昨日から1泊2日で、智恵子の故郷・福島は二本松に行っておりまして、さきほど千葉の事務所兼自宅に帰投いたしました。実りの多い2日間でした。3回に分けてレポートいたします。
メインの目的は、二本松市で行われた「智恵子講座2020」。第2回の講師を拝命したもので。今年は新型コロナのためにこの手の仕事が中止や延期のオンパレードで、9月の花巻に続き、これでようやく2回目でした。
いつもですと、二本松は日帰りということが多いのですが、今回は現地調査を兼ねまして、1泊。本当は前日から宿泊したかったのですが、土曜日ということもあったのでしょうか、目的の宿がとれませんで、講座修了後に宿泊することとし、夜明け前に千葉を出ました。
この日は快晴でした。途中の安達太良SAからみた安達太良山。「ほんとの空」をバックに、さらに紅葉も彩りを添え、実に綺麗でした。
午前9時過ぎ、講座会場の福島県男女共生センターに到着。
二本松霞ヶ城のすぐそばで、窓からお城と安達太良山がよく見えます。SAでは気付きませんでしたが、安達太良山頂はすでに冠雪していました。
地元の方々を中心に、20名弱の方が聴講して下さいました。内容的には光太郎の歩みを2時間程でご紹介。
終了後、主催の「智恵子のまち夢くらぶ」の熊谷代表ご夫妻、それから、ご聴講下さった、都内からお越しの「かたりと」のお二人(津軽三味線の小池純一郎氏、奥様で朗読家の北原久仁香さん)と、霞ヶ城へ。
例年ですと菊人形の時期ですが、今年はやはりコロナ禍のため、規模を縮小して入場無料の「菊花展」という形で行われていました。
紅葉も実にいい感じ。
元は智恵子生家にあったという藤による藤棚。久しぶりに拝見しました。
智恵子抄詩碑。こちらも数年ぶりに拝見。
ここまでは、以前にも何度か登ってきたことがあったのですが、今回初めて、さらに先の天守台まで足を伸ばしました。
地元では初日の出を拝むスポットとしても人気だそうで、なるほど、眺望が素晴らしい場所です。
見上げれば、「ほんとの空」。
この後、宿泊する安達太良山中腹の岳温泉さんに。以下、明日。
【折々のことば・光太郎】
疑問、疑問、是れ人世の声なるか。人生れて心あり、疑無きを得ざるなり。已に疑つて此を解かんとす。疑は疑を呼び、惑はまた更に惑を生む。あゝ人生の疑問いつの世か果して之を解き尽すべき。
このコーナー、当分の間、日記から言葉を拾います。
現存が確認出来ている光太郎日記の最古のもの。「彫塑雑記」と題され、最初のうちは単なる日記の枠を超えた、随想的な記述が目立ちます。「疑問、疑問、是れ人世の声なるか。」まさに「若きウェルテル」ならぬ「若き光太郎」の魂の叫びです。
メインの目的は、二本松市で行われた「智恵子講座2020」。第2回の講師を拝命したもので。今年は新型コロナのためにこの手の仕事が中止や延期のオンパレードで、9月の花巻に続き、これでようやく2回目でした。
いつもですと、二本松は日帰りということが多いのですが、今回は現地調査を兼ねまして、1泊。本当は前日から宿泊したかったのですが、土曜日ということもあったのでしょうか、目的の宿がとれませんで、講座修了後に宿泊することとし、夜明け前に千葉を出ました。
この日は快晴でした。途中の安達太良SAからみた安達太良山。「ほんとの空」をバックに、さらに紅葉も彩りを添え、実に綺麗でした。
午前9時過ぎ、講座会場の福島県男女共生センターに到着。
二本松霞ヶ城のすぐそばで、窓からお城と安達太良山がよく見えます。SAでは気付きませんでしたが、安達太良山頂はすでに冠雪していました。
地元の方々を中心に、20名弱の方が聴講して下さいました。内容的には光太郎の歩みを2時間程でご紹介。
終了後、主催の「智恵子のまち夢くらぶ」の熊谷代表ご夫妻、それから、ご聴講下さった、都内からお越しの「かたりと」のお二人(津軽三味線の小池純一郎氏、奥様で朗読家の北原久仁香さん)と、霞ヶ城へ。
例年ですと菊人形の時期ですが、今年はやはりコロナ禍のため、規模を縮小して入場無料の「菊花展」という形で行われていました。
紅葉も実にいい感じ。
元は智恵子生家にあったという藤による藤棚。久しぶりに拝見しました。
智恵子抄詩碑。こちらも数年ぶりに拝見。
ここまでは、以前にも何度か登ってきたことがあったのですが、今回初めて、さらに先の天守台まで足を伸ばしました。
地元では初日の出を拝むスポットとしても人気だそうで、なるほど、眺望が素晴らしい場所です。
見上げれば、「ほんとの空」。
この後、宿泊する安達太良山中腹の岳温泉さんに。以下、明日。
【折々のことば・光太郎】
疑問、疑問、是れ人世の声なるか。人生れて心あり、疑無きを得ざるなり。已に疑つて此を解かんとす。疑は疑を呼び、惑はまた更に惑を生む。あゝ人生の疑問いつの世か果して之を解き尽すべき。
明治36年(1903)3月21日の日記より 光太郎21歳
このコーナー、当分の間、日記から言葉を拾います。
現存が確認出来ている光太郎日記の最古のもの。「彫塑雑記」と題され、最初のうちは単なる日記の枠を超えた、随想的な記述が目立ちます。「疑問、疑問、是れ人世の声なるか。」まさに「若きウェルテル」ならぬ「若き光太郎」の魂の叫びです。