来年の丑年を前に、光太郎の父・光雲による牛の木彫が出品される(されている)企画展を2件ご紹介します。
まず、埼玉で来週からのもの。
まず、埼玉で来週からのもの。
遠山記念館 コレクション展 2
期 日 : 2020年12月5日(土)~2021年1月24日(日)
会 場 : 遠山記念館 埼玉県比企郡川島町白井沼675
時 間 : 10:00〜16:30
休 館 : 月曜日 祝祭日の場合は開館、翌日休館
年末年始(12月22日(火)~1月5日(火))
年末年始(12月22日(火)~1月5日(火))
料 金 : 大人 800円(640円) 学生(高校・大学)600円(480円)
※中学生以下は無料 ( )内は20名以上の団体料金
※障害者手帳をお持ちの方は200円割引
遠山記念館の所蔵品の中から、狩野晴川院養信「源氏物語子の日図」、仁阿弥道八「黒楽銀彩猫手焙」をはじめとし、干支にちなんだ彫刻や小袖類など、新春を迎えるのにふさわしい美術品を展示します。
また大河ドラマの主人公である明智光秀が所持したと伝えられる、「青磁香炉 銘 浦千鳥」を公開します。
光雲木彫は、ずばり「牛」。大正2年(1913)の作だそうですが、当方、見たことがありません。画像も初めて見ました。
遠山記念館さん、たまたま先月に行ったのですが、光雲作品も所蔵しているというのも存じませんでした。ぜひ見に行かねばと思っております。
木目の紋様が牛の筋肉のようで、見事な表現です。それから、おそらく台座から本体まで同じ材で繋がっている一木造りでしょう。
他に仁阿弥道八の陶製の猫や、香川勝慶の金工による鼠など、愛らしい作品群。猫は13番目に神様の所に行ったので、干支には入れてもらえなかったはずなのですが(笑)。
ロビーには、光太郎の親友だった碌山荻原守衛の「女」も展示されています。
もう1件、栃木から。上記の展覧会の情報を得て、「あ、そういえば、あそこでも出すかも」と思って調べたらそのとおりでした。というか、すでに始まっていました。
光雲木彫は、ずばり「牛」。大正2年(1913)の作だそうですが、当方、見たことがありません。画像も初めて見ました。
遠山記念館さん、たまたま先月に行ったのですが、光雲作品も所蔵しているというのも存じませんでした。ぜひ見に行かねばと思っております。
木目の紋様が牛の筋肉のようで、見事な表現です。それから、おそらく台座から本体まで同じ材で繋がっている一木造りでしょう。
他に仁阿弥道八の陶製の猫や、香川勝慶の金工による鼠など、愛らしい作品群。猫は13番目に神様の所に行ったので、干支には入れてもらえなかったはずなのですが(笑)。
ロビーには、光太郎の親友だった碌山荻原守衛の「女」も展示されています。
もう1件、栃木から。上記の展覧会の情報を得て、「あ、そういえば、あそこでも出すかも」と思って調べたらそのとおりでした。というか、すでに始まっていました。
第4回 佐野東石美術館開館40周年記念「木彫の美」
期 日 : 2020年10月19日(月)~12月20日(日)
会 場 : 佐野東石美術館 栃木県佐野市本町2892
時 間 : 10:00~17:00
初代館長菊池登の愛した木彫を中心に、二代館長菊池義明、三代館長菊池宏行の蒐集した三代にわたる木彫コレクションを一堂に展示いたします。近世の円空仏から近現代の高村光雲、石川光明、山崎朝雲、佐藤玄々(朝山)、平櫛田中、澤田政廣、圓鍔勝三、長谷川昂、橋本堅太郎、現在活躍中の神保雅など選りすぐりの作品をご覧いただけます。人と自然の共生の中で生まれた芸術、木彫の美をどうぞご高覧ください。
こちらで所蔵されていて、時折、出品されている「牧童」(大正9年=1920)が展示されています。
一度拝見して参りましたが、これまた見事な作ですね。まさしく超絶技巧。
同館では光雲の盟友、直弟子、孫弟子らの作も所蔵しており、併せて見ることで近代木彫の系譜の一端を知ることが出来ます。
コロナ禍にはお気をつけつつ、それぞれぜひ足をお運びください。
【折々のことば・光太郎】
尚工風あるべし。
「なおくふうあるべし」と読みます。「まだ工夫すべき点がある」といった意味で、数ヶ月取り組んできた自作の彫刻に対する評。適当なところで「ま、いいか」としない姿勢は、若い頃からのものでした。
こちらで所蔵されていて、時折、出品されている「牧童」(大正9年=1920)が展示されています。
一度拝見して参りましたが、これまた見事な作ですね。まさしく超絶技巧。
同館では光雲の盟友、直弟子、孫弟子らの作も所蔵しており、併せて見ることで近代木彫の系譜の一端を知ることが出来ます。
コロナ禍にはお気をつけつつ、それぞれぜひ足をお運びください。
【折々のことば・光太郎】
尚工風あるべし。
明治36年(1903)6月11日の日記より 光太郎21歳
「なおくふうあるべし」と読みます。「まだ工夫すべき点がある」といった意味で、数ヶ月取り組んできた自作の彫刻に対する評。適当なところで「ま、いいか」としない姿勢は、若い頃からのものでした。