで、特にコロナ禍の今こそ賢治作品だ、的な。光太郎智恵子にもちらっと触れて下さっています。
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装画はお嬢さんでパーカッショニストの仙道さおりさん。コロナ禍の今、ということでアマビエ様です。
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奥付はこちら。
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それぞれご入用の方、奥付画像をご参照の上、ご対応下さい。

【折々のことば・光太郎】

午前、西鉛奥の部落からマタギが来る、熊の膽をかつた事のある人。熊の話などきく。

昭和20年(1945)8月3日の日記より 光太郎63歳

「西鉛」は、6月に滞在した西鉛温泉。その際に知り合ったマタギが、光太郎疎開先の宮沢家に訪ねてきたということでしょう。マタギや熊、そして鉛温泉は賢治の童話「なめとこ山の熊」にも登場します。

一週間後の8月10日には、花巻空襲。7月からたびたび空襲警報のサイレンが鳴ったことが日記に記されていますが、まだ呑気に構えていました。バッハの「ブランデンブルグ」レコード(賢治の遺品でしょうか)を聴いたり、賢治実弟の清六らと映画鑑賞に出かけたり……。