昨日まで3日間続けました「最近手に入れた古いもの」シリーズ、いったん休止しまして新着情報紹介に戻ります。またネタ不足に陥りましたら再開します。

今日はテレビ放映情報。

まずはNHK Eテレさんで放映されている「にほんごであそぼ」。光太郎を取り上げて下さった6月26日(金)放映分が再放送されます。

にほんごであそぼ「草にすわる」

NHK Eテレ 2020年7月10日(金) 6時35分~6時45分 再放送 17時00分~17時10分

日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら『日本語感覚』を身につける番組。言葉を覚え始めるお子さんから大人まで、あらゆる世代の方を対象に制作しています。

今日のひこうき山陽は「草にすわる」です。各コーナーの内容は…文楽/いやなんです…「人に」高村光太郎、うた「どすこい!すもうの決まり手」、ひこうき山陽たんけん隊/わたしのまちがいだった「草にすわる」八木重吉、名文を言ってみよう!「いろは」、うた「日本全国むかし歩き」

出演 美輪明宏 神田山陽(三代目) 竹本織太夫 鶴澤清介 三世桐竹勘十郎 小錦八十吉
    おおたか静流 
白A 中尾隆聖 ラッキィ池田 ほか

6月26日(金)の本放送を拝見しました。過去の作品の使い回しではなく、新作でした。

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人形浄瑠璃の三世桐竹勘十郎さん、竹本織太夫さん、鶴澤清介 さんによる「人に」。いつもながらにシュールでした(笑)。

ご覧になっていない方、ぜひ再放映をご覧下さい。


続いて、光太郎の名が出るかどうか微妙ですが……。 

あなたの駅前物語 #164 「千駄木駅前/東京都 文豪が慕った坂道の駅前」

地上波テレビ朝日 2020年7月9日(木)  23時10分~23時15分
BS朝日 2020年7月11日(土)  18時55分~19時00分


「駅前」には、様々な人々の営みがあり、歳月が刻んできた多彩な「物語」が残る…日本中の“駅前物語"をたどり、“街のぬくもり"を感じる。

#164 千駄木駅/東京都 東京都文京区、東京メトロ千代田線の千駄木駅。地上へ出ると、駅前から、文豪や落語家も居を構えた街が見える。東へいくと、くねくねと曲がった路地がある。その形から、「へび道」と呼ばれている。かつては細い川が流れていたが、今は暗渠(あんきょ)になっている。千駄木は、江戸時代に武士の家が多くあったが、染物屋もいて、流れ出る染料で川は青く色づき、藍染川の名が付いた。


ナレーター 黛まどか(俳人)

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文豪」の中で、この地に暮らした光太郎の名を挙げてほしいものですが……。

ちなみにこの番組、平成29年(2017)9月28日には、二本松駅を取り上げて下さり、光太郎智恵子にも触れられました。


もう1件、光太郎の名は出なかったのですが、昨夜放映されたテレビ東京さんの「新美の巨人たち」。連翹忌会場の松本楼さんを含む日比谷公園でした。

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日本初の本格的都市公園として、明治36年(1903)に造営された日比谷公園。設計にあたった植物学者の本多静六の苦労や工夫がメインの内容でしたが、公園内の松本楼さんも大きく取り上げられました。

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ナビゲーターは要潤さん。それから四代目社長の小坂文乃さんがご出演。一昨年亡くなった三代目・小坂哲瑯氏のお嬢さんです。

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松本楼さんでカレーを食べてコーヒーを飲むのが明治大正期の最先端だったというわけで……。

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ここで具体名として高村光太郎・智恵子夫妻と出ればなおよかったのですが……。連翹忌会場の2階宴会場です。今年の連翹忌は新型コロナのために集いを中止いたしましたので、この部分の映像を見て「ああ……」という感じでした。来年はまたここで皆様とお会いできることを楽しみにしております!

ちなみに創業当時、光太郎智恵子が訪れた頃の松本楼さん。

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番組後半では、料理長の六川健氏もご出演。本多の公園設計図にちなむ特製幕の内弁当づくりにチャレンジして下さいました。

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これは凄い! と思いました。一緒に番組を見ていた愚妻曰く「3,000円+税くらいかな?」(笑)。

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ニンジンとブロッコリーだそうです。「首賭けイチョウ」は、本多が「私の首を賭けて守る」と、当初予定の伐採に断固として反対し残した大木です。

この回、BSテレ東さんで、7月11日(土)23:30~24:00で放映されます。地上波テレ東さん受信区域外の皆さん、ぜひご覧ください。


【折々のことば・光太郎】

天地寿  短句揮毫 昭和23年(1948) 光太郎66歳

過日ご紹介した「乾坤美にみつ」同様、「この世は美しいもの、素晴らしいものに溢れている」的な意味でしょう。

複数の揮毫が残されていますが、年代のはっきりしているものは、姻戚となった茨城の素封家・宮崎仁十郎に送ったもの。「鯉軒翁喜寿に寄す」という為書きも附されています。「鯉軒」は宮崎の雅号です。また、花巻在の詩人・畑山崇一を光太郎令甥の故・髙村規氏が撮影した肖像写真にも、他の「天地寿」書が写っています。時期的にはほぼ同じ頃でしょう。というか、殆ど同じ筆跡で、同時に書かれたものかもしれません。

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