主要紙地方版記事シリーズです。今回は『朝日新聞』さんの岩手県版から。
「岡目八目」、なるほど、という感じでした。地域の良さは、他から移ってきた人や、一度離れて戻ってきた人の方が、他の地域との違いもよく分かり、見えやすいようです。
当方も岩手の皆さんとの付き合いが長いせいか、挙げられている岩手県民の美徳的な部分には納得がいきますね。実に堅実にものごとを進め、決して慌てない、といいますか。
しかし、「生き馬の目を抜く」江戸ッ子や、「もうかりまっか?/ぼちぼちでんな」のなにわ商人(あきんど)などからすれば、「まだるっこしい」「もどかしい」と感じることがあるだろう、というのも想像がつきますね。
光太郎はラジオ放送のために録音したアナウンサーとの対談(昭和24年=1949)で、こんな発言をしています。読みにくいかもしれませんが、すみません。テープから文字起こしをしたそのままですので。
で、岩手が、岩手の大地が好きな、岩手の牛みたいな性格ですね。しっかりものをやって、確かにものをやって、で、のろいですよ、すごく。のろいけれども確かにやるってことは、確かにやる。根本からやるってことは、日本の生活の中に非常に欲しいところなんです。ええ。これは、これまで、明治以来、あんまり文化の進み方を速く急いだから、根本からやるってことはおろそかになった。それでものをしっかりこさえるってことが、どうもうまく行ってない。で、国民性にも、国民性まで、そうなりがちだったですね。かえって、その、昔は、そういうこと、できていたんです。昔の手の周りの道具類とか家具類なんかよく見ると、しっかりできてんですね。明治以来の商品化したそういうものは、もう、すぐ壊れるようにできてる。これじゃ、あの、とてもいけない。で、岩手は、そこ、まだ、その伝統、生きてるんです。
ここでも「牛」のたとえが出ていますね。
この対談の年に書かれた「岩手の人」という詩が元ネタです。既に何度がご紹介しましたが、改めて全文を。画像は花巻北高校さんに立つ、高田博厚作の光太郎胸像の台座に刻まれたものです。
(いま聞きたい)大滝克美さん マーケティングから見た岩手の強みは/岩手県
■「行ってみたい」豊富な資源 岩手に移住したコンサルタント
30年近く岩手に関わってきた、マーケティングコンサルタントの大滝克美さん(53)。一昨年からは県内でペンション経営を始め、埼玉から移住した。人口減少が進むなか、何が人を引きつけるのか。マーケティングのプロの目から見た岩手の強みとは。
――岩手に移住したきっかけは
コンサルタントの仕事で、もともと10年ほど前から1年の半分ほど岩手に来ていました。少し前に、安比で飲食店の物件を探していた知人から相談を受けましたが契約には至らず、いっそ自分でやってみようと、ペンション経営を始めました。これまでコンサルとしてやってきたことの、いわば実証実験です。2018年夏から岩手に単身赴任し、今年春から家族も移住しました。
――岩手の魅力はどんなところでしょうか
広い県土、海や山、川、起伏に富んだ土地、歴史、そのバリエーションが強みです。人も多様で個性的。人を引きつける資源が豊富です。それらを、今しかない、行ってみたいというライブ価値に高めていくと、観光の可能性は無限に広がります。
その場に行ってみたいという本能的な欲求は、例えば、八幡平のドラゴンアイの人気ぶりを見ても根強いものがあります。今年もSNSでは、「(桜などになぞらえ)まだ8分咲き」とか「天気悪く来週もう一度来よう」などと、2度3度訪れる様子が伝わってきました。
――どうアピールすればいいのでしょう
高村光太郎は「岩手の人 牛のごとし」と記し、寡黙で真面目な面を表現しました。宣伝がうまくないと言われるのも、そうした県民性が底流にある。ただ、それは愛すべき特性で、無理に変える必要はない。私も岩手で仕事をするなかで、「人知れずそんな努力をしていたのか」と驚くことが何度もありました。思慮深く、奥ゆかしいのです。コツコツ努力したという情報をじっくり伝えていくことが、遠回りなようで、岩手らしい王道のような気がします。
都内の大手百貨店のバイヤーは「北海道や沖縄の物産展は盛り上がりが前半に集中するけれど、お客さんが長く続くのは岩手だ」と言う。魅力を伝え切れていない分、未知の何かがある。だからまた来る、というわけです。観光に置き換えると、岩手に長くいたい、また来たいと思う人が多いということになるので、勝算ありと言えます。
――岩手にとって課題はどこにあると感じますか
物を加工する力を育てることでしょう。観光の先進地でもある北海道や沖縄、長野などはさまざまなよい商品を出し、価格競争力もあります。岩手の物作りは素材にこだわり、手作りで、デザインに凝っていて品質は高い。けれども生産量や価格に課題があります。豊富な岩手県産原料が県外の製造を支えていることを誇りにしながらも、安定的に供給できる加工業は県内にもっともっと育っていい。
人口減少との向き合い方も大事です。自治体の地域活性化事業では、成果指標として「定住人口を増やす」と記すことがあります。果たして現実的でしょうか? 市町村の数だけ独自色がある。それぞれの個性を生かして、例えば「30歳代を増やす」「子育て世代を呼び込む」などと戦略的なテーマが必要です。
「(うちの自治体には良いものが)何もない、どうしよう」と困ることはない。岡目八目、30年近く岩手を見てきてそう断言できます。
おおたき・かつみ 1966年、新潟県村上市(旧山北町)生まれ。東北大工学部を卒業後、リクルートグループを経て、バブル崩壊後に安比高原でリゾート開発に携わる。97年、マーケティング業へ転身。地方食材ならではのこだわりを重視したブランドづくりや、販売支援を手がけた。2007年に岩手県の産業創造アドバイザーに就任。18年、泊まれるビアバー「安比ロッキーイン」の経営を始め、岩手に移住した。
「岡目八目」、なるほど、という感じでした。地域の良さは、他から移ってきた人や、一度離れて戻ってきた人の方が、他の地域との違いもよく分かり、見えやすいようです。
当方も岩手の皆さんとの付き合いが長いせいか、挙げられている岩手県民の美徳的な部分には納得がいきますね。実に堅実にものごとを進め、決して慌てない、といいますか。
しかし、「生き馬の目を抜く」江戸ッ子や、「もうかりまっか?/ぼちぼちでんな」のなにわ商人(あきんど)などからすれば、「まだるっこしい」「もどかしい」と感じることがあるだろう、というのも想像がつきますね。
光太郎はラジオ放送のために録音したアナウンサーとの対談(昭和24年=1949)で、こんな発言をしています。読みにくいかもしれませんが、すみません。テープから文字起こしをしたそのままですので。
で、岩手が、岩手の大地が好きな、岩手の牛みたいな性格ですね。しっかりものをやって、確かにものをやって、で、のろいですよ、すごく。のろいけれども確かにやるってことは、確かにやる。根本からやるってことは、日本の生活の中に非常に欲しいところなんです。ええ。これは、これまで、明治以来、あんまり文化の進み方を速く急いだから、根本からやるってことはおろそかになった。それでものをしっかりこさえるってことが、どうもうまく行ってない。で、国民性にも、国民性まで、そうなりがちだったですね。かえって、その、昔は、そういうこと、できていたんです。昔の手の周りの道具類とか家具類なんかよく見ると、しっかりできてんですね。明治以来の商品化したそういうものは、もう、すぐ壊れるようにできてる。これじゃ、あの、とてもいけない。で、岩手は、そこ、まだ、その伝統、生きてるんです。
ここでも「牛」のたとえが出ていますね。
この対談の年に書かれた「岩手の人」という詩が元ネタです。既に何度がご紹介しましたが、改めて全文を。画像は花巻北高校さんに立つ、高田博厚作の光太郎胸像の台座に刻まれたものです。
岩手の人眼(まなこ)静かに、
鼻梁秀で、
おとがひ堅固に張りて、
口方形なり。
余もともと彫刻の技芸に游ぶ。
たまたま岩手の地に来り住して、
天の余に与ふるもの
斯の如き重厚の造型なるを喜ぶ。
岩手の人沈深牛の如し。
両角の間に天球をいただいて立つ
かの古代エジプトの石牛に似たり。
地を往きて走らず、
企てて草卒ならず、
つひにその成すべきを成す。
斧をふるつて巨木を削り、
この山間にありて作らんかな、
ニツポンの脊骨(せぼね)岩手の地に
未見の運命を担ふ牛の如き魂の造型を。
さて、大滝氏のインタビュー。コロナ禍で、東京一極集中の弊害がまた新たに顕現した昨今、示唆に富んだ提言ですね。これから、本当の意味での「地方創成」がさらに進むことを期待します。
【折々のことば・光太郎】
人間の心の中を、内部を見る。そういう一種の感じをうけたんで、その一つの人間が、同じものが、どこを見ているかわからないが、とにかく向かいあって見合っている――片方は片方の内部で、片方は片方の外形なのです。
さて、大滝氏のインタビュー。コロナ禍で、東京一極集中の弊害がまた新たに顕現した昨今、示唆に富んだ提言ですね。これから、本当の意味での「地方創成」がさらに進むことを期待します。
【折々のことば・光太郎】
人間の心の中を、内部を見る。そういう一種の感じをうけたんで、その一つの人間が、同じものが、どこを見ているかわからないが、とにかく向かいあって見合っている――片方は片方の内部で、片方は片方の外形なのです。
談話筆記「「十和田記念碑」除幕式における高村光太郎先生のお話」より
昭和28年(1953) 光太郎71歳
昭和28年(1953) 光太郎71歳
昨日のこの項同様、最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」序幕の日のもので、昨日は新聞『東奥日報』に語った談話、本日のものは式典での挨拶の筆録です。
「霊肉一致」という境地までたどり着いているのかな、という気がしますね。
「霊肉一致」という境地までたどり着いているのかな、という気がしますね。