4/2は東京だけでなく、光太郎の第二の002故郷ともいえる岩手・花巻でも連翹忌が催されています。場所は、光太郎ゆかりの寺院・松庵寺さん。

晩年の光太郎が足かけ8年過ごした地ということもあり、花巻にはまだ当時の光太郎を知る方もかなりご存命、花巻の財団法人高村記念会様を中心に、そういう方々の手で花巻連翹忌が続けられています。
 
今年の「天声人語」は別として、東京の連翹忌の様子はなかなか報道されませんが(在京各紙にご案内を出したのですが……)、花巻の連翹忌は地方紙に取り上げられています。
 
『岩手日報』さんの「風土計」。『朝日新聞』さんの「天声人語」にあたる欄でしょうか。 

風土計 2013.4.2

「さあさ田植だ、田植だ田植だ」。高村光太郎の「田植急調子」は1947年に書かれた。花巻・山口で山中独居を始めて2年目の春
▼村の老若男女のにぎやかな農作業を花巻弁で活写する。「のんでくって うんとねて、みりみりかせいで あははと笑へぢや」。きょうは光太郎命日の連翹(れんぎょう)忌。花巻市出身の朗読家谷口秀子さん(東京)から頂いた朗読CDを聴いてみる
▼詩ができた当時、粗末な山小屋で光太郎は自省の日々を送る。戦争賛美の作品を世に送り続けた自らを「暗愚」と呼び「醜を天日の下に曝(さら)すほかない」とまで記した。だが、描いた田植え風景に陰りはなく、喜びと明るさに満ちている
▼光太郎が他界する前年の55年、家族付き合いがあった谷口さんは母と東京の病床を見舞った。その時、朗読を頼まれたのが「田植急調子」だった。読み終えると光太郎は「方言はこれでいいですか」と尋ねたという
▼陽光降り注ぐ花巻の春に深い思いがあったに違いない。「手植えや小昼(こびる)の情景が鮮やかに浮かぶ」と谷口さん。朗読ではカッコウの声も楽しい。沈思の中で生まれた詩は働くことの賛歌、働く者への応援歌に聞こえる
▼各職場に配属された新人の皆さんは緊張に身を硬くしていることだろう。でも大丈夫、「みりみりかせいで あははと笑ふ」日は遠からず来るから。
 
 
『岩手日日新聞』さんでは、連翹忌と、それに先立つ高村山荘敷地内での詩碑前祭も記事にして下さいました。  

「光太郎先生」の足跡回想 花巻で法要、追悼座談会も (04/03)

 詩人で彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)の命日に合わせ2日、花巻市双葉町の松庵寺(小川隆英住職)で「連翹忌(れんぎょうき)法要」が行われた。市民ら約30人が参列して遺影に手を合わせ、花巻の地に大きな足跡を残した偉人を回想。終了後は同寺で追悼座談会も開かれ、ゆかりの市民や熱心なファンが、思い思いに故人をしのんだ。

 連翹忌は今回で58回目。光太郎がかつて生活した山小屋=同市太田=の管理などに当たっている高村記念会の主催。法要では一人ひとりが焼香し、法話に耳を傾けた。

 小川住職は「光太郎先生は詩『松庵寺』で、戦禍に遭ったこの寺に触れておられる。『すっかり焼けた松庵寺は 物置小屋に須弥壇(しゅみだん)をつくった二畳敷のお堂でした』という部分は、焼けた寺に残された小屋に作られたお堂」などと、同寺と光太郎の縁を紹介。花巻で質素な生活を送った約7年間については「光太郎先生は、あの山小屋生活で最高の芸術と感動を手にしたのではないか」などと分析した。

 終了後は追悼座談会が開かれ、それぞれが記憶するエピソードや思い出話を披露。「光太郎さんの近所に住んでいた友人が配給米を届けたら、小屋脇のクリの木に『登って(実を)採っていきなさい』と言ってくれた」「宮沢賢治さんの童話劇などに取り組んでいた児童たちに『賢治子供の会』と、名前を付けてくれたのが光太郎さんだった」などの逸話が、次々と飛び出していた。

 光太郎は1945年4月、空襲で東京のアトリエを焼失。同年5月に花巻の宮沢清六さん(賢治の弟)方へ身を寄せ、11月から約7年にわたり山小屋で生活した。  

偉人の思いに心重ね 詩碑前祭〜地元児童が作品朗読

 高村光太郎をしのぶ連翹忌法要に先立ち2日、花巻市太田の高村山荘敷地内広場で、詩碑前祭が開かれた。参加者が遺影が置かれた詩碑前で線香を上げたほか、地元児童が光太郎が残した詩を朗読。花巻ゆかりの詩人、彫刻家の遺徳をしのんだ。

 地元子供会のメンバー11人をはじめ、高村記念会山口支部員ら約70人が参加。照井康徳支部長が「きょうは光太郎先生の58回忌。先生がこの地の7年間で残したものを花巻、太田に伝え、引き継いでいきたい」とあいさつした。

 続いて子供たちが「山のひろば」「案内」「山からの贈物」などを朗読。「うしろの山つづきが毒が森。そこにはカモシカも来るし熊も出ます。智恵さんこういうところ好きでしょう」(案内)ほか、光太郎独特の感性と妻・智恵子へ寄せる愛情があふれる作品が、参加者の感動を誘っていた。

 花巻市立太田小学校の高橋妃香瑠さん(6年)は「上手に朗読できた」とにっこり。佐藤陽さん(同)は「『案内』という詩が好き。展望台から見える風景のように描いている所がすごいと思う」と話し、光太郎の作品からイメージを広げている様子だった。

 同詩碑前では、光太郎が花巻に疎開した5月15日に「高村祭」が開かれる。
 
当方、立場上、花巻の連翹忌には参加できませんが、こちらも末永く続けてほしいものです。
 
5月15日の高村祭の件も書いてありますが、今年は翌16日に女優の渡辺えりさんの講演会が花巻で開かれるとのこと。渡辺さんと云えば、お父様が光太郎と交流があり、東京の連翹忌のご常連です。今年は朝ドラの「あまちゃん」の撮影でお忙しかったのか、ご参加いただけませんでしたが……。
 
詳細が入り次第、お伝えします。もちろん当方、高村祭ともどもお邪魔いたします。
 
【今日は何の日・光太郎】4月6日

大正8年(1919)の今日、詩話会編『日本詩集』の出版記念会に出席しました。