たまたまネットで検索中に見つけた情報です。
こういう募集もあるのですね。高村狐堂さんという方、当方は存じませんでした。高村姓ですが、光太郎血縁ではなく、おそらくペンネームなのではないでしょうか。
光太郎には、彫刻の上では師匠という師匠は居ませんでした(少年期であれば父・光雲やその高弟たちがそれにあたるかもしれませんが)し、二階堂トクヨは智恵子の親友ではなく恩師、さらに光太郎が開いた個展は生前には一度きり、それも最晩年になのですが、まぁ、そのあたりは演出上の脚色ということなのでしょうか。
そうした点はともかく、「自分で酒や料理を用意しようという光太郎だったが、「そんなものは奥さんに任せておけ」「なんのために結婚したんだ」と言うばかり。光太郎は「僕は、彼女を幸せにしたくて、彼女の絵が好きだから結婚したんだから、僕の酒ごときで煩わせたくない」と反論するが、時代と世間はそれを許さなかった。」という切り口、これまでも為されてきてはいますが、やはりあまり状況は変わっていない現代においても、十分に訴えかける部分があると思います。
我こそは、という方、ぜひご応募を。
【折々のことば・光太郎】
本当は技巧がよければ良い程いゝんですがね。所がそれが本当の技巧にならない時もあるし……然し又技巧を全く止して考へてみることも出来ないから一寸解らない、僕は非常に技巧が練達したと言はれて居る人のを見て拙く感ずる。
大正から昭和を生きた画家・高村智恵子と、夫で彫刻家の高村光太郎を主人公にすえた10分の短編映画の助演を探しております。
監督・脚本はカンヌ短編映画祭・ベネチア映画祭・ロシアのアムール秋映画祭・武蔵野市後援映画・埼玉県主催絵映画を担当してきた高村狐堂。今作も、国内外の映画祭に応募予定です。また、現在月に1本短編映画を作っており、継続的に座付き役者として活動できる方を特に望んでおります。
【あらすじ】
明治から昭和を生きた、画家・高村智恵子と彫刻家・高村光太郎(二人とも実在の人物)。大恋愛のすえに結婚した二人は幸福な人生を送るかに見えた。将来を嘱望された智恵子と光太郎の未来は明るいはずで、お互いの個展も決まっていた。
しかし……。結婚してすぐ、暗雲が垂れ込めていく。家に光太郎の友人たちが訪ねてくる。自分で酒や料理を用意しようという光太郎だったが、「そんなものは奥さんに任せておけ」「なんのために結婚したんだ」と言うばかり。光太郎は「僕は、彼女を幸せにしたくて、彼女の絵が好きだから結婚したんだから、僕の酒ごときで煩わせたくない」と反論するが、時代と世間はそれを許さなかった。光太郎は、智恵子のサポートもあり次々と個展を成功させる。一方で家事炊事全般をやらされた智恵子は創作に手がつかなくなり、創作欲をもてあまして心を病むようになっていった。
智恵子には大河ドラマ『いだてん』でも有名になった二階堂トクヨという親友がいた。その親友からは「実家に帰りなさい」「ひとり身になって絵を描き続けなさい」と助言される。智恵子は帰郷しようとするが、実家は破産・一家離散してしまう。智恵子の精神は限界に達し、精神病院に入院することになる。
光太郎は病院に通うが、ついに智恵子は死んでしまう。光太郎はその臨終の席で、智恵子に檸檬を渡すのだった。光太郎はその時の記憶を『レモン哀歌』にしたため、世間からも好評をうける。一番喜んでほしかった智恵子は、もうそばにいないけれども。
【募集内容】
・光太郎の友人・師匠役
・募集年齢:18歳~50歳頃
・報酬:軽食支給
・撮影日程:9月15日(火)19時~21時
・撮影場所:馬込駅徒歩10分の古民家
【応募方法】
・件名:『高村光太郎映画(仮)』/友人役応募/(応募者のお名前)
①年齢、身長、特技、趣味、出演経歴
②バストアップと全身写真
③ご自宅最寄り駅
④FACEBOOK・ツイッター・インスタ・TIKTOK・17ライブ・ショールーム・CHECKなどのURL。
⑤(あれば)映画および映像作品の、WEB上の映像リンク
⑥オーディション方法
ライン通話かZOOMで15分ほど。あるいは山手線の駅・会議室にて審査。
日程は別途連絡いたします。
⑦エキストラ(台詞あり・なし)(役名あり・なし)での出演可能か。
脚本上の別役対応可能か。
応募先:kodo0918@yahoo.co.jp
まずはご応募いただければ幸いです。
みなさまからのご応募、心よりお待ちしております。
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スタッフ経歴
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脚本 - 高村 狐堂 Kodo Takamura
監督、脚本家。
・2019年イルミナシオン映画祭最終選考(別名義)脚本
・NHK創作ドラマ賞佳作(別名義)脚本
・カンヌ短編映画祭『FALL』脚本
・(上記とは別監督)カンヌ短編映画祭『茶色い水』脚本
・沖縄県主催映画『光の跡地』特別賞受賞 脚本監督(NHKにて5回放映)
・ロシアのアムール秋映画祭『歪な体温』脚本
・実在のバンドと手を組んだ音楽長編映画『かさぶた』脚本・助監督
・東北映画祭『311の娘たち』脚本・監督
・クロアチア映画祭長編映画『311の子どもたち』脚本監督
・茨城県自治体との共催中編映画『真夏の通り雨』脚本(2020年撮影)
・埼玉県内の全自治体との共催映画『うたたね』脚本(2020年撮影)
・青森県自治体との共催長編映画『セブンズドア』脚本(2021年撮影)
こういう募集もあるのですね。高村狐堂さんという方、当方は存じませんでした。高村姓ですが、光太郎血縁ではなく、おそらくペンネームなのではないでしょうか。
光太郎には、彫刻の上では師匠という師匠は居ませんでした(少年期であれば父・光雲やその高弟たちがそれにあたるかもしれませんが)し、二階堂トクヨは智恵子の親友ではなく恩師、さらに光太郎が開いた個展は生前には一度きり、それも最晩年になのですが、まぁ、そのあたりは演出上の脚色ということなのでしょうか。
そうした点はともかく、「自分で酒や料理を用意しようという光太郎だったが、「そんなものは奥さんに任せておけ」「なんのために結婚したんだ」と言うばかり。光太郎は「僕は、彼女を幸せにしたくて、彼女の絵が好きだから結婚したんだから、僕の酒ごときで煩わせたくない」と反論するが、時代と世間はそれを許さなかった。」という切り口、これまでも為されてきてはいますが、やはりあまり状況は変わっていない現代においても、十分に訴えかける部分があると思います。
我こそは、という方、ぜひご応募を。
【折々のことば・光太郎】
本当は技巧がよければ良い程いゝんですがね。所がそれが本当の技巧にならない時もあるし……然し又技巧を全く止して考へてみることも出来ないから一寸解らない、僕は非常に技巧が練達したと言はれて居る人のを見て拙く感ずる。
座談会筆録「第二回研究部座談会」より
昭和15年(1940) 光太郎58歳
昭和15年(1940) 光太郎58歳
彫刻に関して、光太郎は小手先の技巧を駆使するやり方を認めていませんでした。といっても、技巧全般を無視するというわけではなく、最低限の技巧はベースとしてあるべきで、その後の処理ですね。技巧を見せることに終始しては本末転倒、内側から溢れ出る生命感みたいなものが、技巧を超えて表現されていなければならない、というわけでしょう。