10月15日(木)、花巻高村光太郎記念館さんで企画展示「高村光太郎とホームスパン-山居に見た夢-」を拝見した後、レンタカーを道の駅はなまき西南さん(愛称・賢治と光太郎の郷)に向けました。10分足らずで着く距離です。
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こちらのテナントの一つ、ミレットキッチン花(フラワー)さんで開発された新メニューの弁当「光太郎ランチ」のお披露目会に呼ばれていました。
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レポートする前に、状況をわかりやすくするため地方紙二紙の記事をご紹介。

まずは『岩手日日』さん 

光太郎の好物弁当に 毎月15日「ランチの日」 10食限定 道の駅はなまき西南

 花巻市轟木の道の駅はなまき西南で15日から、花巻ゆかりの彫刻家高村光太郎が好んで食べていた物を入れた手作り弁当の販売が始まった。光太郎が花巻へ疎開するため東京をたったのが1945年5月15日だったことから、毎月15日を「光太郎ランチの日」とし10食限定で提供する。
 同道の駅には「賢治と光太郎の郷」の愛称があり、構内に併設されている食品加工女性グループ「ミレットキッチン花(フラワー)」(本舘博子代表)が開業前から、光太郎に結びつくメニューを考えていた。市の委託を受けて高村光太郎記念館(同市太田)を運営する「花卷高村光太郎記念会」の女性スタッフが4年ほど前から光太郎の食事を再現し、研究しているのを知った本舘代表が提案し、今年8月下旬から打ち合わせや試食などを重ね、協力して販売にこぎ着けた。
 同記念会では、光太郎が花卷で過ごした7年間のうちに残した日記や手紙にあった食に関わる記述を参考に、出来るだけ近づけて試作していた。
 弁当には地元産の食材をふんだんに使用。メニューは毎月変更予定で、第1弾は▽枝豆・青のりごはん▽ブリの醤油(しょうゆ)麹(こうじ)焼き▽牛肉ステーキのキノコ添え▽大豆のトマト煮▽キュウリのつくだ煮-など。光太郎が好んだ牛肉やキノコ、リンゴ、マメのほか、自分で栽培していたトマトやキュウリも取り入れた。
 15日には同道の駅でお披露目会が行われ、関係者ら10人余りが弁当を味わった。
 本舘代表は「光太郎がグルメだったことはあまり知られていないのではないか。弁当を通じて光太郎の意外な面に触れてもらえたら」と期待。同記念館女性スタッフの井形幸江さんは「戦後の食糧難の中、光太郎は健康な体をつくるため食べることを大事にしていた。道の駅に寄る地域内外の人に食べてもらい、光太郎の人柄や功績の普及につなげたい」と話していた。
 1食800円(税込み)。毎月午前11時ごろには店頭に並ぶ。問い合わせはミレットキッチン花=0198(29)5522=へ。

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続いて『岩手日報』さん 

「光太郎ランチ」始めました 花巻・道の駅で毎月15日、限定販売

 彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年)が、花巻市西南地区で過ごした際の日記を基にした「光太郎ランチ」弁当(800円)を地元の女性グループが開発した。
 「ミレットキッチン花(フラワー)」(本舘博子代表)が15日、同市轟木(とどろき)の道の駅はなまき西南で初めて販売。西南地区の食材をふんだんに使った。光太郎が花巻に向けて東京を出た45年5月15日にちなみ、毎月15日に限定10食を販売する。
 次回は来月15日午前10時半ごろから販売する。
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というわけで、お披露目会に参加して参りましたので、レポートします。

早く着いてしまったので、道の駅内をうろうろ(笑)。写真を撮り忘れましたが、先月は建設中だったファミマさんが敷地内にオープンしていました。
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JAいわて花卷さん直営の産直コーナー「すぎの樹」さん。平日でしたがにぎわっていました。
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その奥にミレットキッチン花(フラワー)さん。
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「光太郎ランチ」、お披露目会の前に既に販売されていました(笑)。
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視線を上げると壁に光太郎肖像画。先月は気付きませんでした(笑)。
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お披露目会会場のインフォメーションスペースへ。
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ハロウィン仕様です。
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すでにテーブルに「光太郎ランチ」。見るからにおいしそうです(笑)。
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参加者名簿も。当方、上田市長、道の駅代表取締役の根子氏と同じテーブルでした。
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やがて時間となりまして、開会。上記記事にありましたミレットキッチン花(フラワー)代表・本舘さんのご挨拶。
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そしていよいよ、待ちに待った「いただきます」(笑)。
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色どりもいい感じですね。

メニューが箸袋の中に。
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隔月刊誌『花巻まち散歩マガジン Machicoco(マチココ)』さんの連載「光太郎レシピ」にしてもそうですが、実際の光太郎日記などの記述から、現代風にアレンジして作られています。
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意外とボリューミーでしたし、品数が多めで飽きさせない工夫がされているな、と感じました。そしてやはり手作り感。お世辞抜きで(笑)美味しくいただきました。参会の皆様も同様だったようです。また、800円(税込み)という価格も妥当だろうと感じました。
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当方、食べるのに夢中で、皆さんの写真を撮るのを忘れており(笑)、正方形の写真は花巻高村光太郎記念館の方の撮影です。

自分の名が冠された施設で、自分の名が冠された弁当……泉下の光太郎も苦笑しつつ喜んでいるのではないかと思いました。「光太郎ランチ」、末永く愛されてほしいものです。

以上、花卷レポートを終わります。

【折々のことば・光太郎】

開発も道路からでなくてはならないと思います。道路は誰かが一心になって、働きかければできないことはないのです。

談話筆記「高村光太郎先生説話 三三」より
昭和27年(1952) 光太郎70歳

道の駅はなまき西南さん、広い県道13号沿いに作られました。この県道も道の駅も、地元の皆さんがその必要性を訴え、整備されたのでしょう。

光太郎、詩の代表作「道程」(大正3年=1914)でも謳ったように、「道」を絶えず意識する、「求道者」の生涯でした。