直接的には光太郎に関わりませんが……。
また、東松山市には、上記の通り、高田作品をずらっと並べた高坂彫刻プロムナード(ブロンズ通り)が整備されており、光太郎胸像も含まれています。
さらに市立図書館さんには、元教育長の故・田口弘氏旧蔵の光太郎関連資料が「」として、無料で公開されています。
併せてご覧下さい。
【折々のことば・光太郎】
茅の屋根については、僕はそのゆかしさを慕いますね。
アメリカは一般庶民の生活レベルがかなり高くなっており、ヨーロッパには深い芸術の伝統がある、という話の流れから、しかし日本には日本のいいところもある、というわけで。
高田博厚展2020
期 日 : 2020年10月7日(水)~11月3日(火・祝)
会 場 : 東松山市総合会館 埼玉県東松山市松葉町1-2-3
時 間 : 9:00~17:00
休 館 : 期間中無休
料 金 : 無料
10月25日(日)の室町澄子さんの講演会は申し込みまして、参加が許可されましたので拝聴して参ります。ちなみに室町さんを作った高田の彫刻は、先月、豊科近代美術館さんで開催されていた「高田博厚生誕120年記念展―パリと思索と彫刻―」の際に拝見して参りました。本年は、高坂駅西口の「高坂彫刻プロムナード」を彩る彫刻の作者・高田博厚の生誕120年にあたります。
本展では、高田のご遺族から寄贈された貴重な彫刻やデッサンなどの作品を展示し、精力的に創作し続けた彼の功績を紹介します。彫刻作品のほか、デッサンや絵画、フランスから持ち帰った書簡等を展示します。また、アトリエ再現コーナーや視聴覚コーナーなどを設け、高田と高坂彫刻プロムナードのエピソードを紹介します。
また、関連企画として、高田と親交のあった元NHKアナウンサー室町澄子さんによる特別講演会を開催します。(要予約)
彫刻家 高田博厚 1900-1987
石川県生まれ。日本を代表する彫刻家・思想家・随筆家。18歳で上京し、彫刻家で詩人の高村光太郎と親交を深め、21歳の時に高村から借り受けた彫刻台で彫刻制作を始める。30歳で渡仏し、文豪ロマン・ロランや哲学者アランなどヨーロッパの知識人と交流しながら活動し、第二次世界大戦中もフランスに留まる。57歳で帰国した後も精力的に創作活動を続け、86歳でその生涯を閉じた。
高田博厚と高坂彫刻プロムナード
高村光太郎と親交のあった元東松山市教育長の田口弘が、1965年に高村光太郎を偲ぶ連翹忌で高田博厚に会う。その後、東松山市で彫刻展や講演会を開催するなど親交を深めるようになった。そのころ東松山市では、高坂駅西口土地区画整理事業を実施しており、事業の完了に際し、田口が「一人の一流作家の作品で飾る彫刻通りが実現できれば、全国に誇れる彫刻通りになる」と提言し、高田はそれに応じた。1986年に2体、1987年に14体、1989年に11体、そして1994年に5体を設置し現在の高坂彫刻プロムナードの形になった。
関連行事
特別講演会
東松山市で毎年行われている「高田博厚展」、今年も始まります。
当初予定では、まず恵比寿の日仏会館さんで展示が行われ、その後、東松山に巡回のはずでしたが、コロナ禍のため、恵比寿の方は中止、東松山のみでの開催となりました。
また、10月2日(金)には、恵比寿での関連行事としてのシンポジウムが予定されていまして、当方もパネリストを仰せつかっておりましたが、中止(涙)。
彫刻家 高田博厚 1900-1987
石川県生まれ。日本を代表する彫刻家・思想家・随筆家。18歳で上京し、彫刻家で詩人の高村光太郎と親交を深め、21歳の時に高村から借り受けた彫刻台で彫刻制作を始める。30歳で渡仏し、文豪ロマン・ロランや哲学者アランなどヨーロッパの知識人と交流しながら活動し、第二次世界大戦中もフランスに留まる。57歳で帰国した後も精力的に創作活動を続け、86歳でその生涯を閉じた。
高田博厚と高坂彫刻プロムナード
高村光太郎と親交のあった元東松山市教育長の田口弘が、1965年に高村光太郎を偲ぶ連翹忌で高田博厚に会う。その後、東松山市で彫刻展や講演会を開催するなど親交を深めるようになった。そのころ東松山市では、高坂駅西口土地区画整理事業を実施しており、事業の完了に際し、田口が「一人の一流作家の作品で飾る彫刻通りが実現できれば、全国に誇れる彫刻通りになる」と提言し、高田はそれに応じた。1986年に2体、1987年に14体、1989年に11体、そして1994年に5体を設置し現在の高坂彫刻プロムナードの形になった。
関連行事
特別講演会
高田と親交があり、彫刻作品のモデルになった元NHKアナウンサーの室町澄子さんに、高田が室町さんの彫刻に込めた思いなどを語っていただきます。
日時 10月25日(日曜日)午後1時30分開場、午後2時開演
会場 東松山市総合会館4階 多目的ホール
定員 80人(申込順)
申込 電話又は東松山市サイトから申込
東松山市で毎年行われている「高田博厚展」、今年も始まります。
当初予定では、まず恵比寿の日仏会館さんで展示が行われ、その後、東松山に巡回のはずでしたが、コロナ禍のため、恵比寿の方は中止、東松山のみでの開催となりました。
また、10月2日(金)には、恵比寿での関連行事としてのシンポジウムが予定されていまして、当方もパネリストを仰せつかっておりましたが、中止(涙)。
また、東松山市には、上記の通り、高田作品をずらっと並べた高坂彫刻プロムナード(ブロンズ通り)が整備されており、光太郎胸像も含まれています。
さらに市立図書館さんには、元教育長の故・田口弘氏旧蔵の光太郎関連資料が「」として、無料で公開されています。
併せてご覧下さい。
【折々のことば・光太郎】
茅の屋根については、僕はそのゆかしさを慕いますね。
談話筆記「高村光太郎先生説話 一六」より
昭和25年(1950) 光太郎68歳
アメリカは一般庶民の生活レベルがかなり高くなっており、ヨーロッパには深い芸術の伝統がある、という話の流れから、しかし日本には日本のいいところもある、というわけで。