「真に実力があり、研鑚を怠らない全国の篤学の人々のため」と標榜する全国公募の「東京書作展」。今年の選考結果が発表され、最優秀に当たる「内閣総理大臣賞・東京書作展大賞」をはじめ、光太郎詩に題を採った作品が3点、上位入賞を果たしました。

上位10点中、漢文系を書かれたものが7点、その他が3点。その3点がすべて光太郎詩ということで、非常に驚いております。

まず、「内閣総理大臣賞・東京書作展大賞」。中村若水さんという方で、光太郎詩「冬」(昭和15年=1940)の全文。
001
006
当方、書としての評は出来ませんので、上記の審査員評をご覧下さい。

詩は以下の通り。001


    冬

 新年が冬来るのはいい。
 時間の切りかへは縦に空間を裂き
 切面(せつめん)は硬金属のやうにぴかぴか冷い。
 精神にたまる襤褸(らんる)をもう一度かき集め、
 一切をアルカリ性の昨日に投げこむ。
 わたしは又無一物の目あたらしさと
 すべての初一歩(しよいつぽ)の放つ芳(かん)ばしさとに囲まれ、
 雪と霙と氷と霜と、
 かかる極寒の一族に滅菌され、
 ねがはくは新しい世代といふに値する
 清潔な風を天から吸はう。
 最も低きに居て高きを見よう。
 最も貧しきに居て足らざるなきを得よう。
 ああしんしんと寒い空に新年は来るといふ。

最も低きに居て高きを見よう。/最も貧しきに居て足らざるなきを得よう。」あたりは、同じ時期に書かれた詩「最低にして最高の道」にも響き合います。昭和15年(1940)ということで、既に多くの翼賛詩が発表されていた時期にあたり、それらとも通じるところがありますが、そうした点を抜きにすれば、「冬の詩人」の面目躍如、力強い詩ですね。

この「冬」、一昨年の第40回東京書作展でも、第3位に当たる「東京都知事賞」に選ばれています。中原麗祥さんという方の作でした。

続いて「東京新聞賞」。7点中の2点が光太郎詩。
002 003

左が田川繍羽さんという方の「何をまだ指してゐるのだ」(昭和3年=1928)。大正元年(1912)に智恵子と共に過ごした千葉銚子犬吠埼で出会った「馬鹿の太郎」こと阿部清助を思い出して書かれた詩です。

右は長谷部華京さんという方で、「上州川古「さくさん」風景」(昭和4年=1929)。群馬県みなかみ市の川古温泉を訪れてものにした詩で、山奥にまで資本主義が浸蝕していた現状を憂えるものです。

お二方とも全文を書いて下さっています。

この他にも、委嘱作品で、昨年の内閣総理大臣賞を受賞された菊地雪渓氏が、光太郎詩「案内」(昭和25年=1950)を出されるそうですし、おそらく他の委嘱作品や入選作の中にも光太郎詩を取り上げて下さった方がいらっしゃるように思われます。

展覧会自体は今月末から。詳細は以下の通りです

第42回 東京書作展003

期 日 : 2020年11月26日(木)~12月2日(水)
会 場 : 東京都美術館 東京都台東区上野公園8-36
時 間 : 午前9時30分~午後5時30分
      最終日(12月2日)は午後2時30分まで
休 館 : 会期中無休
料 金 : 500円
主 催 : 東京書作展 東京新聞
後 援 : 文化庁 東京都

コロナ禍には十分にお気をつけつつ、ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

あらゆる人の手に、手そのものに既に不可抗の誘惑があるのである。


散文「手」より 昭和2年(1927) 光太郎45歳

つい最近発見した随筆「手」
から。

稀代の悪筆である当方にしてみれば、上記の書家の皆さんの「手」は、どういう「手」なのか、非常に興味ひかれるところです。