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「町家歴史館 清学院」で河口慧海がインドから持ち帰った白檀の香木で高村光雲が彫った大黒天像を初公開

 仏教の原典を求めて日本人で初めてヒマラヤを越えてチベットに入った、堺出身の河口慧海(1866年から1945年)が、インドから持ち帰った白檀(びゃくだん)の香木で、近代彫刻界の巨匠・高村光雲(1852年から1934年)が彫った「荒作大黒天(あらづくりだいこくてん)」を、「町家歴史館 清学院」で初公開します。
大黒天像は、大阪府大東市在住で新潟県妙高市・赤倉温泉出身の北村哲朗さんが所蔵されているもので、慧海は大正末頃から戦前にかけて毎年夏になると、赤倉温泉で朝晩湯につかりながら、仏典の研究を続けたと言われています。赤倉温泉で慧海は、彫刻界の巨匠・高村光雲や日本画家の松林桂月(1876年から1963年)とも親しく交わりました。
今回公開される大黒天像は、慧海や光雲と親交のあった北村さんの祖父、故北村岩次郎氏が、二人に依頼して、慧海がインドから持ち帰った白檀の香木を使って光雲が彫ったものです。慧海が名付けた「荒作大黒天」という銘にふさわしく、鑿(のみ)痕も荒々しい個性的な作風です。
同時に、慧海が赤倉温泉で揮毫(きごう)した直筆の扁額「観自在」や、河口慧海と高村光雲、松林桂月の交友をしのばせる写真パネル等も展示します。
 
展示名称 小さな特別展示 「河口慧海と高村光雲」
 
開催期間 平成25年6月1日から6月30日(火曜休館)

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河口慧海。文中にもあるとおり、日本人で初めてチベットに入った僧侶です。戦時中、光太郎が河口の坐像(戦災で消失)などを制作していたことは知っていました。制作中の写真も残されています。

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しかし、寡聞にして光雲ともつながりがあるのは存じませんでした。
 
今回展示される光雲作の大黒天、きれいに仕上げる通常の光雲彫刻と大きく異なり、粗彫りのままです。類例が全くないわけではありませんが、このレベルの粗彫りは非常に珍しいものです。江戸時代の円空の作品を彷彿とさせますね。
 
また京都/堺でセットにして観てこようかな、と思っています。
 
【今日は何の日・光太郎】 6月3日

大正11年(1922)の今日、智恵子の妹・ミツが歿しました。

その遺児・春子は智恵子の父・今朝吉の養女となり、のちに看護婦となって晩年の智恵子を看取ります。