昨日の『朝日新聞』さん、高知版から。 

高知)「客が一人でも上映」 山の中の映画館・大心劇場

 ウグイスのさえずりが里山に響く。周囲1キロに000集落もない。「山の中の映画館」と呼ばれる「大心(だいしん)劇場」(高知県安田町内京坊)を館主の小松秀吉さん(68)は38年間、続けてきた。なぜ、そんな不便な場所で営業を続けるのか。
 ――開館のきっかけは
 父親が約2キロ先の街中で、1954年から映画館を経営していた。テレビの普及で利用客が減り、休館状態となった。当初は取り壊す予定だったが、父親が自宅の敷地内に移築すると決断した。82年に「大心劇場」の名で開館。30歳だった自分が館主となった。
――なぜ移築したのですか
 昭和の映画館を残すのと、映画館が好きな息子の私のためという二つの思いが、父親にあったのだろう。以前の映画館では、3歳のころからステージや客席が遊び場。中学、高校時代は夏、冬休みにアルバイト感覚で、自分でフィルムを借りて上映していた。大阪の大学に進学後も、映画館巡りは欠かさなかった。
 ――よく開館に踏み切った
 最初は、昭和の映画館を体感できる博物館を始めるつもりだった。映写機やスクリーン、昭和の映画のポスターも200枚は集めていたから。旅先でここを知った旅行客に寄ってもらえるかもって。でも、県内で次々と単館の映画館が姿を消すのを見ちゃうとね。設備がそろっているのに、なぜ上映しないのかと、思うようになった。
 ――経営はどうでしたか
 当初は父親の印鑑の営業などを手伝い、上映で赤字が出てもその収入で補?(ほてん)した。10年ぐらい前から黒字になり、次回のフィルム代くらいは出るようになった。
 ――どうやって黒字に
 人とのつながりだ。大学時代に映画館ともう一つ夢中になったのがギターの弾き語り。「豆電球」の名前で地域の秋祭りなどで歌っている。そこで知り合った人に映画館を紹介する。そのうち、来館者が県内外に100人できた。
 家族経営なのでかかるのは電気代やフィルム代。一週間の上映で100人入れば黒字。客が足らないと「あんたが100人目よ」と100人の誰かに連絡すると、本当に来てくれる。
 ――音響がいいと聞きました
 フィルム映写機のドキュメンタリー映画「旅する映写機」で取材を受けた時、音響スタッフが館内のスピーカーや新しいアンプなどを使ってドルビーデジタルサラウンドを出せるよう再構築してくれた。館は木造で音の反響が柔らかい。大音量で音が外に漏れても文句をいう家はない。
 ――新型コロナウイルスの影響で休業3カ月後の今月、再開。最初の上映映画は「上を向いて歩こう」でした
 お客の顔を見ると本当にうれしかった。(坂本)九ちゃんの歌が流れた時は、涙も出たし、これからも上映する覚悟が持てた。知らない者同士が、同じ空間の中で映画から一人ひとり力をもらう。映画館の醍醐(だいご)味やね。(今林弘)
     ◇
 こまつ・しゅうきち 高知県安田町出身。映画館とその隣で喫茶「豆でんきゅう」を経営。大心劇場(0887・38・7062)は、懐かしい日本映画を中心に1作品約1週間の期間で1日2回(午後1時、7時)、月2作品を上映。客席84席。次回上映は6月27日~7月4日の「智恵子抄」。詳細はホームページ(http://wwwc.pikara.ne.jp/mamedenkyu/別ウインドウで開きます)。


5月のこのブログでご紹介
させていただいた、高知県安田町のミニシアター、大心劇場さん。コロナがなければ3月に昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」(岩下志麻さん、丹波哲郎さん主演)を上映して下さる予定でした。今月から営業を再開され、最初は昭和37年(1962)の日活映画「上を向いて歩こう」(舛田利雄監督・坂本九さん主演)を上映。続く再開2本目が、延期措置となった「智恵子抄」だそうです。 

昭和の名作。感動の大公開!! 智恵子抄002

期 日 : 2020年6月27日(土)~7月4日(土)
会 場 : 大心劇場 高知県安芸郡安田町内京坊992-1
時 間 : 1回目昼1時より 2回目夜7時より
料 金 : 1,500円

<監督>中村 登 <原作>佐藤 春夫/高村 光太郎
<出演者>岩下 志麻、丹波 哲郎、ほか
<作品紹介>美しく清らかな純愛をうたう感動無限の最高名篇

画像は3月公開予定時のものです。日程ご注意ください。

光太郎役の故・丹波哲郎さんは、ご自分で最も気に入っていた出演作の一つだそうですし、若き日の岩下志麻さん演じる智恵子の鬼気迫る様子、見応えのある作品です。

また、個人的な理由になりますが、おそらく当方自宅兼事務所のある千葉県香取市佐原地区でもロケが行われており(冒頭近くの「パンの会」のシーン)、感慨深いものがあります。

それにしても、『朝日新聞』さんの記事を読み、経営されている小松秀吉氏の「意気」に感動しました。

お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

言葉はまた着物の裂れ地と同じく、聯絡や関係が大切なのであつて、一部分のものではない。前後の関係、時間の関係に依つてその美が生れるのだから、その均衡に対する鋭い感じがないと、たていとばかり利いて横糸の弱いものが出来上つたりしてしまふ。

談話筆記「ことばの美に就いて」より 昭和18年(1943) 光太郎61歳

彫刻家としての造型感覚が、言葉を紡ぐ上でも有効に作用していた光太郎ならではのとらえ方ですね。