広島からコレクション展情報です。光太郎の留学仲間で画家の南薫造が中心です。 

期 日 : 2020年7月4日(土)~8月23日(日)
会 場 : 呉市美術館 広島県呉市幸町入船山公園内
時 間 : 10時~17時
休 館 : 火曜日
料 金 : 一般300(240)円 高校生180(140)円 小中生120(90)円 ( )内団体料金

 南薫造は、1883(明治16)念に広島県賀茂郡内海町(現・呉市安浦町)に生まれました。東京美術学校を卒業後、イギリスやフランスで西洋画の研究を深めた南は、人物や自然を、穏やかで滋味深いまなざしで捉え、「日本の印象派」と評されました。東京美術学校教授、帝国芸術院会員、帝室技芸員などを歴任し、日本の近代洋画史に大きな足跡を残すとともに、呉や広島野の美術の振興に貢献しました。また南は作風同様に人柄も温厚で、画家仲間や教え子など多くの人々から慕われ、尊敬されました。
 2020年は南の没後70年にあたります。
本展では当館の所蔵する南薫造の油彩画、 水彩画、版画、素描を一堂に展示するほか、南と交流のあった画家たちの作品を交えて、南の画業や生きた時代をたどります。

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出品目録はこちら。

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004交流があったということで、光太郎のブロンズ代表作「手」(大正7年=1918)が並んでいます。同館の所蔵で、たましん美術館さん、千葉県立美術館さん、花巻高村光太郎記念館さん同様、新しい鋳造のものですが、同館ではこうして時折展示して下さっています。

光太郎との交流が始まったのは、おそらく本格的には明治40年(1907)、ともに留学でロンドン滞在中でした。ただ、光太郎は明治30年(1897)、南は同35年(1902)に美校に入学していますので、ロンドン以前にも面識はあったのではないかと思われます。ロンドンではもう一人、画家の白瀧幾之助も交え、つるんでいました(笑)。禿頭で大男の白瀧は「入道」、小柄な南は「アンファン(仏語「enfant」=「子供」)」と呼ばれていたそうです。

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新型コロナには十分ご注意の上、ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】002

その詩格の立派さに感動・根拠の深さ感動のはるかさを感受 高村光太郎

雑纂「梶浦正之詩集『梶浦正之詩抄』」全文
昭和15年(1940) 光太郎58歳


梶浦正之は光太郎より20歳若い、愛知出身の詩人です。おそらく梶浦宛の書簡等からの抜粋だと思われますが、『梶浦正之詩抄』の扉に、西條八十、野口米次郎、川路柳虹の短評と共に掲載されました。

こうした場合の常ですが、良い点として挙げている「詩格の立派さ」、「根拠の深さ」、「感動のはるかさ」など、光太郎自身の目指す詩のあり方にも通じるような気がします。