先週の『福島民友』さんから。過日ご紹介した智恵子の生家2階部分の特別公開に関して報じて下さっています。
これを取り外しての展示なのかなどは不明なのですが……。
花巻高村光太郎記念館さんで、チラシをゲットして参りました。
隣接する智恵子記念館での紙絵実物展示(通常時は複製のみ)についても案内が。
裏面は周辺地図等。
毎年恒例とはなっていますが、やはり貴重な機会です。ぜひ足をお運びください。当方は来月、行って参ります。
【折々のことば・光太郎】
書を持っていると、そのことをいいことにしているような人には書きません。
高村智恵子の居室特別公開 二本松の生家、当時の様子のままに
二本松市出身の洋画家高村智恵子の生家を復元した智恵子の生家は10日、普段は見学できない智恵子の居室がある2階の特別公開を始めた。福島高等女学校を卒業するまで過ごした智恵子の少女期に思いをはせることができる。
智恵子は、銘酒「花霞」を醸造した造り酒屋に生まれた。家族や使用人と共に暮らした家の2階のうち9畳と4畳半の2部屋を使っていて少女期はもちろん、夫で詩人、彫刻家の高村光太郎と結婚した後も帰省するとこの部屋で過ごしたといわれている。
9畳の居室には、九谷焼で作られた電灯のローゼットが展示され、智恵子が中庭の花を眺めていたとされる連子窓も当時のまま。女学校で答辞を述べるなどした智恵子の暮らしぶりがしのばれる。
特別公開は11月23日までの毎週末と祝日に行われている。時間は午前9時~午後4時。入館料は高校生以上410円、小中学生210円。問い合わせは同館(電話0243・22・6151)へ。
「九谷焼で作られた電灯のローゼット」は、天井に電灯を取り付ける器具。カバー部分が陶器製で、花柄があしらわれています。このブログ内で画像を探したのですが見つけられず(既に20,000枚を超えていますので(笑))、坂本富江さん著『スケッチで訪ねる『智恵子抄』の旅 高村智恵子52年間の足跡』から画像等拝借します。これを取り外しての展示なのかなどは不明なのですが……。
花巻高村光太郎記念館さんで、チラシをゲットして参りました。
隣接する智恵子記念館での紙絵実物展示(通常時は複製のみ)についても案内が。
裏面は周辺地図等。
毎年恒例とはなっていますが、やはり貴重な機会です。ぜひ足をお運びください。当方は来月、行って参ります。
【折々のことば・光太郎】
書を持っていると、そのことをいいことにしているような人には書きません。
談話筆記「高村光太郎先生説話 三四」より
昭和27年(1952) 光太郎70歳
浅沼政規著『高村光太郎先生を偲ぶ』(平成7年=1995)掲載の「高村光太郎先生説話」からの抜粋、今日で終わりです。
故・浅沼氏は光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)近くの山口分教場が小学校に昇格した際、校長として赴任してきました。当時同校の児童だった子息の隆氏は今も光太郎の語り部としてご活躍されています。浅沼校長は折に触れ、光太郎の語った言葉を筆録していました。
最後の「三四」は、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため上京する直前のものです。「記念に何か書いてくれ」という要望が多かったのですが、「自分の書を持っていることを自慢するような魂胆の人には書かないよ」と、ちょっとドキッとさせられる発言ですね。
故・浅沼氏は光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)近くの山口分教場が小学校に昇格した際、校長として赴任してきました。当時同校の児童だった子息の隆氏は今も光太郎の語り部としてご活躍されています。浅沼校長は折に触れ、光太郎の語った言葉を筆録していました。
最後の「三四」は、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため上京する直前のものです。「記念に何か書いてくれ」という要望が多かったのですが、「自分の書を持っていることを自慢するような魂胆の人には書かないよ」と、ちょっとドキッとさせられる発言ですね。