主要紙地方版記事シリーズです。今回は『朝日新聞』さんの長野県版から。 

偉人・文人、出会いの彫像 高田博厚・生誕120年展 安曇野で/長野県

 ロマン・ロラン、マハトマ・ガンジー、ジャン・コクトー、高村光太郎、武者小路実篤――。直接会ったり交流したりした著名人の肖像彫刻知られる高田博厚(ひろあつ)(1900~87)の生誕120年記念展が、安曇野市の豊科近代美術館で開かれている。語学が堪能で文筆・翻訳家でもあった多才な彫刻家。その生涯を振り返りつつ、約200点の全彫刻作品のうち約150点を紹介している。

 高田は石川県七尾で生まれ、福井市で育った。父は司法官、母は女学校出のクリスチャンという家柄で、15歳ごろには、シェークスピア原文で読むほど英語力が非凡だった。 画学生だった先輩の影響で18歳で上京し、倍ほど年齢差のあった高村光太郎を訪ねて芸術論を交わした。イタリア語も学び、雑誌「白樺」でミケランジェロに関する翻訳を発表。出会った岩波茂雄(岩波書店の創業者、諏訪市出身)から翻訳を任された。このころ独学で彫刻を始めた。
 5人の家族を残して30歳で渡仏。ノーベル賞作家のロマン・ロランをはじめとする文化人らと親交を深め、作品制作を続けた。在欧邦人のために謄写版刷りの新聞「日仏通信」を発行。「在仏日本美術家協会」も設立した。
 第2次世界大戦後に収容所で一時過ごした経験もあり、カンヌ映画祭日本代表や新聞社の嘱託などを務め、57年に帰国。62年に朝日新聞社主催で初めて本格的な個展を開くなど、日本を代表する肖像彫刻家として知名度を高めていった。
 修道院を模して1992年に開館した豊科近代美術館の主要収蔵品として、当時の豊科町がほぼ全作品を収集。常設では約80点を展示している。今回の記念展は生誕100年に続く20年ぶりの開催で、彫刻を始めた初期、フランス滞在期、帰国後、の3章に分けて生涯を振り返っている。
 同館学芸員の塩原理絵子さんによると、高田作品は(1)肖像(2)トルソー(胴体)(3)女性像――に分類される。ロダンらの影響を受けながらも、シンプルな作風を好んだ。「肖像は、その性格までもがにじみ出ていると評価されている。直接交流しているからこその表現でしょう」と解説する。
 2年前に神奈川県鎌倉市のアトリエから出てきた男性トルソーの石膏(せっこう)原型も初展示。試作を重ねながら、体のひねり具合を突き詰めていく過程を紹介する。
 高田の作品は出身地の福井市美術館などでも収蔵しているが、ゆかりのない土地でこれだけそろうのは豊科近代美術館だけ。塩原さんは「作品群を見ていると、誰とでも対等に付き合った高田の生き方がうかがえます。北アルプスの山並みや西欧風の建物と一緒に、作品を楽しんでほしい」とPRしている。
 記念展「パリと思索と彫刻」は8月30日まで開催。午前9時~午後4時半入館、月曜と祝日の翌日は休館。入館料は大人520円、大学・高校生310円。新型コロナウイルス対策で入館者にマスク着用と手指消毒を呼びかける。問い合わせは、同館(0263・73・5638)。

というわけで、豊科近代美術館さんで開催005中の「高田博厚生誕120年記念展―パリと思索と彫刻―」に関してです。

高田は著名な彫刻家ですので、おそらく各紙で同展に関する記事が出ているのではないかと思いますが、交流のあった光太郎の名を出してくださったのは、この朝日さんの記事と、信州松本平地区の地方紙『市民タイムス』さんのみ、当方の情報網に引っかかりました。

それにしても、いまだコロナ禍収束にほど遠く、なかなか遠出するには二の足を踏んでしまう状態です。会期末までにはなんとか伺いたいと思っているのですが、まだ不安が残ります。自家用車で都内を避けるルートで行けば、それほど心配はないようにも感じますが、行った先で千葉ナンバーということで、不安を与えてしまうことにも成りかねませんし(まさか石を投げられるようなことはあるまいとは思いますが)……。ちなみに千葉県もそこそこ感染者が毎日出ていますが、当方自宅兼事務所のある地域はほぼゼロです。などと喧伝しながら歩くわけにも行きませんし……。

本当に困ったものです。


【折々のことば・光太郎】

同じようなものを並べるなんて前例なくロダンの地獄の門の部分だけですが前例はいつか誰かが作るんだし僕が二つのブロンズの前例を作つていけないことはない。

談話筆記「モニユマンの除幕式」より 昭和28年(1953) 光太郎71歳

「モニユマン」は、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」です。昭和28年(1953)10月21日、十和田湖畔での除幕式の日に光太郎が語った談話から。

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「同じものを」云々は、「乙女の像」がまったく同型の像を二体向かい合わせに配したことについてです。おそらく日本の彫刻ではそういう前例はないし、西洋での似たような例としても、ロダンが「地獄の門」で同型の「アダム」を三体並べて「三つの影」としたのみ、というわけです。

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前例がなければ前例を作ればいい、そういう考え方、当方は大好きです。