一昨日・昨日と1泊2日で、市民講座講師のため岩手花巻に行っておりました。3回にわけてレポート致します。
花巻到着後、まず向かったのは、先月オープンした「道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)」さん。
あいにくの雨模様でした。
さらに平日の日中でしたが、そこそこお客さんが入っており、胸をなで下ろしました。オープン早々閑古鳥が鳴いていては先行きが心配ですし。
向かって左が産直コーナー的な物産館「すぎの樹」さん。
地元の農産物、お弁当、加工食品などが並んでいます。
壁には花巻郊外旧太田村時代の光太郎を描いた絵。ここにこういう絵があったことに気がつきませんで、後で花巻高村光太郎記念館さんの方に、「こういう絵があったでしょう」と言われ、「?」。そこでスマホの画像を見てみると、ちゃんと写っていました(笑)。拡大すると……。
愛称が「賢治と光太郎の郷」ということで、賢治グッズ/光太郎グッズのコーナーも。
産直コーナーの隣は焼き肉レストラン「味楽苑」さん。この日は既に新幹線車内で昼食(駅弁)を済ませていたのでパスしましたが、いずれこちらで食べさせていただこうと思いました。
さらにその奥がコミュニティスペース的になっており、テーブルと椅子。
壁面には賢治と光太郎に関する説明パネル。地元の方のご執筆ですが、こちらにも原稿が回ってきまして、校閲、加筆させていただきました。
花巻到着後、まず向かったのは、先月オープンした「道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)」さん。
あいにくの雨模様でした。
さらに平日の日中でしたが、そこそこお客さんが入っており、胸をなで下ろしました。オープン早々閑古鳥が鳴いていては先行きが心配ですし。
向かって左が産直コーナー的な物産館「すぎの樹」さん。
地元の農産物、お弁当、加工食品などが並んでいます。
壁には花巻郊外旧太田村時代の光太郎を描いた絵。ここにこういう絵があったことに気がつきませんで、後で花巻高村光太郎記念館さんの方に、「こういう絵があったでしょう」と言われ、「?」。そこでスマホの画像を見てみると、ちゃんと写っていました(笑)。拡大すると……。
愛称が「賢治と光太郎の郷」ということで、賢治グッズ/光太郎グッズのコーナーも。
こちらのオープンに合わせて開発された新商品「智恵子のレモンキャンディー」、当方が訪れる頃には売り切れ必至だろうと、今月初めに送って下さったのですが、まだ残っていました。
当方大好物のリンゴも売られていまして、買わないという選択肢はありませんでした(笑)。購入したのは小さめの品種でしたが4つで230円と激安。少し前には当方地元・千葉のスーパーで1個200円くらいでしたので、嬉しい価格でした。
当方大好物のリンゴも売られていまして、買わないという選択肢はありませんでした(笑)。購入したのは小さめの品種でしたが4つで230円と激安。少し前には当方地元・千葉のスーパーで1個200円くらいでしたので、嬉しい価格でした。
さらにその奥がコミュニティスペース的になっており、テーブルと椅子。
壁面には賢治と光太郎に関する説明パネル。地元の方のご執筆ですが、こちらにも原稿が回ってきまして、校閲、加筆させていただきました。
空いている壁面もありますし、まだまだ工夫の余地はありそうです。市内の賢治/光太郎マップとか、それぞれのスポットの紹介とか。さらに映像機器等を置く構想もあるやに聞いています。
建物の外には海鮮系の移動販売車。
草花のコーナーも。リンドウが綺麗でした。いかにも、秋。
全体としては、まだオープンしたばかりなので、まだまだこれからどう発展していくか、という感じですね(同じ敷地内にコンビニも建設中でした)。
今後はここを拠点にいろいろな活動等が展開していくことを望みます。当方地元の道の駅では、地元ラジオ局とのタイアップでコンサートが開かれたり(かつては「翼の折れたエンジェル」の中村あゆみさんなどもいらっしゃいまして拝聴しました)、日曜日、今回の花巻行きのための手土産を買いに行ったら、フリーマーケットが行われていたりしました(いずれ出店しようかな、などとも思いました(笑))。地元の皆さんで、どんどん良いアイディアを出して行っていただきたく存じます。
みなさまもぜひ花巻にお越しの際はお立ち寄りを。
【折々のことば・光太郎】
子供は先生のいうことはよくききます。しかし、親子で教えることはできません。教えるというのではなくて空気です。耳や目からでなくて、いつとはなしに体で覚えます。いつのまにか染みこみます。染みこんだものはなかなか取れません。
建物の外には海鮮系の移動販売車。
草花のコーナーも。リンドウが綺麗でした。いかにも、秋。
全体としては、まだオープンしたばかりなので、まだまだこれからどう発展していくか、という感じですね(同じ敷地内にコンビニも建設中でした)。
今後はここを拠点にいろいろな活動等が展開していくことを望みます。当方地元の道の駅では、地元ラジオ局とのタイアップでコンサートが開かれたり(かつては「翼の折れたエンジェル」の中村あゆみさんなどもいらっしゃいまして拝聴しました)、日曜日、今回の花巻行きのための手土産を買いに行ったら、フリーマーケットが行われていたりしました(いずれ出店しようかな、などとも思いました(笑))。地元の皆さんで、どんどん良いアイディアを出して行っていただきたく存じます。
みなさまもぜひ花巻にお越しの際はお立ち寄りを。
【折々のことば・光太郎】
子供は先生のいうことはよくききます。しかし、親子で教えることはできません。教えるというのではなくて空気です。耳や目からでなくて、いつとはなしに体で覚えます。いつのまにか染みこみます。染みこんだものはなかなか取れません。
談話筆記「高村光太郎先生説話 二」より
昭和24年(1949) 光太郎67歳
昭和24年(1949) 光太郎67歳
光太郎が蟄居していた山小屋近くにあった山口小学校の保護者懇談会での発言です。
明日、レポートいたしますが、市民講座で光雲・光太郎親子の彫刻の系譜的なお話しをさせていただきました。それぞれに傑出した彫刻家であった二人、しかし目指す方向性は異なり、いろいろな問題を孕んでいるのだな、と、改めて感じました。
明日、レポートいたしますが、市民講座で光雲・光太郎親子の彫刻の系譜的なお話しをさせていただきました。それぞれに傑出した彫刻家であった二人、しかし目指す方向性は異なり、いろいろな問題を孕んでいるのだな、と、改めて感じました。