都下小金井市の古書店、えびな書店さん。美術系が中心で、書籍も扱っていますが、どちらかというと肉筆などの一枚物に力を入れられています。

先月届いた在庫目録に、光太郎関連が多数出ていました。
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まずは「新蒐品」で、どちらも筑摩書房さんの『高村光太郎全集』既収のものですが、光太郎書簡が2点。
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まずは光太郎の父・光雲の高弟の一人だった加藤景雲にあてた墨書のもの。明治32年(1899)4月と推定されています。光太郎、数え17歳です。ただ、封筒が欠損しており、あるいは1、2年の前後があるかも知れないとのことです。

 長々ありがたう御座りました。御蔭様で自殺詩人の厭世観を精読いたす事が出来ました。序に外のも読みまして大層おもしろくおぼえました。本をだいなしにいたしましたのは御免ください。漸く春の景色になつたとおもふまに咲いたもさいたも隅のすみまであまり一時でいまさらさうやけに咲かないでもほんとに惜しいやうです。日曜の夜にはいつも大抵内ですから御暇の時には御はなしにおいでください。このごろは月もあります。これは言文一致で書いたのです。
   六日                                  光太郎
  景雲様 梧下


「自殺詩人」は北村透谷、借りたという書物は明治27年(1894)刊行の『透谷集』と推定されます。「これは言文一致で書いたのです。」というのが笑えますね(笑)。

もう1点は、詩人・新聞記者で、光太郎彫刻のモデルも務めた中野秀人あて。昭和2年(1927)1月の発信で、当時、中野はロンドンに居ました。
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ロンドンの中野にあてた書簡11通が、昭和59年(1984)の明治古典会七夕古書入札会に出品されましたが、今回のものもそのうちの1通、最初のものです。どうもバラバラに散逸してしまったようですね。

長い手紙なのでこちらは全文引用しませんが、「あなたがだんだん英国の空気の中に浸潤してゆき、又其処で成長し、あなた独自の世界を造り上げる事を見るのが実にたのしみです」とか、「此から折々に消息を下さい。つまらないと思ふ事でも書いて来て下さい。そちらでつまらないと思ふ事がこちらで中々つまらなくない事が沢山あるものです」、「遠く離れてゐると何よりもまづ健康が気になります。外に気をつける人も居ない事でせうから自分でよくからだを大切にして下さい。よく睡眠して下さい。猛烈な勇気で毎日を送つて下さい」などと、後輩(中野は15歳年下)への慈愛に溢れた文言が並んでいます。

続いて、光太郎自身のものではありませんが、光太郎について書かれた原稿。作家の十和田操によるものです。題して「高村さんのことば ある資料断片」。
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当方、寡聞にして「十和田操」の名は存じませんでした。『高村光太郎全集』にもその名は見えません。どういった内容なのかなど、これから調べようと思っています。

えびなさん、「新蒐品」以外にも、以前からの在庫品を2割引だそうで、めぼしいものがピックアップされていました。

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明治44年(1911)の詩「鳩」を書いた色紙、大正13年(1924)頃に詠んだ蝉の短歌をしたためた短冊、おそらく智恵子を詠んだと思われ、昭和5年(1930)頃の筆跡と推定される短歌「北国の女人はまれにうつくしき歌をきかせぬものゝ蔭より」、大正13年の雑誌『人間生活』に載った米詩人ウォルト・ホイットマンの翻訳「エブラハム リンカンの死」。さらには光雲の筆跡も。

今回ご紹介したものには、以前、他店で売られていたものが結構あります。昨日ご紹介した光雲木彫同様、収まるべきところに収まってほしいものですが、なかなかそうもいかないようですね……。


【折々のことば・光太郎】

書は日によって書けないときは、どうしてもだめなものです。いいときにはよくできます。いま東京からも頼まれています。東京ではすぐ簡単に書けるように考えているらしいのです。こっちは身を削られる思いで書くのですがね。
談話筆記「高村光太郎先生説話 二六」より
昭和26年(1951) 光太郎69歳

上記の色紙や短冊等も、いいかげんな気持ちで書かれたものではないのでしょう。