講談社さんから発行されている総合文芸誌『群像』の今月号を入手しました。 2020年7月1日(6月7日発売) 講談社 税込定価1,300円

彫刻家・小田原のどか氏の評論「彫刻の問題――加藤典洋、吉本隆明、高村光太郎から回路を開く―」が14ページにわたって掲載されています。
加藤典洋氏は、昨年亡くなった文芸評論家。『敗戦後論』(平成9年=1997)が特に有名ですね。思想的な系譜としては、当会顧問であらせられた故北川太一先生の盟友・吉本隆明のそれを受け継いでいるとってもいいでしょう。
そして吉本が初めて著した作家論が『高村光太郎』(昭和32年=1957)。吉本は戦時中、光太郎の翼賛詩文に多大な影響を受け、戦後になってからは、光太郎を通じて「あの戦争は何だったのか」という思索の道に入っていきました。
そして戦時中、大政翼賛会中央協力会議議員や、日本文学報国会詩部会長などを務めた光太郎。他の彫刻家とは異なり、「爆弾三勇士」的な愚劣な彫刻は作りませんでしたが、詩文では最も翼賛活動に資する役割を果たしました。
小田原氏、一昨年に編刊された『彫刻 SCULPTURE 1 ――空白の時代、戦時の彫刻/この国の彫刻のはじまりへ』でも、戦争と彫刻の関わり、特に彫刻の持つモニュメンタルな部分について、様々な論者の方々と論じられていましたが、今回のものもその一連の流れに沿うものです。
特に興味深かったのは、光太郎最後の大作(ちなみに小田原氏は「絶作」としていましたが、それは誤りです)「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」を、戦後の平和主義の敷衍に伴う、さまざまな場所に建てられた裸婦像の流れの中で捉えていること。
ただ、そうした有象無象の裸婦像は人々の記憶から薄れ、極論すれば光太郎の「乙女の像」のみが「生き残って」いるように感じるのですが。
さて、『群像』。大きめの書店さんでしたら店頭に並んでいるでしょうし、オンラインでも入手可です。ぜひお買い求め下さい。
【折々のことば・光太郎】
今日の所ではこつちにゐたくないな、どうも。彫刻のためにこつちへ来たんだから……。あつちでは畑をやるが、畑をやるといふことは、僕の彫刻だ。

〈創作〉
とんこつQ&A 今村夏子
膨張 井戸川射子
〈第63回群像新人文学賞発表〉
〈優秀作〉四月の岸辺 湯浅真尋
受賞の言葉 選評 柴崎友香、高橋源一郎、多和田葉子、野崎歓、松浦理英子
〈批評総特集〉「論」の遠近法
考えることを守る 東浩紀
井筒俊彦――ディオニュソス的人間の肖像 安藤礼二
ふたたび世界へと戻ってくるために――崔実『pray human』論 江南亜美子
非人間 大澤信亮
彫刻の問題――加藤典洋、吉本隆明、高村光太郎から回路をひらく 小田原のどか
自分が死ぬとはどういうことか?――の変遷 樫村晴香
コロナウイルスと古井由吉 柄谷行人
戦争の「現在形」――七〇年代生まれの作家たちの戦争小説 高原到
ポシブル、パサブル――ある空間とその言葉 福尾匠
ばば抜きのゴッサム・シティ 古川日出男
パラサイト――やがて来る食客論のために 星野太
ぶかぶかの風景――乗代雄介「最高の任務」 町屋良平
ピンカーさん、ところで、幸せってなんですか? 綿野恵太
〈連載評論〉ショットとは何か〈2〉 蓮實重彦
〈ノンフィクション〉 2011―2021 視えない線の上で 石戸諭
〈短期集中ルポ〉ガザ・西岸地区・アンマン⑤
「国境なき医師団」を見に行くいとうせいこう
「国境なき医師団」を見に行くいとうせいこう
〈追悼 井波律子〉 破壊と創造の女神 三浦雅士
〈連載〉
ゴッホの犬と耳とひまわり〔7〕 長野まゆみ
鉄の胡蝶は夢に記憶に歳月に彫るか〔23〕 保坂和志
二月のつぎに七月が〔28〕 堀江敏幸
ブロークン・ブリテンに聞け Listen to Broken Britain〔29〕 ブレイディみかこ
ハロー、ユーラシア〔2〕 福嶋亮大
薄れゆく境界線 現代アメリカ小説探訪〔2〕 諏訪部浩一
「近過去」としての平成〔4〕 武田砂鉄
「ヤッター」の雰囲気〔4〕 星野概念
星占い的思考〔4〕 石井ゆかり
所有について〔5〕 鷲田清一
辺境図書館〔5〕 皆川博子
LA・フード・ダイアリー〔10〕 三浦哲哉
現代短歌ノート〔122〕 穂村 弘
私の文芸文庫〔7〕 綿矢りさ
極私的雑誌デザイン考〔6〕 川名潤
〈随筆〉
変なTシャツを着ている imdkm
腰田低男氏の人生 上野誠
さよりとこより 長田杏奈
彼女の本も旅にでる 清水チナツ
確率を上げる(鷺ノ山) 長谷川新
かさぶたは、時おり剥がれる 堀江栞
〈書評〉
このパパを見よ!(『パパいや、めろん』海猫沢めろん 6月22日頃刊行) 野崎歓
異人に向かう優しい眼差し(『よそ者たちの愛』テレツィア・モーラ) 池田信雄
知と戯れる「物理の聖典」(『帝国』花村萬月) 豊﨑由美
彫刻家・小田原のどか氏の評論「彫刻の問題――加藤典洋、吉本隆明、高村光太郎から回路を開く―」が14ページにわたって掲載されています。
加藤典洋氏は、昨年亡くなった文芸評論家。『敗戦後論』(平成9年=1997)が特に有名ですね。思想的な系譜としては、当会顧問であらせられた故北川太一先生の盟友・吉本隆明のそれを受け継いでいるとってもいいでしょう。
そして吉本が初めて著した作家論が『高村光太郎』(昭和32年=1957)。吉本は戦時中、光太郎の翼賛詩文に多大な影響を受け、戦後になってからは、光太郎を通じて「あの戦争は何だったのか」という思索の道に入っていきました。
そして戦時中、大政翼賛会中央協力会議議員や、日本文学報国会詩部会長などを務めた光太郎。他の彫刻家とは異なり、「爆弾三勇士」的な愚劣な彫刻は作りませんでしたが、詩文では最も翼賛活動に資する役割を果たしました。
小田原氏、一昨年に編刊された『彫刻 SCULPTURE 1 ――空白の時代、戦時の彫刻/この国の彫刻のはじまりへ』でも、戦争と彫刻の関わり、特に彫刻の持つモニュメンタルな部分について、様々な論者の方々と論じられていましたが、今回のものもその一連の流れに沿うものです。
特に興味深かったのは、光太郎最後の大作(ちなみに小田原氏は「絶作」としていましたが、それは誤りです)「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」を、戦後の平和主義の敷衍に伴う、さまざまな場所に建てられた裸婦像の流れの中で捉えていること。
ただ、そうした有象無象の裸婦像は人々の記憶から薄れ、極論すれば光太郎の「乙女の像」のみが「生き残って」いるように感じるのですが。
さて、『群像』。大きめの書店さんでしたら店頭に並んでいるでしょうし、オンラインでも入手可です。ぜひお買い求め下さい。
【折々のことば・光太郎】
今日の所ではこつちにゐたくないな、どうも。彫刻のためにこつちへ来たんだから……。あつちでは畑をやるが、畑をやるといふことは、僕の彫刻だ。
座談会筆録「湖畔の彫像」より 昭和27年(1952) 光太郎70歳
「彫刻」は「乙女の像」、「こつち」は東京、「あつち」が花巻郊外旧太田村です。
以前にも書きましたが、この年、「乙女の像」制作のため帰京したものの、完成後にはまた太田村に帰るつもりでいた光太郎、住民票はそのままでした。実際、像の除幕式(昭和28年=1953)の後、一時的に太田村に帰りましたが、もはや健康状態が過酷な寒村での生活に耐えられず、三度(たび)、東京の人となり、そのまま亡くなりました。
以前にも書きましたが、この年、「乙女の像」制作のため帰京したものの、完成後にはまた太田村に帰るつもりでいた光太郎、住民票はそのままでした。実際、像の除幕式(昭和28年=1953)の後、一時的に太田村に帰りましたが、もはや健康状態が過酷な寒村での生活に耐えられず、三度(たび)、東京の人となり、そのまま亡くなりました。