昨日もちらっとご紹介しましたが、岩手のテレビ局・めんこいテレビさんで1時間の特番が組まれています。 

智恵子さん、岩手は気に入りましたか、好きですか?~高村光太郎の山小屋暮らし7年~

めんこいテレビ 2020年8月29日(土)  14時00分~14時55分

彫刻家で詩人の高村光太郎はなぜ岩手の山小屋で7年も独居自炊の生活を送ったのか。美の巨人が貫いた亡き妻・智恵子への愛、岩手の人と自然に対する強い思いに迫る。

日本の近代美術を代表する彫刻家の一人で、詩集「道程」や「智恵子抄」などでも知られる高村光太郎は戦争が終結した昭和20年8月15日を花巻で迎えた…。縁あって宮沢賢治の生家に疎開していた光太郎は終戦後も東京には戻らず、花巻の山小屋で暮らし始める。なぜ光太郎は人里離れた粗末な小屋を終の棲家と決め、7年も暮らしたのか…。番組をナビゲートするのは2人の女性。愛読書は「智恵子抄」、文学者では石川啄木推し!という石橋美希アナウンサー。花巻在住で、雑誌の高村光太郎のレシピ企画に携わっていた和服美人・保坂悦子さん。2人は、光太郎が暮らした花巻市の高村山荘や、智恵子のふるさと福島県二本松市などを訪ねた。“美の巨人"が貫いた亡き妻・智恵子への愛に二人は感動。岩手の自然と人に魅せられた光太郎は山小屋でいったい何を発見したのか。

出演者
 石橋美希(めんこいテレビアナウンサー)
 保坂悦子(花巻市在住・バー経営)
 中村好文(建築家)

018

光太郎が戦後の7年間を過ごした花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)、隣接する高村光太郎記念館さんなどでロケが行われています。

007

016

015

014

出演者の中に建築がご専門の中村好文氏の名。氏は平成25年(2013)に『小屋から家へ』という書籍を上梓なさっています。光太郎の山小屋、光太郎と交流のあったスキー選手の猪谷六合雄が赤城山に建てた小屋、鴨長明の「方丈」など7つの特徴的な「小屋」を紹介するものです。同年と翌年、同書とリンクする展覧会「中村好文展 小屋においでよ!」が、都内金沢で開催されました。

そういうわけで光太郎の山小屋、さらに建築ということになると、山小屋に移る直前の1ヵ月ほどを過ごし、その後も街に出て来た時は定宿としていた花巻病院長・佐藤隆房邸の離れも取り上げられるそうです。

また、保坂悦子さんという方、おそらく『花巻まち散歩マガジン Machicoco(マチココ)』さんの連載「光太郎レシピ」に関わられているのでしょう。山小屋での光太郎の「食」的な内容も盛り込まれているようです。

019 012

さらに、光太郎もたびたび宿泊した大沢温泉さん。

追記 下記カット、大沢温泉さんではなく、志戸平温泉さんでした。

011

おそらく後半は、智恵子にスポット。

017

智恵子の故郷・福島二本松でのロケも敢行されました。

008
二本松霞ヶ城。

009
智恵子記念館さん。

8e13ecbb-s
隣接する戸田屋商店さん。

010




岩手の皆さん、ぜひご覧下さい。

しかし、岩手のみでの放映というのも勿体ない気がします。めんこいテレビさんはフジテレビさん系列のようで、地上波で、とはいいませんが、BSフジさんあたりででも全国放映していただきたいものです。

【折々のことば・光太郎】

詩は小生にとつて生活行動と芸術衝動との安全弁の役をしてゐます。しかしこれではなぜ詩を書くかといふ問の答にはなりませんね。

アンケート「何故詩を書くか」全文 昭和6年(1931) 光太郎49歳

彫刻を純粋造型たらしめるため――光太郎曰くの「胸中の氤氳(いんうん)」が彫刻に入り込まないようにするため――に、「胸中の氤氳」は詩として吐き出す、という、他でもよく語られている光太郎の方法論です。