新刊書籍です。 

2020年6月20日 渡邊毅著 ナカニシヤ出版 定価3,000円+税

道徳教育の教材として偉人伝を用いることの効果は大で、その証を渉猟するなかで、道徳教育思想史を併進して眺めることとなる。
本書人名索引に登場する数、研究者を除いて850余名。各々とその関係者である。道徳教材として偉人から学ぶ教育的効用を述べることが本義であることは勿論、その歴史資料渉猟の結果を眺めるだけで道徳教育思想史が学べる。

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目次
 はじめに
 凡例
 第一章 道徳教育における人物伝教材の有効性
  はしがき
  第一節 先行研究の検討
  第二節 人物伝教材による教育的効果
  第三節 活用の歴史から検証する人物伝教材の有効性
  第四節 江戸時代の人物伝教材とその教育
  第五節 戦前期の人物伝教材とその教育
  むすび
 第二章 国定修身教科書における人物伝教材
  はしがき
  第一節 〝共通の価値〟を示す郷土の偉業 宮古島の人々 「博愛」(第四、第五期)
  第二節 工藤少年の〝手本〟 工藤俊作と上村彦之丞 「博愛」(第二~第四期)
  第三節 一夜の感動が大著を生む 本居宣長 「松阪の一夜」(第五期)
  第四節 徳望と度量を備えた英雄 西郷隆盛 「度量」(第三、第四期)
  第五節 「忠誠心」は普遍的道徳的価値 楠木正成 「忠孝」(第二、第三期)
  第六節 慈愛と権威とを有する天使 昭憲皇太后 「皇后陛下」(第二期)
  第七節 師への敬愛を教える 上杉鷹山と細井平洲 「先生をうやまへ」(第四期)
  第八節 摂生を心がけ学問に励む 伴信友 「身體」(第二~第四期)
  第九節 下言容れ採用 松平定信 「きそくをまもれ」(第四期)
  第十節 近世万葉学の金字塔 鹿持雅澄 「雅澄の研究」(第五期)
  第十一節 国家維新作用をなした作品 北畠親房 「日本は神の国」(第五期)
  第十二節 世界で注目を集める報徳思想 二宮尊徳 「学問」「勤勉」「孝行」他
       (第一~第五期)
  むすび
 第三章 偉人に学び生きた偉人たちの群像
  はしがき
  第一節 天下万民のために忠節を尽くす ―諸葛孔明と管仲・楽毅
  第二節 義のため直言をはばからず ―韓退之と孔子
  第三節 正気によって苦境を乗り越える ―藤田東湖と文天祥
  第四節 偉人の志をわが志としてなされた世界的発明 ―御木本幸吉と二宮尊徳
  第五節 永遠に後世に伝えられる二人の偉人物語  ―ヘレン・ケラーと塙保己一
  第六節 古人の求めたる所を求めよ ―松尾芭蕉と西行
  第七節 僕の後ろに道は出来る ―高村光太郎とオーギュスト・ロダン
  第八節 風に立つライオンたち ―柴田絋一郎とアルベルト・シュバイツァー
  むすび
 第四章 人物伝教育を推進する学校
  はしがき
  第一節 毎朝校舎に響く賀茂真淵の教え 静岡県浜松市立県居小学校
  第二節 橋本左内の生き方に倣い〝立志〟を教える 福井県福井市明道中学校
  第三節 師弟とともに吉田松陰に学び合う学校 山口県萩市立明倫小学校
  第四節 三百数十年のときをへて「藤樹学」を教える 滋賀県高島市立青柳小学校
  第五節 「先人教育」を推進する町、そしてその学校  岐阜県恵那市立岩邑小学校
  第六節 「われらのてほん 尊徳先生」と教える学校 神奈川県小田原市立桜井小学校
  第七節 地域の偉人たちに興味を持つ園児たち 水天宮保育園(福岡県久留米市)
  むすび
 あとがき
 初出一覧
 註
 索引

著者の渡邊毅氏は、元中学校教諭にして現皇學館大学教育学部教育学科准教授。「現場」でのご経験から、「徳育の王道は、人物伝による教育である」(「はじめに」)という結論を得たそうで(異論もありましょうが)、そのため、人物伝教育の歴史や、光太郎やロダンを含む取りあげるべき偉人の例などをまとめた書籍です。

ちなみに義務教育に於ける「道徳」は、「特別の教科」として、小学校では平成30年度から,中学校では平成31年度から位置づけられるようになりました。それ以前は、「各教科、道徳、特別活動」という枠組みで、「道徳」は「教科」には入っていませんでした。それが「教科」に含まれることとなり、評価の対象にもなっています。ただ、「特別の」ですので、通常の教科のような3段階、5段階の評価ではないようですが。

それに伴って、以前は「副読本」という位置づけだったテキストが、「教科書」となり、そうなると、各学校や教員が独自の教材を使用することは難しくなっているのでは、という気もします(特に教育界が保守的な都道府県――昔は「西のA県、東のC県」と言われていましたが、今はどうなのでしょうか――では)。

ところで、光太郎、「副読本」の時代から取りあげられていましたし、現行の「教科書」でも題材になっているようです。


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『道徳教育における……』でもそうですが、明治末から大正初め、ロダンの薫陶を受け、この国に近代彫刻を根付かせるため、「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」と意気込んで奮闘した頃の光太郎が取りあげられます。

たしかにこの時期の光太郎の姿は、若い世代に共感を持って受け入れられる部分はあるでしょう。しかし、光太郎の真価は果たしてそこなのでしょうか? 仮に当方が中学校で光太郎を扱う道徳の授業をやれ、といわれたら、そこではなく、戦時中、ズブズブの翼賛活動に身を投じて多くの前途有為な若者を死に追いやり、しかし、戦後になってそれをきちんと懺悔した、という部分を扱いたいと思います。

ま、この国の公教育では、こうした部分はある種のタブーとなっているようですので、ほぼほぼ無理でしょうが……。

閑話休題、『道徳教育における……』、ネット通販で入手可です。是非お買い求めを。


【折々のことば・光太郎】

新しい人が現はれるたびに詩は必ず一つの冒険を行ふ。

散文「島田正詩集『結婚』序」より 昭和21年(1946) 光太郎64歳

島田は北海道出身と思われる詩人ですが、詳細がよく分かりません。光太郎歿後に光太郎の序文なるものを載せた詩集も刊行していますが、そちらはどうも眉唾ものの序文のようでして……。

詳しい経歴等、ご存じの方はご教示いただけると幸いです。