一昨日の地方紙『岩手日日』さんに載った記事です。

西南に「道の駅」構想 花巻 県道盛岡和賀線市内4番目 20年度開業目指す

003 花巻市太田、笹間両地区を合わせた「西南地区」を南北に貫く県道盛岡和賀線で、新たな「道の駅」の整備が検討されている。花巻市の基本構想では、2020年度の開業を目指しており、実現すれば市内では石鳥谷町の「石鳥谷」、大迫町の「はやちね」、東和町の「とうわ」に続く4番目の施設になる。
 同線は、花巻市を挟んで盛岡、北上両市を結ぶ幹線道路。国道4号を補完する物流路線や緊急輸送時の2次路線などとして重要な役割を担っているものの、沿線沿いには休憩施設がなく、地元からは商業施設や生活利便施設としての機能も視野に整備を望む声が寄せられていた。
 10年の道路交通センサスによると、同線の平日1日当たりの交通量は最大で2万1603台。両地区は東北道花巻南インターチェンジ(IC)から約4・6キロ、花巻温泉や台温泉、花巻南温泉峡といった温泉地からも10キロ圏内と恵まれた立地の一方、地域にとっては商業施設がないことや飲食店が少ないことが課題となっている。
 加えて西南地区は合併前の旧花巻市地域で最も人口・世帯数が少なく、活性化への課題もあることから、地域資源としての同線に着目。高村光太郎ら地元ゆかりの偉人の話題も多い花巻の文化・観光情報や農作業体験情報の提供のほか、万一に備えた防災拠点、宅配・給食・見守りサービスなどの拠点としての機能も含めた整備が検討されている。
 地域住民らとの協議も踏まえて市がまとめた基本構想では▽農業と地域コミュニティの交流拠点▽市の人・もの・情報の交流拠点▽ホンモノに出会える体験情報の発信―の3点を基本方針に設定。今後は基本計画や基本設計、管理運営体制の検討などが進められる見通しだ。
 地元住民で組織する西南地域振興協議会の本舘憲一会長は「施設整備後の管理運営が重要。構想は練られたが、実務をどうするのか。地元で取り組むことになるので、これから組織の立ち上げを本格的に進めたい」と意欲を示している。

というわけで、光太郎が昭和20年(1945)秋から7年間を過ごした旧太田村(現・花巻市太田)の山小屋(高村山荘)にほど近い場所に、新たな道の駅が作られるという報道です。

昨年あたりから計画が具体化、花巻市さんや岩手県さんのサイトにもぽつりぽつり情報が出ています。この計画は花巻高村光太郎記念会さんにも早くから伝えられており、道の駅内に光太郎に関するコーナーを設置するという話もあるようです。

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高村山荘と、隣接する高村光太郎記念館さん、入場者数の部分では苦戦しているそうですが、花巻市街から遠いこと、周辺に他の観光施設がまったくないことなどもその原因でしょう。

ここで新たな道の駅ができることで、高村山荘・高村光太郎記念館への新たな導線となることが期待されます。

道の駅が静かなブームで、当方の生活圏にもいくつか作られました。しかし、明暗が分かれています。やはり他にはない特徴を前面に押し出し、施設設備の部分でも充実しているところは勝ち組となっています。そうでないところは単なるトイレ休憩所的な……。

花巻西南に新たに作られる道の駅が、にぎわうことを切に祈念いたします。


【折々のことば・光太郎】

否、人はロボツトぢやない。 否、社会は機関車ぢやない。 否、個人は鋲や歯車ぢやない。            
詩「機械、否、然り」より 昭和5年(1930) 光太郎48歳

人を人として扱わない、強欲な資本主義社会への痛烈な批判です。この頃の光太郎の立ち位置をよく表しています。

「ロボット」の語は、1921年にチェコの作家、カレル・チャペックが創出したとされています。光太郎のこの詩は、我が国における「ロボット」の語のかなり早い使用例と思われます。