昨日の『沖縄タイムス』さんの記事から。
この詩、光太郎詩の中ではそれほど有名な作品ではありませんが、クラシック系の歌曲にもなっていたり、朗読CD(小林稔侍さん、森田成一さんなど)にも収められたりしています。また、今年はコロナ禍のため中止となりましたが、毎年5月の花巻高村祭でも、花巻高等看護学校の生徒さんが、やはりこの詩に曲を付けた歌を斉唱なさったりもして下さっています。
さて、MATSURIさんの「最低にして最高の道」。動画投稿サイトYouTubeにアップされていました。最初、『沖縄タイムス』さんの記事を読んだ時、サムネイルの画像がグループアイドル系さんが歌って踊って的な(一番上の画像)だったので、「最低にして……」もシャカシャカ系かと思っておりましたが、さにあらず。しっとり系のバラードでした。記事にも「切ない語り口で心を揺さぶった」とありましたね。
動画ありのバージョン。
作曲されたKAITOさんという方が歌われているバージョンも。
詩としての「最低にして……」は、挙国一致体制を支持し、聖戦完遂、神国日本に勝利をもたらそう、手を貸してくれと、そういうきな臭い背景のある翼賛詩なのですが、そういう背景を抜きにして読めばそれなりにいい詩です。
逆に言うと、「八紘一宇」だ、「大東亜共栄」だ、「進め一億火の玉だ」といった言葉を使わなくともそういう意図を表してしまえる光太郎の詩才に舌を巻かされますが……。
残念ながらCDにはなっていないようで、CD化を希望します。
【折々のことば・光太郎】
木彫のものはオノでわって、ストーブにくべてしまいました。石膏などであったら、一撃を加えて跡形もなくなってしまいます。そんなものでしたから、いまに残っている作品は少ないのです。これは僕のひとつの病気とでもいうものだったんでしょう。
沖縄の実力派アイドルら舞台躍動 魅力オンラインでの生配信、笑顔届ける
「GFO(GiRLS FES OKiNAWA)」が12日、那覇市のOutput(アウトプット)であった。無観客、オンラインでの生配信ライブで県内女性アイドルグループや歌手、ダンスクルーら4組が画面越しのファンに笑顔とクオリティーの高いパフォーマンスを届けた。(学芸部・西里大輝)
「RYUKYU IDOL」のまいちゆう(26)、こうあ(17)、まり(22)、はるぱん(18)、しゅり(19)の5人はスマイル満開で、オリジナル曲「ミライ」など計9曲を40分間ノンストップで歌い、ステージを躍動。沖縄発アイドルの実力を見せつける。
続くMATSURI(18)は透明感のある歌声と確かな歌唱力で存在感を示す。詩人・高村光太郎の詩をアレンジしたオリジナル曲「最低にして最高の道」は切ない語り口で心を揺さぶった。
静かな余韻は、hanaとmionの激しいダンスで一転する。レゲエや洋楽、K・POPの曲を息の合ったキレのある動きでエモーショナルに踊りきり、ライブに熱気をもたらす。
最後は「Lollipop(ロリポップ)」の比嘉琉那(17)と花城奈央(15)が「Alright」「Let’s」などノリノリのダンスチューンでステージを彩る。笛を吹き、タオルを回してのコール&レスポンス。爽やかさな笑顔でファンの声援に応えた。
GFOはテレビ番組のディレクターでイベントプロデューサーの金城光生(てるみち)によるプロジェクト。県内で活躍するガールズユニットや女性シンガーらのライブを定期的開催し、魅力を発信してきた。金城プロデューサーは「みんな実力が高く、金の取れるパフォーマンスをしている。そのことを知ってほしい」とし、今後も若いアイドルのステージを提供していきたいと力を込めた。
MATSURIさんという方が、光太郎詩「最低にして最高の道」(昭和15年=1940)に曲を付けた歌を歌われたそうです。この詩、光太郎詩の中ではそれほど有名な作品ではありませんが、クラシック系の歌曲にもなっていたり、朗読CD(小林稔侍さん、森田成一さんなど)にも収められたりしています。また、今年はコロナ禍のため中止となりましたが、毎年5月の花巻高村祭でも、花巻高等看護学校の生徒さんが、やはりこの詩に曲を付けた歌を斉唱なさったりもして下さっています。
さて、MATSURIさんの「最低にして最高の道」。動画投稿サイトYouTubeにアップされていました。最初、『沖縄タイムス』さんの記事を読んだ時、サムネイルの画像がグループアイドル系さんが歌って踊って的な(一番上の画像)だったので、「最低にして……」もシャカシャカ系かと思っておりましたが、さにあらず。しっとり系のバラードでした。記事にも「切ない語り口で心を揺さぶった」とありましたね。
動画ありのバージョン。
作曲されたKAITOさんという方が歌われているバージョンも。
詩としての「最低にして……」は、挙国一致体制を支持し、聖戦完遂、神国日本に勝利をもたらそう、手を貸してくれと、そういうきな臭い背景のある翼賛詩なのですが、そういう背景を抜きにして読めばそれなりにいい詩です。
逆に言うと、「八紘一宇」だ、「大東亜共栄」だ、「進め一億火の玉だ」といった言葉を使わなくともそういう意図を表してしまえる光太郎の詩才に舌を巻かされますが……。
残念ながらCDにはなっていないようで、CD化を希望します。
【折々のことば・光太郎】
木彫のものはオノでわって、ストーブにくべてしまいました。石膏などであったら、一撃を加えて跡形もなくなってしまいます。そんなものでしたから、いまに残っている作品は少ないのです。これは僕のひとつの病気とでもいうものだったんでしょう。
談話筆記「高村光太郎先生説話 九」より
昭和25年(1950) 光太郎68歳
気に入らない制作はどんどん壊す。芸術家あるある、ですね(笑)。クオリティーを保つためには必要なことなのかも知れません。
さらに言うなら、昭和20年(1945)の空襲で、残っていた作品のほとんども焼けてしまいました。
さらに言うなら、昭和20年(1945)の空襲で、残っていた作品のほとんども焼けてしまいました。