平成10年(1998)に完結した筑摩書房さんの『高村光太郎全集』に漏れている光太郎文筆作品等の紹介である「光太郎遺珠」を連載させていただいている、高村光太郎研究会さん発行の雑誌『高村光太郎研究(41)』。執筆に際しお世話になった方々にお送りしたところ、そのうちのお一人、兵庫ご在住の池田辰彦氏からメールが届きました。光太郎、それから太平洋画会で智恵子とも交流のあった画家・挿絵画家・漫画家、池田永治のご子息です。

お世話になっております。
「高村光太郎研究(41)」をお送りいただきましてありがとうございます。読ませていただきました。
ご逝去後七十年近くなりますが、ご研究のかたはししも分からぬ私にも高村光太郎先生のご功績の大きさと深さが伝わる気持ちがいたします。
お礼を申し上げるのが遅れましてたいへん申し訳ございません。

このたび、WEB版『画家池田永治の記録』を作ってみました。本の中の誤りを直したり、「作品一覧」に引用写真を増やしたりしました。
何の役にも立たぬすさびごとですが、お暇な折にご笑覧ください。


辰彦氏、父君に関するサイト「画家池田永治の記録」を立ち上げられたとのことで、早速拝見してみました。作品(洋画、俳画、漫画、挿絵、商業美術等)、年譜、写真、交流のあった人々からの書簡など、豊富な画像とともに紹介されており、クオリティの高いものです。

「光太郎遺珠」で紹介させていただいた、光太郎揮毫のチョッキ(昭和20年=1945)に関しても大きく取り上げられています。また、太平洋画会で智恵子と共に学んだことも年譜の中に記されています。

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おおむね、昨年刊行された書籍『画家 池田永治の記録―その作品と年譜―』とかぶる内容で、おそらくご出版に際しデータ化したものを使われているのだと思われます。紙媒体の書籍として残すことも大切ですが、ネット上で広く発信することも重要だと、改めて感じました。

当方、辰彦氏への返信メールには、当会顧問であらせられた故・北川太一先生が折に触れておっしゃっていた「どんなにすばらしい芸術家でも作品でも、放っておいてその業績が自然と残ることはない。次の世代の人々が、その業績を正しく理解し、さらに次の世代へと語り継ぐ努力をしなければ、あっという間に歴史の波に呑み込まれ、忘れ去られてしまう」というお言葉を引かせていただきました。


もう1件、昨日、散歩中にシャンソン系歌手にして、「智恵子抄」などの光太郎詩にオリジナルのメロディーをつけて歌われているモンデンモモさんから、スマホにショートメール。

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youtubeに動画を上げた、ということでしたので、こちらも早速拝見。




第1弾は光太郎智恵子に関係ない歌でしたが、今後、「智恵子抄」系もアップされるそうで。

こうした音楽も、CD等に残すことも大切ですが、やはりネット上で広く発信することも重要だと、改めて感じました。

当ブログサイトもそうした考えのもと、今後も継続していくつもりで居りますので、よろしくお願いいたします。


【折々のことば・光太郎】

著者は曾て印象派を讃美した。今は通過した。

雑纂『印象主義の思想と芸術』初版序」より 大正4年(1915) 光太郎33歳

『印象主義の思想と芸術』は、光太郎初の評論集として出版されました。マネ、モネ、シスレー、ピサロ、ルノワール、ドガ、セザンヌらについて詳述しています。

光太郎自身も明治末から大正初めにかけては油絵をかなり描きましたが、どちらかというとポスト・インプレッショニズム(「後期印象派」と訳されますが、「後期」というより「後継」です)的なフォービズムの影響を受けているようです。