11月16日(月)、岳温泉さんをあとに、愛車を国道4号に進入。目指すは道の駅「安達」智恵子の里さん。今回の宿泊が、いろいろ物議を醸しているGoToトラベルの対象で、地域共通クーポンなるものを渡されまして、その消費のためです。
ちなみにGoToトラベル、別に最初から利用しようと思っていたわけではなく、ネットで宿泊の予約をしたら勝手に付いていた、という感じです。当方のような個人事業主的な人々は、こうした地方出張の際にもGoToトラベルを利用しているでしょうし、どうも政府の言う「観光に貢献」、コロナ感染拡大を恨めしく思う人々の「このご時世に呑気に観光かい」的な論調、どちらも的外れのように感じています。
閑話休題、道の駅に到着。
ちなみにGoToトラベル、別に最初から利用しようと思っていたわけではなく、ネットで宿泊の予約をしたら勝手に付いていた、という感じです。当方のような個人事業主的な人々は、こうした地方出張の際にもGoToトラベルを利用しているでしょうし、どうも政府の言う「観光に貢献」、コロナ感染拡大を恨めしく思う人々の「このご時世に呑気に観光かい」的な論調、どちらも的外れのように感じています。
閑話休題、道の駅に到着。
玉嶋屋さんの羊羹、浪江焼きそばなどを買い込み、さらにこんなものも。
7月のブログでご紹介した「アマビエ夏マスク」。まだ完売していませんでした。「智恵子抄」からヒントを得た「レモン色」(笑)。マスクで腰の負担が軽減されるのか? と疑問に思いましたが、特殊な水着の素材をマスクに転用したそうで、そのためこんなパッケージになっているようです。
しかし、こういうものの常で、もったいなくて使えません(笑)。だったら保存用と使う分と二つ買え、と突っ込まれそうですが、特殊素材の品で、一つ1,000円以上ですので……。
奥の智恵子コーナー、健在でした。
その後、智恵子生家・智恵子記念館へ。岳温泉さんから下山する途中は霙(みぞれ)まじりでしたが、このころには快晴。「ほんとの空」となっていました。
まずは生家を拝見。
約一年ぶりですが、何回目かはもう忘れました(笑)。50回は来ていないとは思いますが、20回やそこらではきかないような気がします。
それだけ来ていながら、これまで気がついていなかったことがありました。なんと、展示されている箪笥に木彫の蝉があしらわれているというのです。前日、当方が講師を務めさせていただいた智恵子講座2020をご聴講くださった、都内からお越しの「かたりと」のお二人(津軽三味線の小池純一郎氏、奥様で朗読家の北原久仁香さん)からお聞きしました。木彫の蝉といえば、光太郎の代表作の一つ。ただ、「光太郎のものではなさそうでした」というお話でした。それでも自分の眼で確認しないと気が済みません。二本松にも光太郎の木彫の蝉がたしかにあったという、かなり信頼出来る情報を以前に得ていましたし。
たまたま市役所の方がいらっしゃり、当方の身分を明かして座敷に上がらせていただきました。本来、この日は月曜日だったので、特別公開の日ではなかったのですが、他にお客さんもいませんでしたし(のちに当方と入れ違いに大型バスのご一行が見えましたが)、ラッキーでした。
しかし、やはり光太郎の蝉とはだいぶ趣が異なっていました。残念。ただ、こうした意匠はあまり一般的ではないような気もします。それにしても、これまで数十回来ていながらまったく気付かなかったというのも汗顔の至りです。
その後、裏手の智恵子記念館へ。
こちらでは、智恵子の紙絵の、複製でない実物10点が公開中です。泊めていただいた「あだたらの宿扇や」さんとこちらと、2日続けて別々の場所で紙絵の真作を拝見するとは、なんとも贅沢でした(笑)。
また、「第24回智恵子のふるさと小学生紙絵コンクール」の入賞作品も展示されていました。
こうした活動が、子供たちが光太郎智恵子の世界に興味を持つきっかけになればと願ってやみません。
生家、記念館を後に、すぐそばの戸田屋商店さんへ。
こちらの女将さんは、彼の地で、レモン忌をはじめとする智恵子の顕彰活動をなさっている「智恵子の里レモン会」のメンバーです。
以前と比べ、だいぶ店内がスッキリしていました。逆に、書籍のコーナーなどは充実。
100回分近くあったでしょうか。書かれたのは安斎宗司という方で、女将さんのお話では、二本松の人で、もう亡くなっているとのこと。帰ってから調べましたら、郷土史家的な方で、戊辰戦争などについてのご著書も出版されていました。
ざっと読ませていただきましたが、智恵子の生涯や、没後の地元での顕彰活動などについて書かれていました。単行本化などが為されず、当方、全く存じませんでした。おそらく福島の地方紙か、全国紙の福島版かに連載されたようです。
いつのもの、というのが女将さんもよく憶えていないそうでしたが、各回の裏面を見ますと、「南海の江夏」とか、「映画『日本の首領(ドン)』」などといった記述があり、これも帰ってから調べてみましたところ、該当するのは昭和52年(1977)でした。
中には、当方も見た記憶がないような写真も。
もしかすると、エピソード的にも未知の内容が含まれているかも知れませんし、ぜひ単行本化してほしいものですが、難しいでしょうか。
その後、二本松産のリンゴを購入。道の駅には青森産のものしか置いておらず、これもラッキーでした。
そして、帰途につきました。実り多い1泊2日でした。
以上、二本松レポートを終わります。
【折々のことば・光太郎】
荷葉氏とはもと何等のよしみもなく一面識もなき我ながら芸術の為めとあらばさほどの欠礼はゆるさるべしと思へば一の紹介も有たずして甚だ唐突の書状は差し出したるなり。
「荷葉氏」は山岸荷葉(かよう)。光太郎より7歳年長の小説家です。演劇評もしていたため、歌舞伎界に顔が利くというので、昨日ご紹介した尾上菊五郎像を作るため、写真を借りる伝手(つて)にしようとしたわけです。
「何等のよしみもなく一面識もなき我ながら芸術の為めとあらばさほどの欠礼はゆるさるべし」当方も「あるある」です。これも昨日の記事に書いたように、「光太郎の写真もあるはずですので探して下さい」的な(笑)。
7月のブログでご紹介した「アマビエ夏マスク」。まだ完売していませんでした。「智恵子抄」からヒントを得た「レモン色」(笑)。マスクで腰の負担が軽減されるのか? と疑問に思いましたが、特殊な水着の素材をマスクに転用したそうで、そのためこんなパッケージになっているようです。
しかし、こういうものの常で、もったいなくて使えません(笑)。だったら保存用と使う分と二つ買え、と突っ込まれそうですが、特殊素材の品で、一つ1,000円以上ですので……。
奥の智恵子コーナー、健在でした。
その後、智恵子生家・智恵子記念館へ。岳温泉さんから下山する途中は霙(みぞれ)まじりでしたが、このころには快晴。「ほんとの空」となっていました。
まずは生家を拝見。
約一年ぶりですが、何回目かはもう忘れました(笑)。50回は来ていないとは思いますが、20回やそこらではきかないような気がします。
それだけ来ていながら、これまで気がついていなかったことがありました。なんと、展示されている箪笥に木彫の蝉があしらわれているというのです。前日、当方が講師を務めさせていただいた智恵子講座2020をご聴講くださった、都内からお越しの「かたりと」のお二人(津軽三味線の小池純一郎氏、奥様で朗読家の北原久仁香さん)からお聞きしました。木彫の蝉といえば、光太郎の代表作の一つ。ただ、「光太郎のものではなさそうでした」というお話でした。それでも自分の眼で確認しないと気が済みません。二本松にも光太郎の木彫の蝉がたしかにあったという、かなり信頼出来る情報を以前に得ていましたし。
たまたま市役所の方がいらっしゃり、当方の身分を明かして座敷に上がらせていただきました。本来、この日は月曜日だったので、特別公開の日ではなかったのですが、他にお客さんもいませんでしたし(のちに当方と入れ違いに大型バスのご一行が見えましたが)、ラッキーでした。
しかし、やはり光太郎の蝉とはだいぶ趣が異なっていました。残念。ただ、こうした意匠はあまり一般的ではないような気もします。それにしても、これまで数十回来ていながらまったく気付かなかったというのも汗顔の至りです。
その後、裏手の智恵子記念館へ。
こちらでは、智恵子の紙絵の、複製でない実物10点が公開中です。泊めていただいた「あだたらの宿扇や」さんとこちらと、2日続けて別々の場所で紙絵の真作を拝見するとは、なんとも贅沢でした(笑)。
また、「第24回智恵子のふるさと小学生紙絵コンクール」の入賞作品も展示されていました。
こうした活動が、子供たちが光太郎智恵子の世界に興味を持つきっかけになればと願ってやみません。
生家、記念館を後に、すぐそばの戸田屋商店さんへ。
こちらの女将さんは、彼の地で、レモン忌をはじめとする智恵子の顕彰活動をなさっている「智恵子の里レモン会」のメンバーです。
以前と比べ、だいぶ店内がスッキリしていました。逆に、書籍のコーナーなどは充実。
すると、売り物ではなく、展示しているものの中に、古い新聞の切り抜きの束が。
「これ、何ですか?」と言いつつ、手にとって見せていただくと、連載小説ではなく、連載評伝といった塩梅の、「真説 智恵子と光太郎」。
「これ、何ですか?」と言いつつ、手にとって見せていただくと、連載小説ではなく、連載評伝といった塩梅の、「真説 智恵子と光太郎」。
ざっと読ませていただきましたが、智恵子の生涯や、没後の地元での顕彰活動などについて書かれていました。単行本化などが為されず、当方、全く存じませんでした。おそらく福島の地方紙か、全国紙の福島版かに連載されたようです。
いつのもの、というのが女将さんもよく憶えていないそうでしたが、各回の裏面を見ますと、「南海の江夏」とか、「映画『日本の首領(ドン)』」などといった記述があり、これも帰ってから調べてみましたところ、該当するのは昭和52年(1977)でした。
中には、当方も見た記憶がないような写真も。
もしかすると、エピソード的にも未知の内容が含まれているかも知れませんし、ぜひ単行本化してほしいものですが、難しいでしょうか。
その後、二本松産のリンゴを購入。道の駅には青森産のものしか置いておらず、これもラッキーでした。
そして、帰途につきました。実り多い1泊2日でした。
以上、二本松レポートを終わります。
【折々のことば・光太郎】
荷葉氏とはもと何等のよしみもなく一面識もなき我ながら芸術の為めとあらばさほどの欠礼はゆるさるべしと思へば一の紹介も有たずして甚だ唐突の書状は差し出したるなり。
明治36年(1903)3月30日の日記より 光太郎21歳
「荷葉氏」は山岸荷葉(かよう)。光太郎より7歳年長の小説家です。演劇評もしていたため、歌舞伎界に顔が利くというので、昨日ご紹介した尾上菊五郎像を作るため、写真を借りる伝手(つて)にしようとしたわけです。
「何等のよしみもなく一面識もなき我ながら芸術の為めとあらばさほどの欠礼はゆるさるべし」当方も「あるある」です。これも昨日の記事に書いたように、「光太郎の写真もあるはずですので探して下さい」的な(笑)。