俳優の金内喜久夫さんが亡くなりました。昨日、何気にフェイスブックで渡辺えりさんの投稿を見ておりましたら、その記述がありまして、驚いた次第です。

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『日刊スポーツ』さん。 

文学座の金内喜久夫さん死去、87歳 がんのため

文学座のベテラン俳優金内喜久夫(かなうち・きくお)さんが28日午後、がんのため亡くなった。87歳だった。30日に家族葬を行う。喪主はアニメ「サザエさん」のイクラ役で知られる妻桂玲子(れいこ)さん。

金内さんは67年に文学座の座員となり、舞台「熱海殺人事件」「飢餓海峡」などのほか、大河ドラマ「徳川慶喜」にも出演した。08年に紀伊国屋演劇賞個人賞を受賞した。18年にがんが見つかり、19年春には転移したことも判明した。同年秋に出演した別役実作品「この道はいつか来た道」が最後の舞台となった。

金内さん、平成23年(2011)と翌年、渡辺えりさん作の舞台「月にぬれた手」で、主役の光太郎役を演じられました。平成23年は東日本大震災のため、途中で打ちきりとなり、翌年、再演。当方、再演の方を拝見に伺いました。

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当方、金内さんのお歳を存じ上げませんで、87歳だったというのにも驚きました。ということは当方が「月にぬれた手」を拝見した平成24年(2012)には79歳だったわけで、とてもそうは見えませんでした。戦時中の翼賛詩文を読んで、多くの前途有為な若者が死んでいったことへの光太郎の自責の念を、見事に表現されていらっしゃいました。

画像は、「月にぬれた手」のパンフレットから。下記は、光太郎終焉の地、中野の貸しアトリエに、主立ったキャストやスタッフの皆さんで行かれた際のショットだそうです。

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脚本の渡辺さん、智恵子役の平岩紙さん、息子が戦死し、戦時中に国民を鼓舞した光太郎を責める農婦役など何役も演じられた木野花さん、光太郎の母役などだった神保供子さんなども写っています。

金内さん、この年の第56回連翹忌にも、渡辺さん、神保さんとご一緒にご参加下さいました。お三方には一篇ずつ光太郎詩の朗読をお願いし、金内さんはまさしく「月にぬれた手」(昭和24年=1949)。情感たっぷりのすばらしい朗読でした。

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 わたくしの手は重たいから
  さうたやすくはひるがへらない

 手をくつがへせば雨となるとも
 雨をおそれる手でもない。
 山のすすきに月が照つて
 今夜もしきりに栗がおちる。
 栗は自然にはじけて落ち
 その音しづかに天地をつらぬく。
 月を月天子とわたくしは呼ばない。
 水のしたたる月の光は
 死火山塊から遠く来る。
 物そのものは皆うつくしく
 あへて中間の思念を要せぬ。041
 美は物に密着し、
 心は造型の一義に住する。
 また狐が畑を通る。
 仲秋の月が明るく小さく南中する。
 わたくしはもう一度
 月にぬれた自分の手を見る。


金内さん、平成5年(1993)の文学座さんの舞台、「愛しすぎる人たちよ 智恵子と光太郎と」にも出演されていました。


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その際は、元活動弁士の役でした。

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また一人、名優が亡くなったか、という感じです。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


【折々のことば・光太郎】007

こゝに人あり 雪にうもれて 膝をくめり

短句揮毫 戦後期 光太郎70歳頃 

画像は花巻郊外太田村の山小屋で膝を抱える光太郎。舞台上の金内さん、まさにこんな感じの、光太郎そのもののようでした。
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