001当会発行の冊子『光太郎資料』54集、完成しました。

元々、当会顧問であらせられた故・北川太一先生が、昭和35年(1960)から平成5年(1993)にかけ、筑摩書房『高村光太郎全集』の補遺等を旨として始められ、その後、様々な「資料」を掲載、36集までを不定期に発行されていたものです。平成24年(2012)から名跡を引き継がせていただき、当会として年2回発行しております。北川先生の時代には、末期はワープロによる原稿作成になりましたが、初期は鉄筆ガリ版刷り、手作り感あふれるものでした。「こちらから勝手に必要と思われる人、団体に送る」というコンセプトだったそうで、そのあたりは引き継がせていただいております。表紙の「光太郎資料」の文字は、かつて北川先生が木版で作られたものから採っています。

現在はパソコンで原稿を作成、印刷(両面コピー)のみ地元の印刷屋さんに頼み、経費節減のため丁合(ページごとに紙をまとめること)、ホチキス留め製本は一冊ずつ当方が行っています。それでも一号分の印刷費、送料、ラベルや封筒などの消耗品で10万円ほどかかっています。

今号の内容は、以下の通りです。

・「光太郎遺珠」から 第十八回 父母弟妹・親族・姻族(二)
筑摩書房の『高村光太郎全集』完結(平成11年=1999)後、新たに見つかり続けている光太郎文筆作品類を、テーマ、時期別にまとめている中で、親族や姻族に宛てた書簡等を載せました。

明治42年(1909)、欧米留学の末期に1ヵ月ほど旅して歩いたイタリアから実弟の道利に送った絵葉書(今年、花巻高村光太郎記念館さんに寄贈されました)、同じく花巻高村光太郎記念館さんに平成26年(2014)に寄贈された、実弟豊周の妻、美和にあてた書簡などを載せています。

・光太郎回想・訪問記  宝川温泉にちなんだ話 高村光太郎氏訪れる 鈴木重郎
これまであまり知られていない(と思われる)、光太郎回想文を載せているコーナーです。平成26年(2014)公開の映画「テルマエ・ロマエⅡ」(阿部寛さん主演)のロケ地にもなった群馬県の宝川温泉を光太郎は2度訪れていますが、その際の思い出を、同温泉主が回想した文章です。

・ 光雲談話筆記集成  『大江戸座談会』より 江戸の防御線――見附の話(その二)
原本は江戸時代文化研究会発行の雑誌『江戸文化』第3巻第7号(昭和4年=1929)。光雲を含む各界の著名人等による座談会筆録です。底本には、平成18年(2006)柏書房発行、『大江戸座談会』を使っていますが、同書の監修に当たられた竹内誠氏(元江戸東京博物館館長)が、先月、亡くなっています。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

・昔の絵葉書で巡る光太郎紀行  第十八回  宝川温泉/湯の小屋温泉(群馬県)
上記「光太郎回想・訪問記」とリンクさせました。宝川温泉は、かつては「熊と一緒に露天風呂に入れる温泉」というのが売りでした。光太郎が泊まった当時の建物、部屋が現存しているようです。
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さらに宝川温泉と同時期に訪れた湯の小屋温泉についても。

・音楽・レコードに見る光太郎 「初夢まりつきうた」(その二)
昭和25年(1950)、当時あった地方紙『花巻新報』や、花巻商工会議所などから依頼されたと思われる、花巻商店街の歌的な「初夢まりつきうた」についてです。確認できている限り、光太郎が歌詞として作った最後の作品です。

・高村光太郎初出索引(年代順 二)
現在把握できている公表された光太郎文筆作品、挿画、装幀作品、題字揮毫等を、初出掲載誌によりソート・抽出し掲載しています。 掲載順は発表誌の最も古い号が発行された年月日順によります。以前は掲載紙タイトルの50音順での索引を掲載しましたが、年代順にソートし直して掲載しています。今号は明治42年(1909)と翌43年(1910)に初出があったもの。

ご入用の方にはお頒けいたします(37集以降のバックナンバーもご希望があれば)。一金10,000円也をお支払いいただければ、年2回、永続的にお送りいたします。通信欄に「光太郎資料購読料」と明記の上、郵便局備え付けの「払込取扱票」にてお振り込み下さい。ATMから記号番号等の入力でご送金される場合は、漢字でフルネーム、ご住所、電話番号等がわかるよう、ご手配下さい。
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ゆうちょ口座 00100-8-782139  加入者名 小山 弘明

他金融機関からの振り込み用口座番号

〇一九(ゼロイチキュウ)店(019) 当座 0782139


【折々のことば・光太郎】

よく「田舎に住みたい」という人がいます。しかし、ほんとうに田舎の生活が出来る人は少ないと思います。一カ月もしたら耐えられなくなってしまうでしょう。
談話筆記「高村光太郎先生説話 一八」より
昭和25年(1950) 光太郎68歳

「田舎」の定義にもよりますが……。光太郎が住んでいた当時の花巻郊外旧太田村、闇屋の買い出しさえ来なかったという場所でしたので……。