まずは福島の地方紙2紙。今月9日に開幕した「重陽の芸術祭2017」関連です。

『福島民報』さん。

【重陽の芸術祭】新たな驚きを楽しむ(9月9日)

 「重陽の芸術祭」がきょう二本松市で開幕する。現代美術の最先端で活躍する作家が「重陽の節句」の9月9日から11月23日まで、秋の城下町を舞台に美を競う。普段目にする機会の少ない独創的な作品が並び、県内外から大勢が足を運ぶと期待される。芸術による新たなにぎわいづくりに注目したい。
 二本松のシンボルで
である霞ケ城の本丸跡にはヤノベケンジさんが制作した巨大な黒猫像「SHIP’S CAT(船乗り猫)」が立つ。黒猫は古来、船のネズミを捕り、幸運を呼ぶと船員に愛されてきた。福島復興への願いがこもる。360度に広がる眺望の中に現れる大きな猫は、見る者を驚かせる。
 ヤノベさんは東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の発生後、作品を通して被災地の応援活動を繰り広げてきた。「霞ケ城は“天空の城”として有名な兵庫県の竹田城にも匹敵する景観を持つ。ここから全国に幸せを発信したい」と意気込む。
 二本松は芸術家でもあった高村智恵子の古里とあって、刺激を受けた女性作家らの力作も楽しみだ。刺しゅう美術家の清川あさみさんは、智恵子の生家に作品を展示する。「智恵子の生まれ故郷で感じたことを、作品に混ぜ込んで表現する」と語る。「智恵子の紙絵も見て勉強した」という切り絵美術家の福井利佐さんは、東北地方に伝わる「お飾り」(切り紙飾り)や鬼婆伝説にちなむ作品を安達ケ原ふるさと村に展示する。
 若い才能のきらめきも見逃せない。福島大で美術を学ぶ学生、院生らが運営を手伝いながら、自分たちの作品を制作している。100の妖怪の絵を上川崎の和紙に描き、10月14日に霞ケ城公園で開幕する菊人形の会場に並べる。
 芸術祭は2年に一度の「福島現代美術ビエンナーレ」が昨年、二本松市で催されたのがきっかけとなった。まちおこしに生かそうという機運が高まり、ビエンナーレに続けてさらに工夫を凝らし、13カ所を会場に展開する。美術の力が人々の心に火をつけ、まちを動かした。会期中、舞踊や朗読音楽劇、日本酒のイベントなども花を添える。
 本県は美しい自然や名所旧跡に恵まれている。この秋は美術を新たな魅力として加えたい。創造力の思いがけない輝きに出合えることが現代美術を鑑賞する喜びでもある。歴史ある街並みを巡り、個性的な美を見つけてほしい。全国から訪れるファンと住民らが、街角で芸術談議に花を咲かせる場面が見られたら、うれしい。(佐藤克也) 

二本松で「重陽の芸術祭」開幕

 福島県観光復興推進委員会のふくしま秋・冬観光キャンペーンの特別企画に選ばれている現代アートの祭典「重陽の芸術祭」は9日、二本松市で開幕した。11月23日まで。
  初日は県立霞ケ城公園本丸跡で「重陽の乾杯」が行われ、芸術家オノ・ヨーコさんの言葉が刻まれたスチール板が除幕された。安達太良山を遠くに眺めながら、出席者が菊茶で乾杯した。安達ケ原ふるさと村農村生活館で朗読音楽劇「黒塚」が上演された。
  県立霞ケ城公園、智恵子の生家、安達ケ原ふるさと村などにオノさんをはじめ、切り絵作家福井利佐さん、刺しゅう作家清川あさみさんらの作品が並んでいる。問い合わせは市振興公社 電話0243(61)3100へ。


『福島民友』さん。

【二本松】現代美術の祭典「重陽の芸術祭」開幕 最先端アート触れて

 現代美術の祭典「重陽の芸術祭」が9日、二本松市で開幕した。最先端のアートを通して地域の文化に触れる機会を設けようと、智恵子の生家や安達ケ原ふるさと村など市内各所で11月23日まで繰り広げる。
 福島大の「芸術による地域創造研究所」を中心とした実行委の主催で、9日は県立霞ケ城公園の天守台で同日の「重陽の節句」に合わせたイベントを開催。高い場所で菊酒を飲むと邪気をはらい、災いが避けられるという言い伝えがあり、来場者が菊茶で乾杯した。
 参加アーティストのワタリドリ計画(麻生知子さん、武内明子さん)の2人が、芸術家オノ・ヨーコさんから寄せられた言葉を刻んだプレートを除幕。現代美術家ヤノベケンジさんが幸福を呼ぶために制作した高さ3メートルの黒猫像「シップス・キャット」がお目見えした。
 重陽の芸術祭の問い合わせは市振興公社(電話0243・61・3100)へ。


続いて、横浜伊勢佐木町で明日から始まる日枝神社例大祭について、『神奈川新聞』さんの記事。 

災難乗り越え 伝説の神輿お披露目

 関東大震災と横浜大空襲を免れた神輿(みこし)を地元住民らが担いで練り歩く「火伏(ひぶせ)神輿行列」が15日、平成の大修復後初めて横浜市中区伊勢佐木町1、2丁目で行われる。日枝神社例大祭のメイン行事の一つで、「この行事が未来にも続き、私たちの街が発展を続けてほしい」と願いを込める。
  神輿は伊勢佐木町の町内会が大正天皇の即位を記念し、彫刻家・高村光雲に制作を依頼したもので、1923年に完成した。90年余りを経て彫刻や金具が欠けたり塗りが剥がれたりするなどの傷みが目立ったため、吉田新田の完成350周年の今年を控え、2016年に修復を済ませた。
  行列は15日午後1時半から、町内の有志による担ぎ手30人が白装束に身を包み、雅楽の演奏を先導に「エイサー、エイサー」と掛け声を掛けながら厳かにイセザキ・モール1、2丁目を往復する。
  例大祭は1年置きに本祭りが行われ、今年はその年に当たる。周辺町内会から35基の神輿が参加する神輿連合渡御は最終日の17日に開かれる。16日午後5時から7時まで伊勢佐木町1丁目に日枝神社の千貫神輿が奉安されるなど、イセザキ・モールは活気に満ちる。
  伊勢佐木町1・2丁目地区商店街振興組合の石田隆専務理事は「修復した火伏神輿を通じて、2度も大きな災難を乗り越えて繁栄を遂げた伊勢佐木町の心意気を次の世代にも伝えたい」と話している。

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当方、明日から岩手花巻に行って参りますのでこちらには伺えませんが、盛り上がることを祈念いたしております。

ところで、過日、三井記念美術館さんの特別展「驚異の超絶技巧! —明治工芸から現代アートへ—」の記事を書く際に、久しぶりに、平成14年(2002)、茨城県立近代美術館他を巡回した「高村光雲とその時代展」の図録を引っ張り出しまして見ていたところ、「火伏神輿」も掲載されていたのに気づきました。

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それから、神輿と共に伊勢佐木町に伝わる獅子頭も。

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平成26年(2014)にはお祭りを拝見、神輿と獅子頭も見て参りましたが、15年前にも見ていたのを忘れていました。情けなや……。


最後に、今日の『日本経済新聞』さん。当方、「電子版」で読みましたが、東京版紙面にも載ったのではないかと思います。 

多摩信金 新本店ビルに美術館

 多摩信用金庫(東京都立川市)は2018年2月にJR立川駅北口の旧国有地に着工する新本店ビル内に美術館を設置する方針を決めた。岸田劉生の絵画など同信金が所蔵する近代日本の美術作品を展示する「たましん御岳美術館」(青梅市)の機能を移転する。立川の新たなランドマークと位置づける新本店ビルの目玉にしたい考えだ。
 美術館は9階建ての新本店ビルの1階に開設する。計画案によると、延べ床面積は約300平方メートルで、1階の有効面積(エレベーターなど共有部分を除く)の約半分を占める。
 岸田や高村光太郎など御岳美術館所蔵の近代日本を代表する絵画・彫刻作品を主に展示する。多摩川上流の御岳渓谷に立地する御岳美術館は立川への機能移転後には廃止する方向で検討している。また、主に預金などの窓口スペースとなる2階にも多摩地域の作家に作品提供の場を提供するギャラリーを設ける。
 多摩信金は長年、地盤とする多摩地域の芸術文化の支援に力を入れており、今回の新美術館整備もその一環。
 新本店ビルは不動産開発の立飛ホールディングス(立川市)が音楽ホールやホテルなど大規模複合開発のため取得した旧国有地の一部(敷地面積約2600平方メートル)に建設。延べ床面積は約9000平方メートルで、現本店ビルの約1.6倍の規模になる。


青梅市のたましん御岳美術館さん。行ったことはありませんが、光太郎ブロンズの代表作「手」が常設展示されていることは存じておりました。光太郎が終生敬愛していたロダンや、光太郎の朋友・荻原守衛の作品も。しかし、立地条件があまりよくなく、正直、入館者数等で苦戦しているという話も耳にしていて、残念に思っておりました。

それが立川駅前に移転ということで、都心からのアクセスもよくなるので、喜ばしいことと存じます。オープンの際には行って参ります。

先日、北海道小樽にオープンした似鳥美術館さんにしてもそうですが、こうしたメセナ(企業の社会貢献)的な部分での活動には頭が下がります。


いろいろご紹介いたしましたが、それぞれぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

私には二いろの詩が生れた。 一いろは印刷され、 一いろは印刷されない。 どちらも私はむきに書いた。

連作詩「暗愚小伝」中の「ロマン ロラン」より
 昭和22年(1947) 光太郎65歳

戦時中の回想です。印刷された一いろは、大量の翼賛詩。しかし、同時に印刷されなかった詩もあったとのこと。実際、『石くれの歌』、『花と実』といった詩集が構想されていたことはわかっていますし、その断片と思われるものもわずかに残っています。ただ、大半は昭和20年(1945)の空襲で、駒込林町のアトリエと共に灰になってしまいました。

その詩稿がちゃんと残っていれば、戦時中の光太郎の良心を見ることができたのですが……。もしかすると、智恵子に関する詩もあったかもしれません。