宮城県からバスツアーの情報です。 

3.11を忘れない 石巻 大川小学校・女川 いのちの石碑

3密を避けた新しい形態で旅行に行きませんか? 東日本大震災時の様子や復興の様子、被災地に今必要なことなどについてお話させて頂く「現地語り部ガイド」2ヶ所付き。

全校児童108人の7割に当たる74人、教職員10人が死亡・行方不明となった石巻市の旧大川小学校跡地で「大川小学校伝承の会」の方から当時の状況などの説明をして頂きます。

東日本大震災で最も高い死亡率となった女川町は、被災地域の中でも唯一「防潮堤を造らない」町として、あくまでも「減災」を意識した町づくりに取り組み、当時の様子や今後の展望など詳しく解説頂きます。

石巻・女川での買い物で復興支援も!

[旅行日]  8月10日(月祝)  
[旅行代金] 9,500円  6,500円 Go To トラベルキャンペーン対象となります!
[行程]
仙台駅東口【8:30】=大川小学校(語り部案内付き)=いしのまき元気いちば(買い物)=シーパルピア女川(昼食)=女川・いのちの石碑など(語り部案内付き)=シーパルピア女川(買い物)=仙台駅東口【17:00】
[旅行条件]
 ・朝食おにぎりとお茶付き  ・昼食付き
 ・最少催行人員10名 ・添乗員同行
 ・バスガイド付き!
 ・ 利用バス会社:仙台バス㈱、仙南交通㈱または、㈱仙塩交通 
  [ご案内・注意]
 ※道路状況などにより帰着が前後する場合がございます。

受付締切  4日前まで
日程変更  予約日時まで
キャンセル 予約日時の11日前まで

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昭和6年(1931)夏、新聞『時事新報』の依頼で紀行文を書くために、三陸一帯を約1ヵ月、主に船で移動した光太郎。女川にも立ち寄ったということで、それを記念して平成3年(1991)に光太郎文学碑が建立され、翌年からは「女川光太郎祭」を開催して下さっている宮城県女川町。

平成23年(2011)の東日本大震災では甚大な被害が発生、その教訓から、当時の女川第一中学校の生徒の皆さんの発案で、町内の各浜に津波の際の避難の目安となるランドマークとして「いのちの石碑」が設置され続けています。最初の企画の段階で、かつて光太郎文学碑が募金で費用をまかなって建てられたことに倣い、「いのちの石碑」も募金活動で資金を集めるということになりました。そう言う意味では、光太郎文学碑の精神を受け継ぐプロジェクトです。全21基の予定で、今春には18基目の設置が為されたそうです。

で、その「いのちの石碑」も行程に入っているツアーというわけで、ご紹介させていただきました。

実施日は8月10日(月・祝)。その前日には、例年であれば女川光太郎祭開催の予定でしたが、残念ながら、コロナ禍のため今年は中止だそうです。これまでは光太郎詩文の朗読や当方の連続講演などが行われていましたが、今年は規模を縮小し、光太郎文学碑(再建されたそうで、この件はまた改めてご紹介します)への献花のみとするはずだったところ、隣接する石巻でコロナ感染が発生、女川にも濃厚接触者が……ということでそれも無くなりました。致し方ありますまい……。

代わりに、といっては何ですが、こちらのツアー、ご都合の付く方、コロナ対策を充分になさった上で、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

詩の中心は愛の熱情である。

散文「『職場の光』詩選評 十一」より 昭和18年(1943) 光太郎61歳

おそらく2年前に編んだ『智恵子抄』を念頭に置いた発言だと思われます。

『智恵子抄』所収の散文「智恵子の半生」には、「美に関する製作は公式の理念や、壮大な民族意識といふやうなものだけでは決して生れない。さういふものは或は製作の主題となり、或はその動機となる事はあつても、その製作が心の底から生れ出て、生きた血を持つに至るには、必ずそこに大きな愛のやりとりがいる。それは神の愛である事もあらう。大君の愛である事もあらう。又実に一人の女性の底ぬけの純愛である事があるのである。」と書かれています。

こちらの選評は、引用部分の後にこう続きます。「肉親への愛、友への愛、人への愛、物への愛、自然への愛、祖国への愛、神への敬愛、さうして、畏多くも 大君をみ親と慕ひたてまつる臣子の愛念。詩はさういふところからこんこんと湧いて尽きない。」似ていますね。

ある意味、「大君の愛」、「大君をみ親と慕ひたてまつる臣子の愛念」を、「一人の女性の底ぬけの純愛」や「肉親への愛、友への愛、人への愛、物への愛、自然への愛」とほぼ同列に扱うあたり、不敬のそしりを免れないようにも思われます。しかし、戦時中であっても、ぎりぎりの線でこう書いていた光太郎を改めて尊敬します。