0007/20(木)、上野の東京藝術大学美術館さんをあとに、渋谷に向かいました。目指すは西武百貨店渋谷店さん。現在こちらで、日本コカ・コーラ社さんのイベントが開催されています(今月いっぱい)。

館内数カ所でさまざまな展示や臨時ショップなどが設けられていますが、特にB館一階の特設会場では、「ココだけ!コカ・コーラ社 60年の歴史展」が開催されており、光太郎に関わる展示も為されています。

以前にもこのブログでご紹介しましたが、大正元年(1912)12月の雑誌『白樺』第3巻第12号に発表され、同3年(1914)刊行の詩集『道程』に収められた詩「狂者の詩」に、「コカコオラ」の語が3回出てきます。これが今のところ、日本の文学作品におけるコカ・コーラ初登場とされており(業界紙の記事にはそれ以前に紹介されています)、そのあたりを紹介して下さっています。

001

002

003

004

パネル展示以外にも、詩集『道程』の復刻版、さらに毎年5月15日、花巻郊外旧太田村の光太郎が戦後の7年間を暮らした山小屋(高村山荘)で開催されている「高村祭」のパンフレットも展示されていました。「みちのくコカ・コーラボトリング」さんの花巻工場が、高村山荘と同じ、同市太田地区にあるため、毎年、広告を出して下さっています。

005

006

007

コカ・コーラといえば、先月30日、テレビ東京系列BSジャパンさんでオンエアの「武田鉄矢の昭和は輝いていた」で、コカ・コーラをとりあげ、やはり光太郎とコーラについて、40秒ほど触れて下さいました。

008

009

010

011

日本でのコカ・コーラの本格的な販売開始から、今年でちょうど60年だそうで、こうした企画につながっています。世界に冠たるコカ・コーラさんと光太郎、今後ともウィンウィンの関係でお願いしたいところです(笑)。

渋谷西武さんの「ココだけ!コカ・コーラ社 60年の歴史展」会場から屋外に出ると、光太郎を敬愛していた彫刻家・佐藤忠良の作品が、道路を挟んで2体、向かい合っています。左は「牧羊神」、右は「マーメイド」。


012 013

それぞれ文学碑を兼ねたもので、「マーメイド」の方は、光太郎の師・与謝野夫妻を顕彰するものです。台座に伊藤整の揮毫による撰文が。

014

光太郎の名も刻まれていました。

015 016

さらに、道玄坂を渋谷駅方面から上っていく途中を左に曲がった小道には「東京新詩社跡」の標柱も。

017 018

この近辺に、与謝野夫妻の立ち上げた新詩社があったことにちなみます。当時は豊多摩郡渋谷村でした。100年以上前、光太郎もこの界隈を足繁く訪れていたわけです。

「ココだけ!コカ・コーラ社 60年の歴史展」の件、新詩社関連遺蹟の件、すべて、ロンドンの画像を下さった安藤仁隆氏からの追加情報です。ありがたや。当方、渋谷には足が向かず(電車の乗り換えではよく使いますが)、このあたりには疎いもので……。渋谷を歩いたのは、平成25年(2013)10月オンエアの「日曜美術館 智恵子に捧げた彫刻 ~詩人・高村光太郎の実像~」のスタジオ収録で、NHK放送センターさんに行って以来でした。

この手以外にも、さまざまな情報のご提供、お待ちしております。よろしくお願い申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

それからひと時 昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして あなたの機関はそれなり止まつた

詩「レモン哀歌」より 昭和14年(1939) 光太郎57歳

前年10月に亡くなった智恵子の臨終を謳った絶唱です。ちなみにいまわの際に智恵子が「がりりと嚙ん」で「トパアズいろの香気」をたてたレモンは、サンキストのレモンだそうです。同社でも光太郎をアーカイブ的な企画の中で取り上げていただければ、と願っているのですが……。

彼女の斯かる新鮮な透明な自然への要求は遂に身を終るまで変らなかった。
(略)
その最後の日、死ぬ数時間前に私が持って行ったサンキストのレモンの一顆を手にした彼女の喜も亦この一筋につながるものであったろう。彼女はそのレモンに歯を立てて、すがしい香りと汁液とに身も心も洗われているように見えた。(散文「智恵子の半生」 昭和15年=1940)