昨日は都内に出ておりました。

メインの目的は、都内在住の方から花巻高村光太郎記念館さんに、光太郎の書簡が寄贈されることになって、その贈呈に立ち会うことでした(当方が仲介したもので)。内容等、公表されましたらまたご紹介しますが、明治末、光太郎が欧米留学の最後にイタリア旅行をした際に、ローマから日本に送った絵葉書で、資料価値的には極めて高いものです。

そちらの用事が午後からでしたので、午前中、今月開館した立川市のたましん美術館さんに足を運びました。「開館記念展Ⅰたまびらき―たましんの日本近代美術コレクション―」が開催されています。当初予定では先月からのはずでしたが、コロナ禍によりずれ込みました。

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「たましん」は「多摩信用金庫」さん。元々昭和49年(1974)に、メセナ(企業による文化芸術方面への社会貢献活動)の一環として、本店ビルに「たましん展示室」をオープン、その後、国立支店には「たましん美術サロン」(のち「たましん歴史・美術館」)、その分館として青梅市に「たましん御岳美術館」などが設置されてきましたが、それらを統合して生まれたのが「たましん美術館」さんです。

収蔵品は三つの柱で構成されています。まず、近代日本美術の名品、次に東洋古陶磁、そして地元作家の作品です。

今年度は開館記念ということで、それら三本柱の一つずつ、開館記念展Ⅰ、Ⅱ、Ⅲとして展示するとのこと。

で、まずは「日本近代美術コレクション―」。さらに前後期に分け、現在は前期です。


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画像はそれぞれクリックで拡大します。001

目玉の一つとして、光太郎ブロンズの代表作「手」(大正7年=1918)。ただし、あたらしい鋳造のようでした。

「手」は、都内では竹橋の東京国立近代美術館さん、台東区の朝倉彫塑館さんなどにも所蔵されていますが、常に展示されているわけではありません。

光太郎の親友だった碌山荻原守衛の絶作「女」(明治43年=1910)、それから光太郎、守衛とも交流のあった中原悌二郎の「若きカフカス人」(大正8年=1919)も並んでいました。

その他、絵画では、やはり光太郎と交流のあった面々――岡田三郎助、岸田劉生、椿貞雄、山下新太郎、梅原龍三郎、安井曾太郎、斎藤与里、藤田嗣治ら――の作品を、興味深く拝見しました。

前期は7月5日(日)まで、後期は展示替え期間を挟んで7月11日(土)~8月23日(日)です。光太郎「手」、守衛の「女」などは通期展示となっています。

ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

いい方がおかしいが、岩手の冬は人を殺さない。非人間的な冬と、人間的な冬の限界のところにあるのだと思う。この冬にきたえられて、時にぽかつと、すごい精神的な天才的な人間が出てくるのだと思う。なまぬるいものではない。この冬のきびしさが賢治や啄木も生み、原敬なども生んだのだろうと思う。
談話筆記「緑陰に語る」より 昭和27年(1952) 光太郎70歳

「非人間的な冬」として挙げている例はシベリアなど。なるほど、言いたいことはよくわかります。