繰り返し書きますが、新型コロナの影響で、各種イベント等がほとんど行われなくなり、このブログのネタにも困っています。
新着情報系がない時は、最近入手したもののご紹介。少し前に同様の趣旨で「ブロンズ彫刻「手」に関わる新発見。」という記事を書きましたところ、意外と反響が大きくて驚きました。
今回は「新発見」というものではないのですが、ちょっと珍しいと思われるものが手に入ったので、そちらをご紹介します。光太郎第二の故郷ともいうべき、岩手花巻の昭和30年代はじめと思われる絵葉書セットです。
まずはカバー。二つ折りの状態のものを開いてスキャンしました。画像をクリックしていただくと拡大します。
花巻市さん、花巻市観光協会さんが発行元ということになっています。裏表紙的な方には、アバウトな地図。2系統あって、ともに昭和40年代に廃線となった花巻電鉄(細い弧線)がここでは健在です。右上には光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」が建てられた十和田湖も。このあたりは縮尺を無視しています。
カバーの裏には手書きの文字で「33.9」とあります。おそらく最初に購入した方が、昭和33年(1958)9月にゲットした、という意味でしょう。その日の体温だとしたら低すぎます(つまりませんね(笑)、すみません)。
中身は8枚入っていました。やはり昭和30年代はじめと思われる写真でした。なぜわかるかというと、こちら。
昭和20年(1945)から7年間、光太郎が暮らした山小屋(高村山荘)です。中央が元々の小屋(鉱山の飯場小屋を移築したもの)、左の白い建物は昭和26年(1951)、オリジナル『智恵子抄』の版元、龍星閣の肝煎りで増築された二間×三間の別棟、右の方は便所と風呂場です。
光太郎が亡くなった翌年の昭和32年(1957)には、中央の元の小屋を保存するための套屋(カバーの建物)がかけられ、左の新小屋は50㍍ほど移築されています。しかし写真はそれが行われる前のもの。それから、カバーには先述の通り「花巻市」とあり、花巻に市政が施行されたのが昭和29年(1954)ですから、おそらく昭和30年(1955)前後の撮影でしょう。
右は光太郎の山小屋と同じく旧太田村の音羽山清水寺さん。光太郎も何度か足を運んでいます。
花巻といえば、宮沢賢治。
昭和11年(1936)建立の、光太郎が揮毫した「雨ニモマケズ」碑も取り上げられています。イギリス海岸は2枚にわたって。
もう一つ、花巻といえば、温泉。有名な温泉5カ所が採用されています。
豊沢川沿いに点在する花巻南温泉峡の一番奥、鉛温泉藤三旅館さん。
光太郎が泊まった当時の建物で、令和となっても健在です。
光太郎がもっとも多く逗留したと思われる、大沢温泉さん。
左は「菊水館」となっていますが、本来の菊水館さんは写真左の方、江戸時代竣工の茶色い茅葺きの部分です。赤い屋根の方の建物は、位置関係からして現存しないのではないかと思われます。菊水館さん、一昨年の台風で道路の法面が崩れ、車が通行できないため宿泊棟としては休業し、「昔ギャラリー茅」として活用されています。ここにも光太郎が宿泊しています。
右は山水閣さん。現在は建て替えられて近代的な建物になっていますが、光太郎が居た頃はちょっと高級な温泉旅館的な棟でした。光太郎がよく泊まった部屋が「牡丹の間」という名で再現されています。
続いて、志戸平温泉さん。
光太郎、ここにも泊まっています。ただ、残念ながら当時の建物は残っていません。おそらく画像は光太郎が泊まった頃の建物なのでしょう。
南温泉峡から一山越えた花巻温泉さん。
こちらは建物がメインではなく、庭園を前面に押し出しています。松雲閣は、やはり光太郎の定宿の一つ。現在は旅館としては廃業しましたが、建物は健在で、一昨年、国の有形文化財に登録されました。
最後に台温泉さん。南温泉峡とは異なり、小さな温泉旅館がたくさん。その中の松田屋旅館さんに光太郎の足跡が残っています。絵葉書には松田屋さんは写っていないように思われますが、すぐ近くでしょう。
以上8枚のセットでした。元の購入者の方が、他の何枚かを使ったりしていなければ、これで全部です。
この手の古絵葉書、かえって戦前のものなどの方が、その古さ故の資料的価値などから、市場に多く出回っています。このような昭和30年代位のものだと、中途半端に古い、的な感じなのでしょう、あまり見かけません。ただ、当方としては、光太郎が居た頃とそう離れていない時期のものなので、ありがたいのです。
ところで、気になって各温泉宿のHPを見てみました。案の定、何軒かは新型コロナの影響で休業中のようです。岩手県では感染者ゼロが続いていますが、やはり気をつけるに超したことはありませんね。
昨日のこのブログでは、「世界がもとに戻ったらしたいこと」ということで、「図書館系に行って調べものをしたい」と書きましたが、やはり「温泉に行きたい」も挙げねばなりません(笑)。大手を振って温泉に行ける碑が戻ってくることを念じつつ……。
【折々のことば・光太郎】
新着情報系がない時は、最近入手したもののご紹介。少し前に同様の趣旨で「ブロンズ彫刻「手」に関わる新発見。」という記事を書きましたところ、意外と反響が大きくて驚きました。
今回は「新発見」というものではないのですが、ちょっと珍しいと思われるものが手に入ったので、そちらをご紹介します。光太郎第二の故郷ともいうべき、岩手花巻の昭和30年代はじめと思われる絵葉書セットです。
まずはカバー。二つ折りの状態のものを開いてスキャンしました。画像をクリックしていただくと拡大します。
花巻市さん、花巻市観光協会さんが発行元ということになっています。裏表紙的な方には、アバウトな地図。2系統あって、ともに昭和40年代に廃線となった花巻電鉄(細い弧線)がここでは健在です。右上には光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」が建てられた十和田湖も。このあたりは縮尺を無視しています。
カバーの裏には手書きの文字で「33.9」とあります。おそらく最初に購入した方が、昭和33年(1958)9月にゲットした、という意味でしょう。その日の体温だとしたら低すぎます(つまりませんね(笑)、すみません)。
中身は8枚入っていました。やはり昭和30年代はじめと思われる写真でした。なぜわかるかというと、こちら。
昭和20年(1945)から7年間、光太郎が暮らした山小屋(高村山荘)です。中央が元々の小屋(鉱山の飯場小屋を移築したもの)、左の白い建物は昭和26年(1951)、オリジナル『智恵子抄』の版元、龍星閣の肝煎りで増築された二間×三間の別棟、右の方は便所と風呂場です。
光太郎が亡くなった翌年の昭和32年(1957)には、中央の元の小屋を保存するための套屋(カバーの建物)がかけられ、左の新小屋は50㍍ほど移築されています。しかし写真はそれが行われる前のもの。それから、カバーには先述の通り「花巻市」とあり、花巻に市政が施行されたのが昭和29年(1954)ですから、おそらく昭和30年(1955)前後の撮影でしょう。
右は光太郎の山小屋と同じく旧太田村の音羽山清水寺さん。光太郎も何度か足を運んでいます。
花巻といえば、宮沢賢治。
昭和11年(1936)建立の、光太郎が揮毫した「雨ニモマケズ」碑も取り上げられています。イギリス海岸は2枚にわたって。
もう一つ、花巻といえば、温泉。有名な温泉5カ所が採用されています。
豊沢川沿いに点在する花巻南温泉峡の一番奥、鉛温泉藤三旅館さん。
光太郎が泊まった当時の建物で、令和となっても健在です。
光太郎がもっとも多く逗留したと思われる、大沢温泉さん。
左は「菊水館」となっていますが、本来の菊水館さんは写真左の方、江戸時代竣工の茶色い茅葺きの部分です。赤い屋根の方の建物は、位置関係からして現存しないのではないかと思われます。菊水館さん、一昨年の台風で道路の法面が崩れ、車が通行できないため宿泊棟としては休業し、「昔ギャラリー茅」として活用されています。ここにも光太郎が宿泊しています。
右は山水閣さん。現在は建て替えられて近代的な建物になっていますが、光太郎が居た頃はちょっと高級な温泉旅館的な棟でした。光太郎がよく泊まった部屋が「牡丹の間」という名で再現されています。
続いて、志戸平温泉さん。
光太郎、ここにも泊まっています。ただ、残念ながら当時の建物は残っていません。おそらく画像は光太郎が泊まった頃の建物なのでしょう。
南温泉峡から一山越えた花巻温泉さん。
こちらは建物がメインではなく、庭園を前面に押し出しています。松雲閣は、やはり光太郎の定宿の一つ。現在は旅館としては廃業しましたが、建物は健在で、一昨年、国の有形文化財に登録されました。
最後に台温泉さん。南温泉峡とは異なり、小さな温泉旅館がたくさん。その中の松田屋旅館さんに光太郎の足跡が残っています。絵葉書には松田屋さんは写っていないように思われますが、すぐ近くでしょう。
以上8枚のセットでした。元の購入者の方が、他の何枚かを使ったりしていなければ、これで全部です。
この手の古絵葉書、かえって戦前のものなどの方が、その古さ故の資料的価値などから、市場に多く出回っています。このような昭和30年代位のものだと、中途半端に古い、的な感じなのでしょう、あまり見かけません。ただ、当方としては、光太郎が居た頃とそう離れていない時期のものなので、ありがたいのです。
ところで、気になって各温泉宿のHPを見てみました。案の定、何軒かは新型コロナの影響で休業中のようです。岩手県では感染者ゼロが続いていますが、やはり気をつけるに超したことはありませんね。
昨日のこのブログでは、「世界がもとに戻ったらしたいこと」ということで、「図書館系に行って調べものをしたい」と書きましたが、やはり「温泉に行きたい」も挙げねばなりません(笑)。大手を振って温泉に行ける碑が戻ってくることを念じつつ……。
【折々のことば・光太郎】