直接光太郎智恵子には関わりませんが……。 

"部分日食"北海道でも観測…厚い雲間から太陽下欠ける様子 観光名所「幣舞橋 乙女の像」と幻想的共演も

 6月21日午後、太陽の一部が月に隠れる部分日食が見られました。北海道釧路市のシンボル「幣舞橋」では、四季を表す乙女像との幻想的なコラボレーションが楽しめました。
 部分日食は太陽と月と地球が一直線上に並び、太陽の一部が地球から見て隠れる現象で、日本で観測されるのは2019年12月以来約半年ぶりです。
 釧路市では午後4時30分ごろ、観光名所「幣舞橋」の欄干に設置された四季を表す乙女像の奥に、厚い雲間から“欠けた太陽”が姿を現しました。
 北海道で次に日食が観測できるのは10年後の2030年6月1日で、太陽がリング状に見える金環日食だということです。

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ローカルテレビ局、UHB北海道文化放送さんのニュースから。

キーワード検索「乙女の像」でヒットし、光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」かと思ったのですが、北海道釧路市の幣舞(ぬさまい)橋に設置された「道東四季の像(四季の乙女の像)」(昭和50年=1975)でした。

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光太郎のDNAを受け継ぐ4人の彫刻家の競演。左から、「春」が舟越保武、「夏」は佐藤忠良、「秋」を柳原義達、そして「冬」で本郷新。それぞれ高村光太郎賞の受賞者だったり、審査員だったりし、光太郎と交流のあった面々です。

元々「乙女の像」という言葉は、「仁王像」「騎馬像」などと同様、彫刻のモチーフを表す普通名詞だったようです。ところがその意味での使用例が減少し、「乙女の像」といえば「十和田湖」という感じになってきているのかな、と思われます。

さて、部分日食、千葉県の自宅兼事務所では残念ながら厚い雲に遮られ、見られませんでした。ただ、その時間、通常の曇りの日に比べて暗かったように感じました。確か平成24年(2012)の金環日食は息子と二人で見た記憶がありまして、その時もだいぶ暗くなったように感たことを覚えています。

次回、日本で全国的に日食が見えるのは2030年6月1日だそうで、その頃は自分は一体どうしているのかな、などとも思いました。あまり変わらない生活をしているような気もしますし、そうであってほしいのですが(笑)。


【折々のことば・光太郎】

いくら平気でゐるつもりでも強い電燈の光を横から浴び、向ふにレンズがねらつてゐると思ふとやはり無心にはなり得ないものだと感じた。

散文「仕事場にて」より 昭和15年(1940) 光太郎68歳

雑誌『新女苑』第四巻第五号のグラビアページから。登山家の木暮理太郎の塑像(現存は確認できず)を制作している際の話です。さしもの光太郎も、カメラを向けられると緊張したようで(笑)。
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