先週金曜日、それから昨日と、隣町の成田市立図書館さんに行っておりました。同館では今月からほぼすべてのサービスが復旧、国会図書館さんのデジタルデータ閲覧が可能となったためです。同データ、「図書館送信資料」ということで、自宅のPCでは見られない資料も、提携しているこうした大きめの公立図書館さん等で閲覧が可能です。国会図書館さん自体も再開はしましたが、入館は事前に抽選などと面倒な状態ですし、何より都内はまだコロナが怖いので、成田に行きました。

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デジタルデータでは、『高村光太郎全集』及びその補遺たる「光太郎遺珠」未収録だった戦前の光太郎短歌について、さらに光太郎に関する回想文(今秋発行予定の『光太郎資料』掲載のため)などについて閲覧、コピーをとってきました(そのあたり、おいおい紹介していきます)。

ついでに、新聞のコピーも。少し前の話になりますが、『毎日新聞』さん夕刊に詩人の和合亮一氏が月イチで連載されている「詩の橋を渡って」。5月28日(木)掲載分です。『毎日新聞』さん、当方、購読はしていません。こうした場合、朝刊なら市内のファミレスに行って購入(なぜかコンビニには置いてありませんで)、夕刊はそちらでも販売していないので、翌日以降、当方居住地の市立図書館さんでコピーをしていました。しかし、居住地の市立図書館さんは未だに閲覧やコピー等のサービスが再開して居らず、これも成田頼みとなりました。ちなみに毎日さんのサイトでは有料会員限定閲覧可です。

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詩の橋を渡って 生の喜び 真っすぐに

 東京の空はいつもこまぎれ

 それでもお前は 生きてる喜びつげる
 この小さな空は私だけの空

 世界を襲った新型コロナウイルスの猛威により、社会や命の意味をすぐ隣にあるものとして考えざるを得なくなった気がする。不要不急の外出は避けて、人と交わらない努力をして暮らしていった日々。「3密」や「ステイホーム」「巣ごもり」などのキーワードが頻出してそれに示されるかのようにして、お互いに警戒しながらじっと耐える日々を送った。緊急事態宣言が全面的に解除となっても、油断は許されない。
 家の中でずっと本を開いていた。読書に没頭することで支えられる何かを追い求めたいと思った。思えば九年前の東日本大震災の折に、原発が爆発した後で放射能の心配からやはり外出は出来なかったが、その時と同じような静けさと寂しさを強く感じた。人間が恋しいという感情に似ている。ブッシュ孝子の詩集『暗やみの中で一人枕をぬらす夜は』(新泉社)を読み、毎日に緊張し続けていた心が揺すぶられた思いがした。

 「素直なことばで/本当のことだけを語りたい」。このフレーズは初めて詩を書いた日に記したものである。詩人は二八歳でがんで亡くなった。これは闘病中に記された唯一の詩集である。逝去する五カ月前から書き始められた詩が収められている。一つ一つに生き様を教えられるかのような気がした。この詩句も初めの日に記している。「美しい言葉が次々と浮かび出て/眠れぬ夜がある/新しい詩が次々と生れでて/ 眠れぬ夜がある」。
 病の進行の不安にさいなまれながらも、こんなふうに創作の泉と出合っている姿がある。詩を書く人のみならず言葉を文学を愛する者の原点を見た思いである。読み耽(ふけ)りながら、心の中にせせらぎが生まれているような気がした。ウイルスに脅(おび)える日常に心がすっかりと渇いてしまっていることに初めて気づかされたのである。問いたくなった。詩を書くこと、生きることを願う気持ちが真っすぐに伝わる詩を、私は今書いているだろうか。

 「東京の空はいつもこまぎれ」。病室から見える都会の空の印象。高村光太郎の「 智恵子抄」の詩の一節「智恵子は東京に空が無いという」を思わせる。「 それでもお前は 生きてる喜びつげる/この小さな空は私だけの空」。室内に籠もる暮らしの中で窓が映す建物の影の間の空に生の喜びを見つけるまなざしがある。小さな風景と共に限られた歳月を生きる。「この空だけは誰にもあげない」。 真っすぐな眼(め)の先に詩と命の宿りを信じた。
 「かかえきれない歳月が/春の嵐に吹きつけられ/ きょうもまた傷口をひろげる」。たかとう匡子の新詩集『耳凪(な)ぎ目凪ぎ』(思潮社)。それでありそれではない何かを描き出すかのようにして日々の光景が独特の技法で描かれる。コロナ禍、東日本大震災、熊本の地震……、春の訪れと共に近年に経験した厄災。神戸の詩人がとらえた今が見える気がした。「鳥が石になり魚が砂になった過酷な時代/ といった詩人がいた」。言葉の警鐘が鳴る。=和合亮一(詩人)=毎月第4木曜掲載

ブッシュ孝子さん。懐かしい名前を目にしたな、という007のが第一印象でした。学生時代にその唯一の著書にして遺稿詩集の『白い木馬』(サンリオ出版 昭和49年=1974)を古本屋で購入、拝読したからです。ブッシュさんと言っても、元々日本の方で、「ブッシュ」はドイツ人の旦那さんの姓です。やはり昭和49年(1974)、ガンのため28才の若さで亡くなっています。

購入したきっかけは、萩原英彦氏という作曲家の方が、ブッシュさんの詩に曲をつけた合唱組曲「白い木馬」を作られ、それを聴いて「ああ、これ、いいな」と、そういうわけでした。

しかしなぜ、今、ブッシュ孝子さん? と思ったら、『白い木馬』が再刊、というか、未発表の作品も収録、『暗やみの中で一人枕をぬらす夜は ブッシュ孝子全詩集』として新たに刊行されていました。今000年4月のことです。寡聞にして存じませんでした。解説は若松英輔さんだそうで。

’70年代に注目された詩人が、21世紀に入って20年経とうとする現在、こうして再評価されるというのも稀有な例かと存じます。まぁ、それだけいいものだというのは有るのですが、やはり、優れた作品を次の世代に受け継ごうという、関係者の皆さんや、作品に惚れ込んだ方々のご努力の賜といえましょう。

当会顧問であらせられた故・北川太一先生が、「どんなにすぐれた芸術家の作品であっても、次の世代の者がそれを後世に受け継ぐ努力をしなければ、やがて歴史の波に呑み込まれ、忘れ去られてしまう」と、いつも語られ、当方もその受け売りをあちこちで話したり書いたりしていますが、まさにそういうことなんだな、と、改めて思いました。


【折々のことば・光太郎】

彫刻はむずかしいもので、中にあるものが出て来なければ、おみやげ人形と同じだ。
座談会「高村先生を囲んで」より 昭和27年(1952) 光太郎70歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため、花巻郊外旧太田村での蟄居生活を打ち切り、上京する直前に、親しかった村人たちと送別会を兼ねた酒宴が行われ、その席上での発言です。

「中にあるものが出て来なければ」。造形芸術に限らず、詩でも同じですね。