今年四月に亡くなった、大林宣彦監督の遺作が公開されます。
監督 : 大林宣彦
脚本 : 大林宣彦 内藤忠司 小中和哉
出演 : 厚木拓郎 細山田隆人 細田善彦 吉田玲 成海璃子 山崎紘菜 常盤貴子他
音楽 : 山下康介
製作 : 「海辺の映画館―キネマの玉手箱」製作委員会
配給 : アスミック・エース
封切 : 2020年7月31日(金)より全国順次公開尾道の海辺にある唯一の映画館「瀬戸内キネマ」が、閉館を迎えた。嵐の夜となった最終日のプログラムは、「日本の戦争映画大特集」のオールナイト上映。上映がはじまると、映画を観ていた青年の毬男(厚木)、鳳介(細山田)、茂(細田)は、突然劇場を襲った稲妻の閃光に包まれ、スクリーンの世界にタイムリープする。
江戸時代から、乱世の幕末、戊辰戦争、日中戦争、太平洋戦争の沖縄……3人は、次第に自分たちが上映中の「戦争映画」の世界を旅していることに気づく。そして戦争の歴史の変遷に伴って、映画の技術もまた白黒サイレント、トーキーから総天然色へと進化し移り変わる。
3人は、映画の中で出会った、希子(吉田)、一美(成海)、和子(山崎)ら無垢なヒロインたちが、戦争の犠牲となっていく姿を目の当たりにしていく。3人にとって映画は「虚構(嘘)の世界」だが、彼女たちにとっては「現実(真)の世界」。彼らにも「戦争」が、リアルなものとして迫ってくる。
そして、舞台は原爆投下前夜の広島へ――。そこで出会ったのは看板女優の園井惠子(常盤)が率いる移動劇団「桜隊」だった。3人の青年は、「桜隊」を救うため運命を変えようと奔走するのだが……!?
直接、光太郎には関わらないのではないかと思われますが、戦時中、ラジオで光太郎の翼賛詩を朗読していた丸山定夫率いる移動演劇団「桜隊」が、映画のクライマックスで描かれます。桜隊は広島の原爆で被災、大怪我を負った丸山は終戦の翌日に息を引き取りました。映画では窪塚俊介さんが丸山を演じられています。
今月初めにNHKさんのBS1で放映された追悼番組「BS1スペシャル▽映画で未来を変えようよ~大林宣彦から4人の監督へのメッセージ」を拝見しました。それによれば、他の作品でも「戦争」にこだわってきた大林監督、広島尾道での幼少期のご経験が原体験となっていたようです。
当時の例にもれず「軍国少年」だった監督。しかし、やがて戦局の悪化と共に……。
こうした原体験、さらにプロデューサーであらせられる奥様から聞いた、東京大空襲の惨状。それらがこれまでの作品に投影されていたそうで。
そして「海辺の映画館―キネマの玉手箱」。そうした部分の集大成ともいえる内容です。
病をおして制作に執念を燃やした大林監督。
亡くなったのは、コロナ禍で延期されたこの映画の元々の公開予定日でした。監督からのメッセージ、正しく受け止めなければなりますまい。
ちなみに以前にも書きましたが、当会会友・渡辺えりさんもご出演。えりさんのお父様は、戦時中、中島飛行機(現・SUBARU)の武蔵野工場で働いていらして、丸山も朗読した光太郎の「必死の時」をそらんじることで、空襲の恐怖におびえる気持をまぎらわせたそうです。
新型コロナ感染には充分お気を付けた上で、ぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
各人皆自己の内に神が宿つてゐることを信ずべきだ。精神ある者にとつては目に触るるもの皆詩である。
直接、光太郎には関わらないのではないかと思われますが、戦時中、ラジオで光太郎の翼賛詩を朗読していた丸山定夫率いる移動演劇団「桜隊」が、映画のクライマックスで描かれます。桜隊は広島の原爆で被災、大怪我を負った丸山は終戦の翌日に息を引き取りました。映画では窪塚俊介さんが丸山を演じられています。
当時の例にもれず「軍国少年」だった監督。しかし、やがて戦局の悪化と共に……。
こうした原体験、さらにプロデューサーであらせられる奥様から聞いた、東京大空襲の惨状。それらがこれまでの作品に投影されていたそうで。
そして「海辺の映画館―キネマの玉手箱」。そうした部分の集大成ともいえる内容です。
病をおして制作に執念を燃やした大林監督。
亡くなったのは、コロナ禍で延期されたこの映画の元々の公開予定日でした。監督からのメッセージ、正しく受け止めなければなりますまい。
ちなみに以前にも書きましたが、当会会友・渡辺えりさんもご出演。えりさんのお父様は、戦時中、中島飛行機(現・SUBARU)の武蔵野工場で働いていらして、丸山も朗読した光太郎の「必死の時」をそらんじることで、空襲の恐怖におびえる気持をまぎらわせたそうです。
新型コロナ感染には充分お気を付けた上で、ぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
各人皆自己の内に神が宿つてゐることを信ずべきだ。精神ある者にとつては目に触るるもの皆詩である。
散文「『職場の光』詩選評 二」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳
雑誌『職場の光』は、えりさんのお父様のような、戦時中「産業戦士」と呼ばれた工場労働者向けの雑誌。大日本産業報国会の発行でした。「産報文芸」という、読者の投稿ページがあり、詩の項の選者を光太郎が務めました。これまでに十二回分の選評を確認しまして、うち、五回分は草稿からの採録で『高村光太郎全集』に掲載、他の七回分は掲載誌を発見し「光太郎遺珠」に掲載しました。一般読者が書いた投稿作品の選評ですが、光太郎自身の詩論が色濃く反映されています。