花巻レポートの最終回です。
9月14日(月)から1泊させていただいた花巻南温泉峡の大沢温泉さん。かつて光太郎もたびたび宿泊した温泉地です。
こちらはゴージャスめの温泉旅館「山水閣」、南部藩のお殿様も泊まった(光太郎もですが)築170年近い萱葺きの別館「菊水館」、そして湯治客用の「自炊部(湯治屋)」の三棟に分かれています。経営はグループで同一です。
当方、かつては菊水館さんを定宿としていましたが、一昨年の台風により、そちらに通じる道が被災したため宿泊棟としては休業中です。
そこで、このところ自炊部さんにお世話になることがほとんどとなっています。
窓を開けると豊沢川の清流、その対岸に菊水館。菊水館の建物は無事でしたし、自炊部からは曲がり橋という橋で歩いていけますので、昨年からは「昔ギャラリー茅(ちがや)」として活用されています。やはり人が出入りしないと建物は死んでしまいますから、いい取り組みだと思います。当方、昨秋以来2度目の訪問となりました。
まず目にとまったのは、昨秋は無かったと記憶していますが、元のロビーだったところに、大型テレビを縦に置いた液晶ディスプレイ。東北新幹線の新花巻駅待合室にも同じような機器がセットされていましたが、当節、流行なのでしょうか。
現在の展示内容についての動画などが流れ、さらに「古き良き花巻 昭和35年観光映像」ということで、昭和35年(1960)撮影の映像も。
ディスプレイ下部は固定で「馬面電車」といわれた花巻電鉄。2系統あったうちの一つが、かつて花巻中心街から南温泉峡の鉛温泉まで通じていて、大沢温泉さんにも駅があり、その画像です。
さて、動画部分。当時としては画期的だったと思われるカラー映像です。
タイトルの後は東北本線花巻駅ですね。
ナレーションは花巻ご出身の故・高橋圭三さん。
こちらでも花巻電鉄。
花巻といえば宮沢賢治。そういえば高橋圭三さん、賢治とは遠縁だそうです。
市街桜町の賢治詩碑。昭和11年(1936)、光太郎が揮毫しました。
当時は普通に見られたイギリス海岸(現在は水面が上がり、通常は水底です)。
そして、光太郎。
まだ記念館は建てられていませんでしたが、光太郎の暮らした山小屋には套屋がかぶせられ、高村山荘として整備されていました。
山荘裏手の高台には智恵子展望台。ここで夜な夜な光太郎が「チエコーッ」と叫んでいたという証言から名付けられました。
現在はウッドデッキが整備され、きれいになっています。
その他、市内各所の見どころや、年中行事など。なかなか見応えのあるものでした。
その他の展示。昨秋と同じだったところもあれば、変わっていたスペースもありました。
こんなコーナーも。
先ほどの映像のナレーター、花巻ご出身の故・高橋圭三さん。
作家の夢枕獏さん。
故・西城秀樹さん、そして渡辺えりさん。
渡辺さんのものは、平成25年(2013)5月、高村祭などでご講演いただいた際のものです。その時は渡辺さんは山水閣さんの牡丹の間、当方は菊水館に泊まりました。一緒ではありませんでしたので、念のため(笑)。
さて、菊水館。こうした利用方法も一つの手ではありますが、やはりまた宿泊棟として復活して欲しいものです。
以上、花巻レポートを終わります。
【折々のことば・光太郎】
古老の天気に関する考えを記録に取ることもあります。これは科学的な予報ではないのですが、長い間の体験から生まれでる感じによって、当たることがあります。人よりも動物のほうが天候や天気に対する感覚が強いと考えられるくらいですから、あながち、でたらめなことでもないと思います。
9月14日(月)から1泊させていただいた花巻南温泉峡の大沢温泉さん。かつて光太郎もたびたび宿泊した温泉地です。
こちらはゴージャスめの温泉旅館「山水閣」、南部藩のお殿様も泊まった(光太郎もですが)築170年近い萱葺きの別館「菊水館」、そして湯治客用の「自炊部(湯治屋)」の三棟に分かれています。経営はグループで同一です。
当方、かつては菊水館さんを定宿としていましたが、一昨年の台風により、そちらに通じる道が被災したため宿泊棟としては休業中です。
そこで、このところ自炊部さんにお世話になることがほとんどとなっています。
窓を開けると豊沢川の清流、その対岸に菊水館。菊水館の建物は無事でしたし、自炊部からは曲がり橋という橋で歩いていけますので、昨年からは「昔ギャラリー茅(ちがや)」として活用されています。やはり人が出入りしないと建物は死んでしまいますから、いい取り組みだと思います。当方、昨秋以来2度目の訪問となりました。
まず目にとまったのは、昨秋は無かったと記憶していますが、元のロビーだったところに、大型テレビを縦に置いた液晶ディスプレイ。東北新幹線の新花巻駅待合室にも同じような機器がセットされていましたが、当節、流行なのでしょうか。
現在の展示内容についての動画などが流れ、さらに「古き良き花巻 昭和35年観光映像」ということで、昭和35年(1960)撮影の映像も。
ディスプレイ下部は固定で「馬面電車」といわれた花巻電鉄。2系統あったうちの一つが、かつて花巻中心街から南温泉峡の鉛温泉まで通じていて、大沢温泉さんにも駅があり、その画像です。
さて、動画部分。当時としては画期的だったと思われるカラー映像です。
タイトルの後は東北本線花巻駅ですね。
ナレーションは花巻ご出身の故・高橋圭三さん。
こちらでも花巻電鉄。
花巻といえば宮沢賢治。そういえば高橋圭三さん、賢治とは遠縁だそうです。
市街桜町の賢治詩碑。昭和11年(1936)、光太郎が揮毫しました。
当時は普通に見られたイギリス海岸(現在は水面が上がり、通常は水底です)。
そして、光太郎。
まだ記念館は建てられていませんでしたが、光太郎の暮らした山小屋には套屋がかぶせられ、高村山荘として整備されていました。
山荘裏手の高台には智恵子展望台。ここで夜な夜な光太郎が「チエコーッ」と叫んでいたという証言から名付けられました。
現在はウッドデッキが整備され、きれいになっています。
その他、市内各所の見どころや、年中行事など。なかなか見応えのあるものでした。
その他の展示。昨秋と同じだったところもあれば、変わっていたスペースもありました。
こんなコーナーも。
先ほどの映像のナレーター、花巻ご出身の故・高橋圭三さん。
作家の夢枕獏さん。
故・西城秀樹さん、そして渡辺えりさん。
渡辺さんのものは、平成25年(2013)5月、高村祭などでご講演いただいた際のものです。その時は渡辺さんは山水閣さんの牡丹の間、当方は菊水館に泊まりました。一緒ではありませんでしたので、念のため(笑)。
さて、菊水館。こうした利用方法も一つの手ではありますが、やはりまた宿泊棟として復活して欲しいものです。
以上、花巻レポートを終わります。
【折々のことば・光太郎】
古老の天気に関する考えを記録に取ることもあります。これは科学的な予報ではないのですが、長い間の体験から生まれでる感じによって、当たることがあります。人よりも動物のほうが天候や天気に対する感覚が強いと考えられるくらいですから、あながち、でたらめなことでもないと思います。
談話筆記「高村光太郎先生説話 四」より
昭和24年(1949) 光太郎67歳
花巻郊外旧太田村での蟄居生活。自然と一体化して暮らすという、光太郎にとっては若い頃からの理想の実現という意味もありました。