10月25日(日)、東松山市の市総合会館で開催されている「高田博厚展2020」拝観に伺う前に、隣接する比企郡川島町にある遠山記念館さんに立ち寄りました。
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こちらは日興證券(現・SMBC日興証券)創業者の遠山元一(明治23年=1890~昭和47年=1972)の旧邸宅を利用して建てられた施設で、遠山のコレクションを根幹とする美術館を併設しています。
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で、最近、こちらに光太郎の親友・碌山荻原守衛の代表作「女」(明治43年=1910)が所蔵・展示されているという情報を得ました。そこで、東松山に行くついで、というと何ですが、併せて拝見しておこうと思い立って立ち寄った次第です。

こちらが正面の長屋門。門だけでも当方自宅兼事務所を凌駕する大きさです(笑)。
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門をくぐると右手に美術館。
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拝観後に知ったのですが、扉上部のレリーフは、やはり光太郎と交流のあった笹村草家人の作だそうです。
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ロビーに「女」。
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本家の碌山美術館さんをはじめ、各地で「女」を拝見しましたが、何度見てもいいものです。

なぜここにこれがあるのか、と申しますと、先述の遠山元一が、昭和33年(1958)の碌山美術館開館に際し出資をしたということで、その際に新たに鋳造された10点の内の一つを贈られたのだそうです。鋳造は山本安曇。守衛と同郷で、明治期に「女」の最初の鋳造を手がけました。鋳金分野の人間国宝だった光太郎実弟の髙村豊周と同じ津田信夫門下で、豊周も最初の「女」鋳造に参加しています。
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白いブルーズ姿が山本、その後が豊周、明治43年(1910)の写真です。

先述の笹村草家人の作があるのも、同じ理由です。笹村は碌山美術館開館に尽力した人物です。

その他、現在の展示は「近代の皇室と茶の湯」。
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大正天皇の后、貞明皇后が天皇没後、本格的に茶道に取り組み、その関連の品々です。ただし、皇室旧蔵品は空襲により焼失、「控え」として作られた同工の作品が中心でした。

拝観後、受付兼ミュージアムショップで、一昨年に開催された特別展「遠山元一と美術」図録を購入。「女」や笹村の作品について言及されていましたので。
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今回、実物は見られませんでしたが、笹村による遠山の肖像彫刻も所蔵されているとのこと。

美術館をあとに、隣接する旧遠山邸へ。こちらも全体ではありませんが、公開されています。
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入っていきなり畳の配置が物凄いことになっていて、驚きました。昭和11年(1936)竣工で、90年前にこんなことをやっていたのか、と思ったのですが、そうではなく、川島町に居を構えていた彫刻家・長澤英俊の「作品」でした。
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ここ以外は、基本的に昔の通り。本郷区駒込林町(現・文京区千駄木)の光太郎実家に隣接する旧安田楠雄邸などもそうですが、古建築好きにはたまらないと思います。
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以上、埼玉レポートを終わります。
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【折々のことば・光太郎】

針は北をさす  短句揮毫 
終戦直後? 光太郎65歳頃

一見、色紙のようですが、粗悪なボール紙です。戦前から交流のあった詩人・佐伯郁郎に贈られた物で、岩手県奥州市の佐伯生家「人首文庫」さん所蔵です。

よく似た「いくら廻されても針は天極をさす」の句はしばしば揮毫されていますが、これは他に類例が確認できていません。

言わずもがなながら、「針」は光太郎自身の暗喩ですね。