新型コロナ感染症に伴う緊急事態宣言の解除を受け、一昨日、当会の祖・草野心平を顕彰する福島県いわき市の草野心平記念文学館さんへ行って参りました。4月11日(土)にはじまり、一週間後に休館となって中断していた企画展「草野心平の詩 天へのまなざし」が再開し、拝見して参りました。
心平というと、「蛙の詩人」または「富士山の詩人」というイメージが強いのですが、もう一つ、重要なモチーフとして繰り返し取りあげていたのが「天」。心平自身「私のいままで書いた作品の約七十パアセントに天が出てくる。或ひは空とか星雲とか天体のさまざまな現象などが。(略)富士山の詩を私は永いあひだ書いてきたやうに思ふが、もともと富士山などといふものは天を背景にしなければ存在しない。」(「天に就いて」昭和26年=1951)、と述べています。ということで、「天」にスポットを当てる展示内容です。
光太郎とのからみでは、光太郎が題字を揮毫した心平詩集『富士山』(昭和18年=1943)、『天』(昭和26年=1951)。久しぶりに現物を見ましたが、いい字です。
その他、「天」に題を採った書や絵画なども。勝手な思いこみかも知れませんが、心平が書や絵画をよくしたのも、光太郎の影響に依るところが大きいのではないでしょうか。
ロビーのガラスには、以前から掲げられているのですが、心平詩「猛烈な天」(昭和15年=1940)。心平の愛した故郷の阿武隈山系、そしてその上に広がる「天」をバックに、というか、「天」に刻みつけられているようにも見えますね。
おまけ、駐車場に生えていた朴の木です。見事な花が咲いていました。
【折々のことば・光太郎】
小刀を研いだり木を彫つたり粘土をいぢつたりする時間は素よりいい。晴れた日近所の原で空を仰ぐのもいい。日に干した寝床に横になつてああらくだと思ふ時もいい。
心平というと、「蛙の詩人」または「富士山の詩人」というイメージが強いのですが、もう一つ、重要なモチーフとして繰り返し取りあげていたのが「天」。心平自身「私のいままで書いた作品の約七十パアセントに天が出てくる。或ひは空とか星雲とか天体のさまざまな現象などが。(略)富士山の詩を私は永いあひだ書いてきたやうに思ふが、もともと富士山などといふものは天を背景にしなければ存在しない。」(「天に就いて」昭和26年=1951)、と述べています。ということで、「天」にスポットを当てる展示内容です。
光太郎とのからみでは、光太郎が題字を揮毫した心平詩集『富士山』(昭和18年=1943)、『天』(昭和26年=1951)。久しぶりに現物を見ましたが、いい字です。
その他、「天」に題を採った書や絵画なども。勝手な思いこみかも知れませんが、心平が書や絵画をよくしたのも、光太郎の影響に依るところが大きいのではないでしょうか。
ロビーのガラスには、以前から掲げられているのですが、心平詩「猛烈な天」(昭和15年=1940)。心平の愛した故郷の阿武隈山系、そしてその上に広がる「天」をバックに、というか、「天」に刻みつけられているようにも見えますね。
おまけ、駐車場に生えていた朴の木です。見事な花が咲いていました。
【折々のことば・光太郎】
小刀を研いだり木を彫つたり粘土をいぢつたりする時間は素よりいい。晴れた日近所の原で空を仰ぐのもいい。日に干した寝床に横になつてああらくだと思ふ時もいい。
散文「私の好きな時間」より 昭和14年(1939) 光太郎57歳
心平同様、光太郎も「空を仰ぐ」のが好きでした。