年が改まりました。この時期、テレビでは意外といい番組の放映が続きます。
 
昨日は、暮れのこのブログでご紹介したNHKBSプレミアムさんの「皇室の宝 第1夜 日本の危機を救った男たち」を観ました。
 
現在、京都国立近代美術館さんにて開催中で、光雲の作品も複数出品されている「皇室の名品-近代日本美術の粋」展に関わる番組で、光雲も取り上げられるかな、と思って観ましたが、昨夜に関しては名前のみの紹介でした。
 
メインで紹介されたのは、七宝の並河靖之、織物の川島甚兵衞。この二人は京都出身ということで、「作品が京都に里帰り」的な観点がありました。NHK京都さんの制作ですので、まぁしょうがないかな、と思いました。しかし、殖産興業の国是の中で、外貨獲得や万博で好評を得るといった、明治期工芸の流れがよくまとまっていました。
 
今夜は「第2夜 世界が認めたジャパン・パワー」が放映されます。予告編では、海野勝珉「蘭陵王置物」が大きく取り上げられていました。海野は京都ではなく水戸の出身です。光雲もぜひ取り上げてもらいたいものです。
 
その後、地上波NHK総合さんでオンエアされた「1914 幻の東京~よみがえるモダン都市~」を観ました。以下、NHKさんサイトから。
 
今から100年前の1914年(大正3年)、東京で最新の西洋文化を紹介する「東京大正博覧会」が開かれた。大観衆を集めた博覧会は、明治のエリートが独占していた西洋文化を急速に大衆化させていくきっかけとなる。同年、日本橋に三越新館が誕生し、日本初の常設エスカレーターが登場、大衆消費社会の幕開けに花を添える。東京駅の開業、日本初の流行歌、いずれも1914年に誕生した。浅草の活動写真、銀座ファッション、都市の大衆文化が一斉に開花し、東京は新興のモダン都市へと生まれ変わっていく。しかし、その9年後には関東大震災が襲い、当時の街並みは幻と化した。

 7年後のオリンピック開催が決まり、今もこれからもダイナミックに発展・変容していく東京。現代東京の“ルーツ”ともいえる100年前の東京の街と人々の暮らしをドラマと4Kの高精細VFXを駆使して再現・再発見し、新しい年の始まりに、日本の来し方行く末に思いを馳せる。

 100年前と現代を行き来するサラリーマン夫婦を演じるのは新進俳優・淵上泰史と長澤奈央。主題歌「カチューシャの唄」を歌うのは、実力派のボーカリスト、UA。
 
1914は大正3年。光太郎が第一詩集『道程』を上梓し、智恵子との結婚披露を行った年なので、もしかしたらちらっとでも紹介されるかな、と思ってみました。しかしこちらも空振り。ただし、智恵子が表紙を描いた『青鞜』や、光雲が出品鑑査官、審査員を嘱託された東京大正博覧会が紹介されました。その他、シーメンス事件や第一次世界大戦による好況、モダン都市化した東京の様子など、当時を知るには非常にいい番組でした。
 
今年は東京駅開業100周年にもあたるので、例年より「100年前」が注目されているようです。その流れの中で、詩集『道程』100周年、光太郎智恵子結婚披露100周年を取り上げてほしいものです。
 

さて、本日夕刻には、BS朝日さんで以下の番組が放映されます。  

BS朝日1 2014年1月2日(木)  16時00分~17時54分
 
日本の歴史的建築物「惜櫟荘(せきれきそう)」を守るため、歴史作家・佐伯泰英が立ち上がった。70年の時を経て、岩波茂雄、吉田五十八という二人の天才の夢が引き継がれる…

番組内容
日本の歴史的建築物を守るために立ち上がった歴史作家・佐伯泰英の情熱の物語。「惜櫟荘」という、日本を代表する数寄屋造りの取り壊しから修復・再建までを追いかけた、2年以上にわたるドキュメンタリー。

出演者 ナビゲーター 三上博史

昨年5月にオンエアされたものの再放送です。その時点で気づかなくて、このブログでは紹介しませんでしたが、番組サイトでは光太郎の名が記されています。
 
昭和16年9月。真珠湾攻撃の3か月前、一軒の小さな別荘が熱海に建てられた。 その名は惜櫟荘(せきれきそう)。ここに、志賀直哉や高村光太郎、幸田露伴、湯川秀樹ら日本の文豪や知識人が集い原稿をしたため、明日の日本を論じた。
 
もとはといえば、岩波書店の創業者・岩波茂雄の別荘だった。 この家を設計したのは、吉田五十八(よしだいそや)。歌舞伎座や吉田茂邸、文学賞の舞台である築地新喜楽などで知られる近代数寄屋建築の名手である。
 
あれから70年。
売却の憂き目に会おうとした惜櫟荘を、一人の作家が救った。時代小説で1500万部という人気を誇る、作家・佐伯泰英。名建築が無くなるのは忍びないと、私財を投じ、番人を買って出た。
 
日本の教養文化を育んだ出版人、岩波茂雄と稀代の建築家、吉田五十八。 二人のぶつかり合いから生まれた惜櫟荘の、解体から復元までの3年間を追いながら この30坪の小さな家に秘められた昭和のドラマを描きます。
 
後でこういう番組があったことを知り、残念に思っていたのですが、再放送されるということで、ありがたいかぎりです。
 
『高村光太郎全集』には岩波茂雄の名も何度か出てきますが、この惜櫟荘に関する記述が見あたりません。番組サイトにある「ここに、志賀直哉や高村光太郎、幸田露伴、湯川秀樹ら日本の文豪や知識人が集い原稿をしたため、明日の日本を論じた。」という事実もこちらでは確認できていません。どういうことなのか、放映をよく見てみようと思っています。

 追記 惜櫟荘で撮影された光太郎の写真を見つけました。

他にも光太郎に絡む、または絡みそうな番組の放映が続きます。そのあたりはまた明日。

 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月2日

昭和28年(1953)の今日、年下の友人達のために揮毫書き初めをしました。
 
美術史家の奥平英雄に「うつくしきもの」、詩人の宮崎稔が保管していた智恵子紙絵の箱に「高村智恵子遺作紙絵」、北川太一先生所蔵の『智恵子抄』特製本に詩「樹下の二人」の一節(画像参照)、同じく詩「晩餐」の一節をそれぞれ書きました。
 
書、さらに書き初めというのも日本の素晴らしい文化、そして風習ですね。当方は悪筆なのですが、いずれは取り組んでみたいと思っています。
 
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