このブログでたびたびご紹介しておりますアートオークション大手の毎日オークションさん。時折、光太郎や光太郎の父・光雲関連が出品されます。
今月開催の「第650回毎日オークション 絵画・版画・彫刻」、「第651回毎日オークション 絵画・版画・彫刻」で、光雲の作品が出ます。
まず第650回、うっかりしていまして、もう今日です。
まず第650回、うっかりしていまして、もう今日です。
第650回毎日オークション 絵画・版画・彫刻
日 程 : 2020/10/9(金) 14:00~ Lot.1~ 2020/10/10(土) 11:00~ Lot.391~
会 場 : 毎日オークションハウス 東京都江東区有明3-5-7
下見会 : 2020年10月8日(木)・10月9日(金) 10:00~18:00
光雲木彫の「大聖像」が出ています。「大聖」は孔子、光雲が好んで彫った題材の一つで、類例は複数確認できています。
出品3点で、だいぶ予想価格に差がありますが、保存状態と、それから工房作なのか光雲個人の作なのかといったところで評価が分かれます。最も高額な「聖観音像」は弟子の手が入って居らず、保存状態も良好ということですね。技術的にもとんでもない超絶技巧です。
ポイントは像の持物(じもつ)。「大聖像」と「聖徳太子像」の笏(しゃく)はそれほどでもありませんが、「聖観音像」の蓮華はなまなかの技倆では不可能です。同様に衣の処理も、「聖観音像」は際立って難しいことに挑戦しています。
それぞれ、収まるべきところに収まってほしいものです。最近、ネットオークションに出た光太郎の肉筆物の逸品2種類、収まるべきところに収まったことが判明しまして、安心しております。うち1種類は来月拝見してくる予定です。
【折々のことば・光太郎】
山口ではそんなことはやらないので、いいのですが、僕は商店で買いものをするとき、ある店でいかがわしいことがあると、絶対に行かないことにしています。花巻ではそういう店があります。一度、今度のようなことをしたところへは、もうこれからは行きません。
最後の「今度のようなこと」は、承諾無しに光太郎の名を講演会のプログラムに入れたことを指します。たしかにとんでもありませんね(笑)。
前半の「いかがわしいこと」は具体的にはわかりませんが、花卷中心街には光太郎の怒りを買うような商売をしていた店があったようですね。光太郎が暮らしていた山口地区ではそういうことはなかったそうですが。
ところで、現代のオークション系でも「いかがわしいこと」がよくあり、閉口しています。ネットオークションはまさにその宝庫で、光雲作という木彫で本物が出てくることはまずほとんどなく、「彫刻」とさえ言えないような稚拙なものを光雲、あるいはその高弟の作として出品している例がほとんどです。なぜか富山県の業者が多く(というか同一の業者が複数のアカウントを使い分けてやっているようですが)、富山県の名折れだと思います。
それでも買い手が付くのが不思議なのですが、どうも悪徳骨董業者が偽物と分かっていて買っているように思われます。結局は誰かをだまして売りつけるわけですが、その偽物も自分で作るのは面倒なわけで、偽物の仕入れ先として手軽なネットオークションが重宝がられているのではないかと思います。
同様のケースは古書店等の在庫目録にも散見されます。現在も神保町の有名な古書店が、光太郎肉筆なるものの偽物を堂々と出しています。当方、光太郎ではありませんが、もうその店からは絶対に買わないことに決めました。以前は有料で目録を取り寄せていたのですが、その更新手続きも断りました。
光雲木彫の「大聖像」が出ています。「大聖」は孔子、光雲が好んで彫った題材の一つで、類例は複数確認できています。
これ以外に、木彫を原型とする観音像の鋳造も出ていますが、現代の鋳造のもの――いわば工芸品――のようですので割愛します。
ちなみに、地上波テレビ東京さんで放映されている「所さんのそこんトコロ」9月4日(金)の放映分「開かずの蔵を開けろ!」というコーナーで、長野県の旧本陣だった旅館の蔵から光雲作の木彫を原型としたブロンズが出て来たところが紹介されました。
「造立」ではなく「造之」、漢文的に読んで「之(これ)を造る」なのですが……。
光雲生前に、その監督のもとで鋳造されたということであれば、工芸品という扱いではなくなります。ただ、これが鋳造ではなく木彫原型だったらとんでもない値段になるのは言わずもがなですね。
閑話休題、毎日オークションさんにもどります。来週開催の回にも光雲作品。
こちらの光雲作品は2点。
ちなみに、地上波テレビ東京さんで放映されている「所さんのそこんトコロ」9月4日(金)の放映分「開かずの蔵を開けろ!」というコーナーで、長野県の旧本陣だった旅館の蔵から光雲作の木彫を原型としたブロンズが出て来たところが紹介されました。
「造立」ではなく「造之」、漢文的に読んで「之(これ)を造る」なのですが……。
光雲生前に、その監督のもとで鋳造されたということであれば、工芸品という扱いではなくなります。ただ、これが鋳造ではなく木彫原型だったらとんでもない値段になるのは言わずもがなですね。
閑話休題、毎日オークションさんにもどります。来週開催の回にも光雲作品。
第651回毎日オークション 絵画・版画・彫刻
日 程 : 2020/10/17(土) 13:00~
会 場 : 毎日オークションハウス 東京都江東区有明3-5-7
下見会 : 2020年10月15日(木)・16日(金)10:00~18:00 10月17日(土) 10:00~12:30
こちらの光雲作品は2点。
出品3点で、だいぶ予想価格に差がありますが、保存状態と、それから工房作なのか光雲個人の作なのかといったところで評価が分かれます。最も高額な「聖観音像」は弟子の手が入って居らず、保存状態も良好ということですね。技術的にもとんでもない超絶技巧です。
ポイントは像の持物(じもつ)。「大聖像」と「聖徳太子像」の笏(しゃく)はそれほどでもありませんが、「聖観音像」の蓮華はなまなかの技倆では不可能です。同様に衣の処理も、「聖観音像」は際立って難しいことに挑戦しています。
それぞれ、収まるべきところに収まってほしいものです。最近、ネットオークションに出た光太郎の肉筆物の逸品2種類、収まるべきところに収まったことが判明しまして、安心しております。うち1種類は来月拝見してくる予定です。
【折々のことば・光太郎】
山口ではそんなことはやらないので、いいのですが、僕は商店で買いものをするとき、ある店でいかがわしいことがあると、絶対に行かないことにしています。花巻ではそういう店があります。一度、今度のようなことをしたところへは、もうこれからは行きません。
談話筆記「高村光太郎先生説話 二五」より
昭和26年(1951) 光太郎69歳
最後の「今度のようなこと」は、承諾無しに光太郎の名を講演会のプログラムに入れたことを指します。たしかにとんでもありませんね(笑)。
前半の「いかがわしいこと」は具体的にはわかりませんが、花卷中心街には光太郎の怒りを買うような商売をしていた店があったようですね。光太郎が暮らしていた山口地区ではそういうことはなかったそうですが。
ところで、現代のオークション系でも「いかがわしいこと」がよくあり、閉口しています。ネットオークションはまさにその宝庫で、光雲作という木彫で本物が出てくることはまずほとんどなく、「彫刻」とさえ言えないような稚拙なものを光雲、あるいはその高弟の作として出品している例がほとんどです。なぜか富山県の業者が多く(というか同一の業者が複数のアカウントを使い分けてやっているようですが)、富山県の名折れだと思います。
それでも買い手が付くのが不思議なのですが、どうも悪徳骨董業者が偽物と分かっていて買っているように思われます。結局は誰かをだまして売りつけるわけですが、その偽物も自分で作るのは面倒なわけで、偽物の仕入れ先として手軽なネットオークションが重宝がられているのではないかと思います。
同様のケースは古書店等の在庫目録にも散見されます。現在も神保町の有名な古書店が、光太郎肉筆なるものの偽物を堂々と出しています。当方、光太郎ではありませんが、もうその店からは絶対に買わないことに決めました。以前は有料で目録を取り寄せていたのですが、その更新手続きも断りました。